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「現状分析と対抗戦略」討論欄

共産党85周年記念講演について─敗因は比例区基礎票5 0万票の流出。二つの「理論」と選挙戦術を総括するべきだ─ (3)

2007/9/1 原仙作

24、jcpは「健在」?   次は不破の記念講演についてである。彼の著作なり、講演 を読んでいつも感じることなのだが、不破は自分の論述にどれ ほどの論証力があるか意識したことがあるのだろうかと思うの である。表面づらがなにやら整合的に見えればそれでOKと考え ている節が随所に見えるのである。
 マルクスやエンゲルス、そしてレーニンも決して演説はうま くはなかったが、そこには必ず何かしら真実なものが語られて いた。私がいつ読んでも感動するのは、老エンゲルスがイギリ ス労働運動の復活を称え、その大集会の光景をマルクスが見た らどんなによろこぶであろうかと語ったハイド・パークでの演 説である。
 しかし、今回の不破の講演は老エンゲルスの演説のようなも のとは全く異質である。真実なものは何もなく、自画自賛の党 史ばかりが目につくのである。
 不破の講演の要旨を述べると次のようになる。党史を回顧す ると、支配階級の攻撃によく耐えjcpは発展してきたのであ って、一時的な後退に一喜一憂することなく、歴史を大局的に 見て今後もがんばろうということである。戦前の党史への絶賛 の問題や50年代の分派をあべこべに描く見解は従来通りでこ こでは触れない。
 不破が言うように歴史を大局的に見るのは必要なことなのだ が、大局を見て足下の深刻な敗北を忘れるのではjcpの発展 は保証されないと言わざるを得ないのである。
 現在のjcpの状況について、不破はアメリカの雑誌「タイ ム」の記事を引いて、世界第2の経済大国で「共産主義が活気 にあふれ健在」(不破講演『赤旗」8月12日)であると書か れていると言うのである。不破にとっては「タイム」の記事は 否定すべくもない権威あるもので、この記事でjcpは「活気 にあふれて健在」なことが証明されたようなのである。これで は露骨な欧米崇拝丸出しではあるまいかと揶揄されても仕方あ るまい。

25、「タイム」誌で隠す党の実情
 しかし、健在ぶりを証明するのならば、何も海の向こうの雑 誌記事を持ち出さずとも、国内の実績を示せば簡単明瞭であっ たろう。不破の泣き所はここにあって、2000年以降の国政 選挙は連続後退であることから「活気にあふれ健在」な国内実 績を示すことができないのである。だから、これ幸いと「タイ ム」の記事に飛びついたのである。不破も語るに落ちたことを したものである。
 国民の怒りが大爆発し、大順風の参議院選でも、あろうこと か、5から3に議席を減らしてしまっている。しかもjcp最 強の陣地・東京で、定数が1議席増えたにもかかわらず次点に も入れなかったのである。何の組織的基盤もなく、初出馬の革 新系無所属候補に一敗地にまみれたというのはどういうことで あろうか? 最強の陣地でも当選できなくなるほど党勢派は衰 えているのである。
 選挙戦終盤の7月25日でさえ、総決起集会を開いて組織に ”活”を入れなければならなかった。そこで演説した志位は「 これまでの党員の決起は、のべでも約4割から5割です。」( 「赤旗」7月26日付)と信じられないようなことを言わざる を得なかったのである。
 「のべでも」というのはどういうことであろうか? 選挙期 間中、常時稼働していたのは2~3割程度ということなのであ ろう。惨憺たるありさまなのである。
 明らかに不破はjcpの実態・実績を「タイム」の記事を紹 介することで隠蔽し、実際とは逆のことを言っているのである 。不破は都合の悪い事実をまじめに考慮することができない人 物であると言われても「しょうがない」だろう。
 不破の態度は不都合な現実を見ないと言うことであり、大敗 を尻目に続投を決め込む安倍総理同様、これほど政党の指導者 に不適格な人物はいない。 イタリアやフランス共産党を持ち 出して「4%台に落ち込む」状態だと他国の党をけなしてみて も、jcpの健在ぶりが証明されたわけではない。不破は参議 院選で比例区7.5%ではフランスの倍の勢力だと胸を張れる のであろうか? 不破は胸を張れるようなのだが、この辺の感 覚が世間ではどうにも理解できないのである。世間では”五十 歩百歩”と言うのである。

26、不破の自・共対決史観(1)
 不破の講演では、「政治対決の弁証法」と称して、jcpが 発展するたびに支配階級がjcpの発展を阻止するためにあり とあらゆる手段を駆使してきたと言い、その一つとして現代の 2大政党制の攻撃があるとして、政治史を回顧している。
 「日本の支配勢力は、・・・とくに70年代以降は、日本共 産党を主敵として、その政治戦略を組み立ててきました。」と 言っている。「主敵」という言葉に注意してほしいのだが、不 破の見解では日本政治史は自・共対決の見地から見る場合だけ 「科学の目」になるのである。まさに自・共対決史観である。
 敵の政治戦略として「70年代の『自由社会を守れ』キャン ペーン」、「80年代の『・・オール与党』作戦」、「90年 代の・・・『体制選択論』攻撃」、そして「現在、この主要な 作戦となっているのが、日本の政党戦線を無理やり『2大政党 』の流れにはめこもうという型の締め出し作戦であります。」 というのである。
 不破の議論からわかるように、「支配勢力」はいつもjcp を「主敵」として政治戦略を組んでいると不破は見ているので ある。この見方は現実の具体的総体的な分析の結果ではなく、 階級対立の図式を政治の領域へ単純に当てはめたものにすぎな い。
 資本主義社会における基本的な階級対抗はブルジョア階級と プロレタリア階級であり、その政治おける現れが自民党対jc pで、したがって、「支配勢力」(自民党)は常にjcpを「 主敵」として政治を行っている。だから、現在の2大政党制づ くりもjcpを「主敵」として行われているjcp封じ込め作 戦だと不破は言っているのである。
 何たる単純さ、何たる一面的図式的思考であることか。70 年代以降の政治史が「支配勢力」によるjcp対策として総括 するのが基本だと不破は言うのである。しかし、このような理 解は、jcpとその周辺でしか通用しないであろう。もともと 、論証すること自体が難しい問題である。
 支配階級はおのれの利害を守ることに精を出すが、だれを「 主敵」にすえるかはその時代の主要な対抗勢力が誰かによるの であって、資本主義だから自動的にjcpだとは、マルクスも 教えていないことである。
 ここでも概念的に把握したものが現実と混同されている。不 破のような議論をすれば、世間一般では”自意識過剰だよ”と か、”で、国会で何議席持ってるの?”と言われて笑われるだ けであろう。

27、不破の自・共対決史観(2)
 戦後史を回顧すれば、支配階級がjcpに最も脅威を感じた のは、戦後の混乱期であり、1947年の2.1ストから19 49年に35議席に躍進した時期ではないだろうか。その後は 武装闘争に入りほぼ壊滅し、再建して10年後の1967年の 総選挙では自民277、社会党140、jcp5議席であるか ら、この頃は社会党対策の方が中心であったであろう。
 その後、美濃部革新都政が成立(1967年)、1969年 総選挙で14議席、1972年総選挙で39議席と躍進し、全 国へ革新自治体が広がっていくのであるが、jcpが躍進した 時期でも対策の主力は社会党(118議席)に向けられていた はずである。議席数から言っても自治体労組への影響力から言 っても社会党が革新自治体の中心的担い手であり、その革新勢 力の力を削ぐために自民党は社共統一を分断することに力を注 いだはずである。
 jcpは自民党による社共分断策動を「主敵」jcp対策だ と言うようだが、分断統治は支配階級の常套手段であり、連合 する敵のうちの大勢力に主なターゲットが置かれることも常套 である。
 こうして1980年には社公合意ができ革新自治体は倒れ、 1991年にはソ連の崩壊がやってくるという流れになる。ソ 連が崩壊すれば共産主義の脅威はいっぺんになくなるのである から、jcp対策の比重も落ちてくるのは当然であろう。90 年代以降は、70年代ほどの脅威もなくなっている。
 2大政党となるはずであった新進党が解散し、新たに小党分 立が進み、その間隙を突いてjcpが躍進したのが1996~ 98年にかけてであって、それでも議席数は26にしかすぎな い。とても、支配階級の「主敵」たる待遇を受けるほどの存在 感はない。
 すでに述べたように(18項参照)、90年代以降の2大政 党制の動きは日本の経済体制の再構築(リストラクチャリング )の要請ともっとも深く関連しているのである。決してjcp 対策に主眼があるわけではない。財界による新自由主義政策の 実施要請と在来型自民党の対応のにぶさがひとつの矛盾・相克 として登場し、その解決策としての新自由主義大政党の形成が はじまるのである。

28、不破の自・共対決史観(3)
 以上、大雑把に回顧してみても、財界や、小沢ら当事者でさ え、思い通りに2大政党制づくりを進めてきたわけではないの であって、2007年参議院選でできあがった2大政党制も、 あの元祖・新自由主義者小沢が「生活が第一」という政策を打 ち出す2大政党制なのである。
 こうしてみてくれば、2大政党制の成立動向を含めて戦後政 治史を「主敵」jcp対策と一括りにするのは単純階級対立図 式論だと言わなければならないだろう。
 不破にあっては階級対立の図式を直接に政治の現実にあては めてしまうために、政界の動きがすべて自動的に「主敵」jc p対策に見えてしまうのである。自民党内部の争いや自民党と 財界の矛盾などがすべて捨象され、あたかも単一の支配階級の 意思というものがあるかのごとく仮構されてしまい、どこかに 闇の統率者・支配者がいて、jcpを除く与野党がその闇の支 配者の操り人形のように動き回ってjcpシフトを敷くように 不破には見えているのである。
 不破によれば、2大政党制の「この作戦が最初に現れたのは 1993年の『非自民対決』です。」と言うのであるから、小 沢の脱党・新生党結成や細川日本新党の結成にはじまる細川首 班の8党連立政権の成立や自民党の下野、社会党の村山首班の 自・社・さきがけウルトラ連合政権の成立など、これら一連の 政界騒動も不破には「主敵」jcp対策の動きと一括され、ど こかにいる統率者の操り人形として動いていたことになるので ある。不破の自・共対決史観はかぎりなく陰謀史観に接近して いる。
 単純明快な政治動向の把握でわかりやすいのであるが、その ような理解が現実から途方もなく遊離していることはあきらか であろう。不破の議論を受け売りするだけの志位にいたっては 遙かに誇張され、ここ数年の2大政党制の動きを「戦後、最も 大掛かりな”共産党封じ込め”戦略にほかなりません。」(同 講演)と非難はエスカレートしている。
 こんな見方をするから、現実の政治情勢そっちのけで、jc pが伸びるかどうかが参議院選の「最大の焦点」(「全国いっ せい決起集会」「赤旗」6月25日)だなどというセクト的に 歪んだ情勢認識になり、安倍政権を過半数割れに追い込み、庶 民の利益を少しでも前進させるより、自党の1議席増が優先し てしまうのである。

29、不破の自・共対決史観(4)
 こうした自・共対決史観の単純図式理解では、その時々の政 治情勢さえ全く歪んでみえてしまうのであり、不破の「科学の 目」には、今回の参議院選も次のように見えてしまうのである 。

「そして、今度のいわば『首相選択』選挙です。 」

 不破によれば今度の参議院選では民主か自民かの選択を 国民にせまる新趣向として「首相選択選挙」という出し物が出 てきたのだそうだ。不破は新聞もテレビも見ていないのではな いかと思えるほどである。たぶん、山荘でエンゲルスの「フォ イエルバッハ論」でも読んでいたのであろう。
 「小沢さんか私か、どちらが首相にふさわしいか」とテレビ 討論で発言して墓穴を掘った安倍は、選挙戦の旗色が悪くなる と、首相選択論をさっさと引っ込めてしまったし、話を振られ た小沢は参議院選は首班指名選挙ではないと一蹴している。
 不破には今回の参議院選も、どこかにいる支配階級=闇の支 配者が「首相選択選挙」を振りまき「主敵」jcp排除を主眼 とする支配階級による作戦なのである。
 国民の怒りが爆発して自民党を過半数割れに追い込む選挙も 、国民が「首相選択選挙」に踊らされているように見え、不破 には「支配勢力」が「主敵」jcpを国会から閉め出すための 対策=陰謀に見えているのである。
 不破の「科学の目」はここまで誇大妄想というか、被害妄想 というか偏屈で一面的な見方に凝り固まっているのである。
 不破の目には政治情勢をどう変えるかという視点はなく、支 配階級のjcpシフトをどう打ち破るかという意識しかない。 そこまで不破の政治認識は現実離れしてしまっているのであり 、ここにjcp指導部が全小選挙区立候補戦術に執拗に固執す る究極の原因がある。
 言わば、単純な自・共対決史観が引き起こす誇大妄想と被害 妄想が原因という悲喜劇が起きている。

30、不破の自・共対決史観(5)
 不破にとっては何度失敗してもやめるわけにはいかないので ある。不破の「科学の目」からみれば、国会において与野党寄 ってたかってjcpを閉め出す作戦(不破には陰謀のように見 えているのであろう)が実行されているのである。それだから 、jcpの1議席増が、政治情勢とは無関係に最大の政治目標 になるのである。与党の過半数割れなど問題にもならない。与 野党ともグルなのであり、自民、民主、どちらが政権を取って も政治は変わらないしjcp排除は続く。
 その全小選挙区立候補戦術が一人区で与党に有利な役割を果 たそうが、そんなことは問題ではない。与野党でjcp排除作 戦が実行中であるのだから、jcp議席を確保するために役に 立つことであれば、どんなことでも実行する。選挙区候補者を 持たなければ地方組織の動きが鈍くなるのであれば、供託金没 収覚悟で泡沫候補も立てるのである。
 不破の「科学の目」には、周囲は「主敵」jcpを陥れよう とする陰謀渦巻く世界なのであり、誰と誰が裏で手を結び、何 を仕掛けてくるか、少しも気を許せない世界なのである。不破 は世界を不信の目で見回す。不破の自・共対決史観という「科 学の目」がそれを教えているのである。
 選挙共闘を申し込んでくる市民運動でも気を許せないのであ り、その背後の匂いをいやでも探りたくなるのである。多少で も他政党の影がみえれば、”やはり”とおのれの「目」の確か さを確信するのである。
 ここまでわかれば、不破が昨年の「赤旗祭り」で日本資本主 義の特徴である三つの異常に加えて、四つ目の異常として次の ように言うのも今では理解できるのである。

「日本では、ひときわ激しい反共主義が生き残っています。私 たちは、日本の社会の「三つの異常」ということをよく言うの ですが、反共主義のこの生き残り方は、「四つ目の異常」に格 上げしてもいいのではないか、と思うほど(笑い)の気持ちで す。」(「赤旗」2006年11月11日)

 今度の参議院選の結果を受けて、不破は強大化する反共主義 への確信をますます深めたであろう。世界を不信の目で眺める ことを教える単純な自・共対決史観が不破の被害妄想と誇大妄 想を呼び起こしており、呼び起こされた反共主義の亡霊が不破 を取り巻き、不破を苦しめている。
 不破は全小選挙区立候補戦術に固執し、jcpg伸びなけれ ば日本の政治はよくならないと絶叫してその亡霊と闘うことに 夢中である。この党首は”終わっている”。