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「現状分析と対抗戦略」討論欄

ローザ・ルクセンブルグの民主主義と議会の位置付けにつ いて(3)

2007/8/30 風来坊 50代 自営業

 「普通選挙がドイツの社会主義を実現できると考え」と主張 されている方がいますが、以下の論文のどこからそのような主 張が出て来るのだろうか。

 人類が始まって以来、最も強力なこの社会革命が行なわれる プロセスを彼らは、一体、どの様な形で頭に描いているのだろ う。この社会の様々な階級が一同に集まり、皆、平静で「節度 ある」見事な議論を交わし、それから採決を―おそらくは例の 有名な「堂々めぐり」によって―行なう。
 そうすれば、資本家階級は、自分たちが少数であることを知 り、規律ある議会政党に相応しく、ため息をついて宣言するだ ろう。仕方がない ! われわれは、採決に敗れたことを認める 。よろしい、われわれは、決定に従い、地所も工場も鉱山も、 また、防火装置の整ったわれわれの金庫も、素晴しい利益も、 全部そっくり労働者諸君にお譲りしよう、と。これが、彼らが 頭に描いている革命のプロセスなのだ。略
 これらの深遠なマルクス主義者たちは、しかし、社会主義のABC を忘れている。
 彼らは、ブルジョアジーが、単なる一つの議会政党ではなく 、全ての経済的、社会的権力手段を握った支配階級である、と いうことを忘れている。
 こうしたユンカーや資本家諸氏は、革命政府が、資本主義的 賃金体系に間に合せの膏薬を貼り付けることで、満足している 限りは、決して騒ぎ出さない。革命が常軌を逸しない範囲の革 命である限り、彼らも常軌を逸したことはしない。
 つまり、ブルジョア的階級支配の中枢であり、動脈である資 本主義的私有財産や賃金体系や利潤が傷つかぬ限り、彼らは黙 っている。
 しかし、もしも、利潤の胸ぐらが捉えられ、私有財産にドス が突き付けられると、その時には、彼らのくつろいだ気分もお しまいだ。
 ノアの箱舟のように、狼の羊も虎も小羊も、仲良く並んで草 を食んでいる今日の牧歌的状態が続くのも、社会主義が真剣な 問題となり始めるまでのことである。もしも、評判の国民議会 が、本当に社会主義を完全に実現し、階級支配を根絶やしにす ることを決議したとなれば、その時には、たちまち闘争が始ま るだろう。もしも、ブルジョアジーの心臓に銃口が突き付けら れたとなれば、―尤も、彼らの心臓は金庫の中でドキドキして いる筈だ―その時には、彼らも生死を賭けて彼らの支配権を守 ろうとし、社会主義の方策に対して無数の抵抗を公然、隠然と 繰り返すだろう。
 これら全ては避ける事ができない。徹底的に守り抜き、相手 を打ち倒すまで、闘いが続けられるだろう。それは、国民議会 が有ろうが無かろうが、同じ事である。「内乱」というものは 、それをどんなに心配して革命から放逐しようとしても、放逐 できるものではない。事実、内乱とは、階級闘争の別名でしか ないのだ。階級闘争抜きで、議会主義的多数決によって、社会 主義を導入することができる、というような考えは、滑稽な小 市民的イリュージョンである。略
 今日、問題になるのは、デモクラシーか独裁か、という事で はない。歴史の日程に上っている問題は、ブルジョア.デモク シーか社会主義デモクラシー、かという問題である。つまり、 プロレタリアートの独裁、それは、社会主義の意味でのデモク ラシーに他ならないのだ。
 プロレタリアートの独裁は、決して、資本家の利潤の番人た ちが明確な意図を持って捻じ曲げて言うような、砲撃や暴動や 騒乱や「アナーキー」の類ではない。それは、あらゆる政治権 力を―プロレタリアートの革命的多数決という意味で、またそ の意思により、従って社会主義デモクラシーの精神において― 社会主義実現のために、資本家階級の財産没収のために行使す る事なのだ。
 プロレタリアートの過半数の自覚ある意思と自覚ある行為を 抜きにしては、社会主義もへちまもない。そして、階級意識を 強め、階級意思を鍛え、プロレタリアートの行動を組織するた めに、都市および農村プロレタリアの国会といった階級組織が 必要なのだ。
 ブルジョア革命の伝統的な国民議会の代わりに、こうした労 働者代表組織を召集することは、それだけで階級闘争の一駒で あり、ブルジョア社会が礎いてきた過去の歴史からの決別であ り、プロレタリア人民大衆を目覚ませる強力な手段であり、資 本主義に対する最初の明白な大胆な宣戦布告でもある。
 最早如何なる逃げ道も無い。曖昧な態度は許されない。骰子 は投げられねばならぬ。議会主義痴呆症は、昨日は、一種の弱 さであり、今日は一種の二股膏薬、明日は、社会主義に対する あからさまな裏切りとなるであろう。 (ローザ・ルクセンブル グ 国民議会)

 この中でローザは「階級闘争抜きで議会的多数決によって、 社会主義を導入することができる」という議会主義の立場を否 定している、しかし同時に、「プロレタリアートの過半数の自 覚ある意思と行為を抜きにしては、社会主義もヘチマもない。 」と述べている。

 12月16日から開かれた第一回全ドイツ労兵会議(ソヴェト)の490 人の代議員中で、右派社会民主党支持298名、独立社会民主党 支持101名(内スパルタクス団10名)会議の冒頭、カール.リー プクネヒトと11月10日に出獄したローザ.ルクセンブルグとを 、会議に出席させようとした、左派の動議は、圧倒的多数で否 決された。さらに19日労兵会議制をとらずに、普通選挙による 憲法制定会議によって、ドイツの統治形態を決定する決議が、344 票対98票という大差で決議された。つまり、労兵会議自らが、 労兵会議を基礎とすることを否定したのだ。

この力関係の中で、ローザはプロレタリア階級の意思に反し て、第二革命を遂行する事は、必ず一揆主義に終わり、反革命 勢力を強化するにすぎないと判断した。
 「現在権力を握ろうとすることは、犯罪的な誤謬だ。ドイツ の労働者階級は、まだ、政権をとる用意ができていない」
 「大衆がドイツを背負うだけの準備も、能力もないのに、エ ーベルト政府を転覆して、これを別のものと取り替えることは 、無駄であり、子供じみている。」とローザが主張したのは当 然ではないだろうか。