ローザ・ルクセンブルグ」孝橋正一 「ローザ・ルクセンブル グ」松岡利道
この2冊を読み終えた。松岡利道のは学者らしくとても
難しかった。大方理論書に近い。孝橋正一のはまるで小説を読
むようではらはらどきどきして読んだが、どうやら彼のはルク
センブルグに肩入れしすぎていると思いました。
「ローザ・ルクセンブルグ」J・P Nettle
は上・中・下の大冊なので後回しにしている。
ローザ・ルクセンブルグ選集 が刊行されているのは知っ
ているが金がないので買えません。しかたなく上記の本を図書
館で借りて読んでいます。それからルクセンブルグの 資本蓄
積論 を理解するにはマルクスの 資本論・第3巻 を読まねば
ならないが私は2巻までがやっと読めただけでそれも理解が十
分でない今の到達点
です。
風来坊さんのルクセンブルグを引用しながらの、レーニン批
判をしているのを読んでいたのだが、引っかかるところがいっ
ぱいあります。焦点はプロレタリア独裁→ボルシェヴィキの独
裁→レーニンの独裁といった問題です。いずれ反論します。
先に「裏切られたドイツ革命 セバスティアン・ハフナーを
読んでいます。レーニン全集の第31巻から34巻の主なとこ
ろも読んだ。
それらの読書は、参院選の前に、いったい普通選挙とい
うものが本当の民主主義かと以前から考えていたことをローザ
・ルクセンブルグとレーニンを読み比べながら確かめたかった
からです。そしてその背景の第一次大戦前のドイツを見たかっ
たし、革命後のソヴィエトを見たかったからです。
戦後、国政選挙が日本では数え切れないほどにあったのです
がまったく世の中は悪くなる一方で、国民は悪くなる方をなぜ
選択するのかということを考えてしまうのでした。国民みんな
が自主的に投票して選んだ代議士がみんなにとって不幸なこと
ばかり決める。なのにまた選ぶ。このからくりはいったい何な
のか。この自主的と
いうのはマインドコントロールされた国民の頭脳の判断なのか
。
ルクセンブルグはドイツ社会民主党の理論家でドイツ革命を
主張していたのですが、彼女は民主主義を非常に大切にし、普
通選挙がドイツの社会主義を実現できると考え、レーニンの独
裁を非常に激しく攻撃した。彼女はカール・リープクネヒトと
スパルタクス派を党内に結成し、第一次大戦を支持する社会民
主党を激しく非難し
ます。日本共産党と違って社会民主党には分派が認められてい
ました。それは是非必要なものです。しかし彼女は社会民主党
から離れて別の党を作ろうとしなかったのです。彼女の反戦思
想は次第にドイツ労働者階級の支持と期待を集めます。しかし
社会民主党は第1次大戦のドイツ敗北時に政権を握リエーベル
トは反革命としてド
イツの労働者の決起に襲い掛かりルクセンブルグをも惨殺した
のです。
アメリカの参戦でドイツが決定的に敗北にいたる時点で
ドイツ兵や労働者階級は革命を求めて立ち上がります。キール
軍港では水兵たちが反乱を起こし、彼らを支持する全土の労働
者が決起し各都市を支配します。そしてベルリンには20万の
労働者が革命を求めて兵器を持って結集したのです。しかしル
クセンブルグは革命情
勢ではないと判断し関わらなかったのです。そして議会にスパ
ルタカス派の代議士を送り込むことによってドイツ革命が果た
せると自派の大会で演説したが支持を得られなかったのです。
革命に決起した労働者は社会民主党のエーベルトにだまされ
てしまいました。
昨日ドイツ革命を失敗した労働者や市民は十年後にはヒ
トラーを「普通選挙」で圧倒的多数で選ぶのです。皮肉なこと
に社会民主党もヒトラーによって壊滅させられてしまうのです
。自分たちが選んだヒトラーのために無慮何千万人の他国の人
々を殺し、ユダヤ人を殺し、自分たちも戦場で殺されていった
のです。このヒトラー
も民主主義によって選ばれた独裁なのです。このルクセンブル
グが虐殺された1919年はどんな小説を読むよりもドラマッ
チックです。普通選挙は民主主義の幻想なのか、そのあたりに
深い関心を持って読んでいるのです。
もしも幻想ならばいったいどの道があるのか。目先の1メー
トルしか見えないようにされた愚民が選んだ為政者が支配を続
け、金にしか価値のない、文化のない国にこの日本をしたので
はないだろうか。しかも改憲へとまっしぐらに進みます。それ
は日本が戦争へと向かうための「九条」という障壁を取り除く
ためです。するとま
たもや日本人が他国の人たちを殺し、自身も死んで行く道を国
民が選んでいるということが何故おきるのか。勤労者がその日
、その日を営々と働くのは何のためか。それは自身の家族のた
めであり、子孫のためではないのでしょうか。だが子孫を破滅
させる道を何故歩くのだろうか。
日本共産党はドイツ社会民主党と同じようにこの体制の
中で改良を求め、革命を捨て、議会制民主主義を追求していま
す。マルクスは社会民主党の創始者ラサールを ゴータ綱領批
判」のなかでその後の社会民主党のあり方を読みきったように
厳しく批判しています。しかし、ドイツ社会民主党が帝国議会
で第一党になって政権<文字化け>。しかし議会に多数を送り込むため
に日本共産党の綱領は後退に後退を続け、国民の党という排外
主義や革命の放棄にまで至っています。それは選挙技術の問題
ではなく党の変節こそが原因なのです。そこには新鮮なものは
何一つなく、労働者の期待を担うことができなくなっているの
です。勤労者は民主党に腹いせのために投票せざるを得なくな
りました。
せめて民主党が参院選で多数を占めたと喜んでいても、それ
こそはわなにかかったようなものではないだろうか。