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「現状分析と対抗戦略」討論欄

共産党を宗教団体にしないために

2007/8/26 さつき

 私が最も信頼するジャーナリストの一人である江川紹子さん のウェブコラム 「社会のこといろいろ」には、参院選後、安倍首相を痛烈 に批判する記事が立て続けに掲載されました。その中の8月4 日の 「安倍首相の強気を支えているものは…」と題する記事を 読んでハッとしました。この文章の「安倍首相」を「志位委員 長」、または「共産党指導部」に置き換えると、見事なパロデ ィが成立すると思ったからです。

 タイトルから、「志位委員長の強気を支えているものは…」 などと、置き換えながら読み進むうちに、もう、これは、笑い 事ではすまなくなります。ことに、「現状分析と対抗戦略」欄 に掲載された原仙作さんの8/4、8/24付の参院選総括をめぐる 論評とセットで読むと、このパロディは極めて現実的な共産党 批判の文章にもなる、そう思えてしかたありません。

 江川さんの文章の冒頭部分を、パロディとして書き換えると 以下のようになります。

「志位さんの心境について、どうお考えですか?」
 某新聞社から、そんなコメント依頼の電話があった。
 いったいなぜ辞めずに、地位にしがみつくのか。どうしてあ んなに強気でいられるのか。国民の「ノー」の意思表示をどう 受け止めているのか……
「多くの方が理解できない、不思議だと思われているんですが 」と記者氏。

 私も最初は、志位委員長の言動にとても違和感を感じた。
 なぜ、あれだけの「歴史的大敗」をしながら、平然と続投を 言えるのか、と。
 (中略)
 この強気、驚くべき”鈍感力”は、どこから生まれてくるの か……。
 ただの慢心であれば、これだけの歴史的惨敗で少しは落ち込 むだろう。ところが、志位委員長は参院選での敗北を受けて、 前以上にやる気がみなぎっている感じがする。
 そんな志位さんの顔を眺めているうちに、「ああいう態度は 何度も見たことがある」という既視感を覚えた。
 新興宗教団体、もっと率直に言えばカルトの熱心な信者さん の対応に、そっくりなのだ。

 念のために、私さつきは、共産党がカルト教団と同じだと思 っている訳ではないことをおことわりした上で、以下、江川さ んの文章の続きをそのまま引用しましょう。

 熱心な信者さんにとって、その団体の教義は常に正しい。迷 いがなく、教祖の正当性を純粋に信じている。その教えに浴す ることは、多くの人々を幸せに導く、と確信している。教えを 批判する意見や教義と矛盾するような事実は、科学的なデータ であっても”否定的な情報”として、極力無視する。逆に”肯 定的な情報”は、針小棒大なまでに過大評価をして受け止め、 我々は神(もしくは神々)に守られているのだと実感する。だ から、彼らは傍目には妙に楽観的であり、超前向きだ。もし教 えの偉大ささが分からない人がいれば、それはその者の目が曇 っていたり、間違った情報が与えられてしまった結果であり、 その場合には、相手がいやがっても、その教えを押しつけてあ げることが、よいことだと信じてやまない。だから、時に相手 をだましても、無理をしてでも、教えを実践させる。そんな風 にして教義で説かれる世界を実現することが、絶対的な善(あ るいは正義、もしくは真理)であり、この世をよくし、人々を 幸福に導く道であると信じている。そして、自分にはその役割 が与えられているという使命感に燃えている。社会から拒絶さ れるるような”弾圧”には負けない強い心を持って信仰を守ろ うと努める。批判は、自らの信仰心を試し磨いてくれる試練と 受け止め、その批判が強ければ強いほど、逆境に追い込まれる ほど、「今こそが試練の時だ」と張り切る……

 パロディの締めくくりは「日本共産党がイヤに宗教めいて見 えて、なんだかとても不安な今日この頃である。」となります 。

 「共産主義は一種の宗教であり共産党は宗教団体と同じであ る」、とは、昔から影に日に巷で言われ続けてきた共産党批判 の一つの切り口でした。党はこうした批判と日々闘い続けなけ ればならない筈なのに、その党指導部が率先して、なるほどこ れは典型的なカルト教団だなと国民を納得させてしまうような 態度をとり続けている。

 カルトはいやだから、その対極にある仏教のような宗教を目 指している? 仏教について私が最近得た生半可な理解によれ ば、本来は一つの哲学として出発した筈のシャカの思想が、民 衆の中に広まり、世界宗教へと成長を遂げる要件となったのは 、シャカの死後弟子達が、亡き師を思うあまり「祈り」の儀礼 を取り入れたことによるそうです。共産党もいっそのこと、何 か呪文のようなものでも考案したら宗教として完成され、拡大 (=布教)もやりやすくなるかもしれない。こうした冗談めか した話も現実の方が先行しているのではないかと、「なんだか とても不安な今日この頃」なのです。

 ながいあいだ共産党と寄り添ってきた非党員の中に、「この 党は終わったな」との、ある種の感慨がひろまっているのを感 じます。党存亡の危機なのです。それでもなお数十万の党員が いる。党員の皆さん、共産党はカルト教団ではないことを行動 で証明してみせて下さい。そのために何が必要か。

 もし、共産党が存亡の危機に直面しているという現実を受け 入れることができるなら、かって共産党が「五〇年問題」の存 亡の危機を乗り越えようともがいていた時期に何が行われたか に学んでほしい。有田芳生さんのウェブサイトの 「自由で建設的な議論を」のページに、当時、党内外を巻 き込んだ議論が沸騰し、党が率先して党外の意見を聞く機会を 持つなどしたことが紹介されています。もちろん、当時のこと についてはプラス面もマイナス面もあり、今それを再現しよう としても、当時とは異なる条件などいろいろあるでしょう。

 最大の足かせは現行の民主集中制です。現代民主主義社会に あって、まことに珍妙なこの組織原則は、共産党を宗教団体の ように見せてしまうという側面を持っているかもしれません。 そうでなくてもこれについて議論することはとても重要です。 たとえば私のような、選挙の度に共産党に一票を投じ続けてき た非党員の大多数は、民主集中制そのものの廃止を望んでいる と思います。なにより、私の身近には、現行の民主集中制のま まで良いと言う現役党員はいません。なのにそれを改めること ができないでいるという現実は、組織原則そのものの欠陥を示 しているでしょう。

 民主集中制への悪評に対する党指導部の弁明は、少なくとも 党外ではほとんど理解を得られず破綻していると思います。こ うした現実を直視してほしい。この認識に立つなら、先ずは、 民主集中制の可否についての全党的な議論を湧き起こし、国民 に理解の得られる組織原則に改め、また、党の勢力がここまで 後退した責任を社会情勢のせいだけに転化にするのではなく、 党指導部の責任を明確にし、死んでいたかに見えた党内民主主 義が健在であることを党外に示す、それが、共産党がカルト教 団ではないことを国民に証明してみせるために、今一番必要な ことではないかと思います。(8/26記)