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「現状分析と対抗戦略」討論欄

2007年参議院選挙―展望と課題

2007/9/16 丸 楠夫

「ある地区委員長の方がいうのですよ。”経営での活動がなか なかたいへんなのだ。要求がいっぱいあるから要求でたたかお うといっても、なかなか立ちあがってくれない。しかしそうい う人たちに選挙で共産党を支持してくれというと、支持はして くれる”と。
 私はその話を聞いて、実はそこに一番大事な問題があると思 いました。
 というのは、今日の経営の実情をみますと、会社がおかれて いる状況や、組合の動きからみても、要求をもって職場で立ち あがって、そこで闘争の見通しをひらくということには、なか なかむずかしい問題があります。
 しかし、いまの世の中の特徴は、さきほど雇用問題の話をし ましたが、政治を変えることがこれだけ全国的な問題になって いる、その政治を変えてこそ大経営の雇用の問題でも中小企業 の問題でも解決の見通しがひらける、そこまでみんなの身近な 問題と政治とのつながりがはっきりしてきているときです。
 …だからいま、”要求ではたたかいに立ちあがってもらえな いが、共産党支持ならやってくれる”というところに、活動の うえで一つの要となる点があります。
 共産党支持を思いきって広げ、労働者の要求もエネルギーも 、そこへまとめて政治を変える力にするならば、それが労働者 がいま職場にもっている力を、日本の政治を変える力として大 いに発揮する道になります。そこに自信をもって活動してほし いということを、今日は一言、そういう悩みにこたえる問題と していいたいと思っているのです。(拍手)
 ”経済闘争をやって、そのなかで自覚が高まり、政治闘争へ 発展する”という図式がよくあるのですけれども、世の中はそ ういう図式どおりには動かないのですね。政治の問題で矛盾が 鋭くあるときには、そこにあらゆる力が集中して、そのことが 経済を変える力にもなる瞬間ということがあるもので、今はま さに、そういう瞬間だということをよくわきまえて活動したい と思います。」(不破哲三 2000年総選挙を前に行なわれ た、「全都・党と後援会総決起集会」での基調報告より)

1.
 2007年7月の参議院議員選挙で自民党は大敗、公明党も 議席を後退させ、参議院は野党が過半数を制した。
 とはいえ、一口に野党といっても、民主党以外の野党各党は もともと僅かな議席を維持したに過ぎないか、あるいはそれす らままならず、議席を後退させさえした。だから、参議院での 野党過半数は、ひとえに、民主党の躍進に負うものである。民 主党単独での過半数ではないとはいえ、参議院を民主党が事実 上主導することになるのは、必然的なことであろう。そして参 議院での民主党の躍進と主導権確立のもと、早くも新自由主義 的・帝国主義的路線のゆり戻しのきざし、あるいは可能性が政 治に現れ始めたかに見える。そしてこれらのことはいずれも、 二大政党体制の確立がもたらした、ひとつの帰結であった。
 自民党・与党連合がここまで大敗を喫したのも、政権批判の 逆風を、民主党が二大政党の一方、野党側の党として、ほとん ど独占的に追い風として集約できたからである。しかも、98 年参院選での与党過半数割れを自由党・公明党との連立で挽回 された時ような、取引するに足るだけの議席数を持つ取引可能 な野党第二党以下も、二大政党体制の確立、つまり、野党が事 実上民主党へ集約され、他のすべての野党があまりにも弱小化 したことによって、消失してしまった。
 また、二大政党体制の下での二大政党の競合の図式は、民主 党に自民党、そして自民党を与党とする政権への対抗関係を作 り出し、ひいてはそれらが遂行しようとする個々の諸政策への 対決へと向かわせる。より慎重な言い方をするにしても、この 図式はそのように作用しやすい、とは言えそうである。
 だが、このような事態を前に、

「今回の選挙での自公政治にたいする国民の審判は、それにか わる新しい政治の方向と中身を探求する新しい時代、新しい政 治的プロセスが始まったことを意味するものです。」(共産党 常任幹部会声明)

とまで言ってしまうのは、果たして妥当なことだろうか?
 振り返ってみれば、いわゆる55年体制の時代、衆参いずれ においても野党が過半数を制するという事態はほとんどなかっ たが、にもかかわらず、帝国主義的な、あるいは今日で言うと ころの新自由主義的な諸政策の遂行は、少なくとも現在から比 べれば、ずいぶん抑制されていたように思えるし、遂行される にしても、それらは当初から大きな制約や頑強な抵抗を受けざ るを得なかったように思える。
 これは単なる「昔は良かった」式の、ありふれた詠嘆に過ぎ ないのだろうか?

2.  98年参院選による参議院の与党過半数割れは、今日の構造 改革路線の先駆けとも言うべき橋本行革・財政再建路線のゆり 戻しをもたらした。
 もっとも、参議院の野党過半数は一年余りで終わり、ゆり戻 しについても野党が強力な主導権を発揮した結果というよりは 、橋本内閣の総辞職を受けて成立した自民党の小渕内閣によっ て、一部野党(自由党・公明党)からの協力・政権参画を得て 遂行されたものだった。これは、98年がまだ二大政党体制へ の移行期であり野党陣営の集約化が進んでいなかったこと、自 民党もまた、衆議院での小選挙区制実施から日が浅いこともあ って、55年体制下同様の党内擬似政権交代機能が比較的強く 発揮し得たこと、にもよるだろう。そして、ゆり戻しの方法も また、昔ながらのバラまき的なものではあったが、とにかく、 ゆり戻し自体は遂行された。
 だが、小渕内閣には他にも見落とせない点がある。後の「構 造改革」において、小泉と並ぶ象徴的人物である竹中平蔵と奥 田碩を、新たに設置した経済戦略会議の委員として登用し、政 権中枢の基本的な政策方針の決定に直接関与させたのも、ほか ならぬ小渕内閣だったのである。また、労働法制の改悪によっ て本格的に「雇用の流動化」への道を切り開いたのもこの内閣 であった。
 ここであらためて「ゆり戻し」という語の意味を考えてみよ う。ゆり戻しとは、過度にものごとが進んでいったとき、それ を逆方向に引き戻す力が働くことである。  それは、これまで進んできた路線そのものの根本的転換を意 味しない。
 小渕内閣は決して、橋本行革・財政再建路線構造改革を受け 継ぎ後の構造改革へとつながる路線を、つまりは新自由主義的 な路線を、放棄したわけではなかった。それらは放棄されるこ とがないまま、まずは新自由主義的諸政策の遂行によって生じ た経済不況の立て直しが、つまり、後の構造改革で言うところ の<痛み>の緩和が―財政的バラ撒きという旧来型の手法によ ってではあったが―図られたのだった。そしてそのような<ゆ り戻し>の一方で、そもそもゆり戻しをもたらす端緒となった 、参議院での野党の主導権、参議院での野党の過半数は、崩壊 した。

3.
 98年参院選で大きく躍進した共産党は、野党の中でも相対 的に最も鋭く、政策的・イデオロギー的に帝国主義・新自由主 義の路線と対立する立場にあった。その躍進の実態について、 当時の共産党委員長、不破哲三は次のように語っている。

「ある地区委員長の方がいうのですよ。”経営での活動がなか なかたいへんなのだ。要求がいっぱいあるから要求でたたかお うといっても、なかなか立ちあがってくれない。しかしそうい う人たちに選挙で共産党を支持してくれというと、支持はして くれる”と。
 私はその話を聞いて、実はそこに一番大事な問題があると思 いました。
 というのは、今日の経営の実情をみますと、会社がおかれて いる状況や、組合の動きからみても、要求をもって職場で立ち あがって、そこで闘争の見通しをひらくということには、なか なかむずかしい問題があります。…”経済闘争をやって、その なかで自覚が高まり、政治闘争へ発展する”という図式がよく あるのですけれども、世の中はそういう図式どおりには動かな いのですね。」

 この発言は直接には98年参院選について語ったものではな い。しかし、98年参院選を含む90年代後半の共産党の選挙 躍進の内実、ひいては98年参院選による参議院野党過半数と いう事態がはらんでていた「一番重大な問題」を、示唆してい る。
 55年体制下、衆参いずれにおいても野党が過半数を制する ことはほとんどなかったが、それでも帝国主義的・新自由主義 的路線が大きく制約されていたのは、ひとつは、保守層、自民 党支持層の少なくない部分まで含めた国民の広範な層に、帝国 主義的・新自由主義的路線とは本質的に異質な、平和主義的、 あるいは平等主義的な感覚―「思想」といえるほどには、明確 でも自覚的でもなかったとしても―が共有されていた(逆に言 うと、そのような感覚を持つ層からの支持も一定確保しないこ とには、自民党が議会の過半数や政権を保持することは困難だ ったとも言える)からであり、そしてもうひとつは―「選挙で 共産党(なり社会党なり他の野党)を支持してくれというと、 支持はしてくれる」というだけに止まらない―帝国主義的・新 自由主義的路線と対立する経済的な要求や政治的な要求をもっ て日常から立ち上がってくる運動が、与野党いずれにとっても 無視し得ない強さと広がりを持って存在していたからである。
 98年参院選における野党過半数には、まずそのような―橋 本行革・財政再建路線、ひいては新自由主義そのものと対立す る経済的な要求や政治的な要求をもって日常から立ち上がって くる―大衆的な運動、社会的な連帯行動の、強さ、広がりがま ったくといっていいほど欠如していた。大衆的な運動、社会的 な連帯行動の支えも圧力も欠いている以上、たとえ数の上では 野党が過半数を制していたとしても、質において、55年体制 下の野党よりも脆弱とならざる得ないことは、否めなかった。 そして事実、野党は橋本行革・財政再建路線を根本から転換さ せる力とはなれなかった。例えば共産党の場合、「要求がいっ ぱいあるから要求でたたかおうといっても、なかなか立ちあが ってくれない」圧倒的多数の人たちに、「要求ではたたかいに 立ちあがってもらえない」ことはそのままに、選挙での共産党 支持だけを「思いきって広げ」ようとして、むしろ帝国主義・ 新自由主義の路線を根本から転換する政策的・イデオロギー的 立場を後退させさえしたのだった。
 当時の他の野党についても見てみよう。
 民主党は一面では自民党以上に「構造改革」の党であった。 議席数で共産党とほぼ拮抗する公明党のスタンスは日和見的な ものだった。自由党は野党の中でも新自由主義的・帝国主義的 傾向が明確だった。社民党は公明党よりはまだしもそのスタン スは共産党に近かったが、依然社会党崩壊時の政策的動揺ぶり から脱していなかった。これら新自由主義へのスタンスが異な る野党各党の総和―それが、98年参院選がもたらした、参議 院の野党過半数だった。そこには橋本行革・財政再建路線への 不満と取りあえずの反対以上の一致点は見出しえなかった。そ う考えると―自由選挙による議会の構成が、国民の全体的傾向 としての意識、社会の意識を体現するとすれば―98年参院選 で野党過半数を実現した国民の意識もまた、そもそも、けっし て橋本行革・財政再建路線への不満と取りあえずの反対以上の ものではなかったのではないか?そしてなにより、新自由主義 的路線と対立する政治的な要求や経済的な要求を掲げて闘われ る運動の停滞振り―「ある地区委員長の方がいうのですよ。” 経営での活動がなかなかたいへんなのだ。要求がいっぱいある から要求でたたかおうといっても、なかなか立ちあがってくれ ない…”」―自体、国民の多数、国民の広範な層に新自由主義 的路線、橋本行革・財政再建路線の完全な放棄と根本的な転換 の必要性がいまだ認められていなかったことの現れではなかっ たか?
 98年参院選は橋本行革・財政再建路線のゆり戻しはもたら したが、その根本転換はもたらさなかった。だからこそ小渕、 森、二代の内閣による旧来型のばら撒き財政政策が限界に達し 、小泉によって構造改革路線へと舵が切られたとき、それは、 かつての橋本行革・財政再建路線以上に新自由主義的方向に踏 み込んだものとなった。そして、小泉の構造改革路線が国民の 圧倒的支持のもとスタートしたのも、98年参院選以降も国民 多数派の中で新自由主義的路線の全面的放棄の必要性が認めら れておらず、依然としてそれへの対決・根本転換を求めるまで の意識は形成されていなかったからだとすれば、理解に難くな いことであった。
 国民の多数、国民の広範な層は、橋本行革・財政再建路線の ゆり戻し以上のものまでは、依然として望んではいなかった。 だから、98年参院選による参議院の野党過半数という事態に よって体現された国民多数派の意思は、橋本行革・財政再建路 線のゆり戻しが―どんな形であれ―もたらされた段階で、おお むね達成されてしまったのだった。そう考えれば、参議院での 野党過半数が橋本行革・財政再建路線の、つまりは新自由主義 的路線そのものの、根本的転換をもたらすことなく崩壊したの も、必然的なことであった。そして野党が、せっかくの参議院 での過半数を生かして、せめてより大きなゆり戻しや旧来型の バラまきではないゆり戻しを遂行することすらできなかったの は、野党のそういった行動を<支え>、あるいは野党にそうい った行動を<強いる>力がほとんど働かなかったからだった。 そのような力―「選挙で共産党(なり他の野党なり)を支持し てくれというと、支持はしてくれる」というだけに止まらない ―経済的な要求や政治的な要求をもって日常から立ち上がって くる運動―は、この時、社会の片隅に追いやられ、逼塞してい た。

4.
 旧来の利権構造に程度の差はあれ組み込まれているであろう 多くの自民党員・活動的支持者が、構造改革の推進を掲げる小 泉を支持したのは、まずは自民党の権力を維持し、その自民党 の権力にしがみつくことで自分たちだけは構造改革の<痛み> を回避し、もしくはできるだけ緩和しようという、彼ら彼女ら にとってはそれなりに現実味のある(ように思えた)判断によ るものだった。だが、構造改革の進行はそのような判断に現実 味を感じさせる余地を失わせていった。一方で、二大政党体制 の確立によって民主党が自民党に拮抗する力量をもった党とし て登場し、自民党との競合上、政策的にも自民党と対立する傾 向を見せるようになっていった。民主党に政権を担わせ、ある いは少なくとも自民党に対しより強力に拮抗させることが、従 来の自民党支持層にとっても、自らの利害を考える上で現実的 な選択肢のひとつとなっていった。しかも、自民党には200 7年7月の参院選での大敗をうけても安倍を総理・総裁から引 き摺り下ろそうという動きがほとんど起こらなかった。それは 、かつて党内での擬似政権交代によって自らゆり戻しや軌道修 正を図ってきた自民党の能力の低下を感じさせるものだった。 そしてそれを埋め合わせるかのように、自民党の外では、民主 党が、政権奪取にあと一歩まで迫って来たのだった。
 それは、「自公政治…にかわる新しい政治の方向と中身を探 求する新しい時代、新しい政治的プロセス」(共産党常任幹部 会声明)を、果たしてもたらすだろうか。

5.

「今回の選挙での自公政治にたいする国民の審判は、それにか わる新しい政治の方向と中身を探求する新しい時代、新しい政 治的プロセスが始まったことを意味するものです。」(共産党 常任幹部会声明)

 「新しい政治の方向と中身を探求」し、「新しい時代、新し い政治的プロセス」を始める、とは、単なる構造改革のゆり戻 しではありえない。構造改革の<過度に進んでいった>分を、 <逆方向に引き戻す>だけでは、「政治の方向と中身」が変わ ったことにはならないし、それでは「新しい時代、新しい政治 的プロセスが始まった」とは言えない。今日において「新しい 政治の方向と中身を探求」するとは、帝国主義的、新自由主義 的路線と対峙し、その放棄と根本的転換を「探求」することに 他ならない。それ抜きに「新しい時代、新しい政治的プロセス が始ま」ることはありえない。
 では、そのために必要な条件とはなんだろう?
 まず、国民の多数、国民の広範な層の間に、―ゆり戻しでは なく―帝国主義的、新自由主義的路線そのものの全面的な拒否 と完全な放棄の必要性が認められなければならない。そして― 選挙のときに、どの党派を支持するとかしないとかいったこと にとどまらない―帝国主義的、新自由主義的路線と対立する政 治的、経済的要求をかかげて闘われる運動が、誰もが無視し得 ない強さと広がりを持って立ち上げられなければならない。
 この二つを抜きに、「新しい政治の方向と中身を探求する新 しい時代、新しい政治的プロセスが始ま」ることはありえない 。いかなる党派であろうとこの二つを抜きに「新しい政治の方 向と中身を探求する新しい時代、新しい政治的プロセス」を始 めることはできない。
 帝国主義的、新自由主義的路線と対立する政治的、経済的要 求をかかげて闘われる運動は、今日なお、誰もが無視し得ない 強さと広がりをもち得ているとは言い難い。帝国主義的、新自 由主義的路線の転換にまで行き着かざるを得ないような「要求 (は)いっぱいある」が、90年代後半に共産党のある地区委 員長が嘆いた「要求でたたかおうといっても、なかなか立ちあ がってくれない」という状況は、大筋において、今も変わらな い。構造改革の脅威は、すでに少なからぬ人にとって日常と化 し、多くの人にとってもいつ日常化してもおかしくないところ にまで迫っているが、構造改革に対する闘争の方は、多くの人 にとって依然、日常とは遠いところにある。
 もちろん、2007年7月の参院選で、これまで構造改革を 推進してきた与党が過半数割れを喫したことは、構造改革に対 する国民多数派の意思表示と言えるかもしれない。しかも、国 政選挙の結果のほうが、生活を抱えながら要求を掲げて地道に 社会運動を闘っていくよりもはるかに即効性があって、政治・ 社会の大きな変革ももたらしそうだ。それについてはあの不破 哲三も、

 「今日の経営の実情をみますと、会社がおかれている状況や 、組合の動きからみても、要求をもって職場で立ちあがって、 そこで闘争の見通しをひらくということには、なかなかむずか しい問題があります。…”経済闘争をやって、そのなかで自覚 が高まり、政治闘争へ発展する”という図式がよくあるのです けれども、世の中はそういう図式どおりには動かないのですね 。政治の問題で矛盾が鋭くあるときには、そこにあらゆる力が 集中して、そのことが経済を変える力にもなる瞬間ということ があるもので、今はまさに、そういう瞬間だ…」

と(いつだったか)言っていたではないか。
 だが、そう結論を急ぐ前に、2007年7月の参院選につい て、もう少し慎重に考えてみてもいいのではないだろうか?と りわけ、国民多数派の構造改革に対する意思表示の内容をより 具体的に体現するのが、主として民主党の躍進であったとすれ ば、民主党の構造改革に対するスタンスというものを―「生活 が第一」という選挙コピーだけでなく―もっと詳しく見ていく 必要もあるのではなかろうか。
 2007年参院選マニフェストと並ぶ民主党の基本的な政策 文書、「政権政策の基本方針(政策マグナカルタ)」を見ると 、そこには帝国主義的・新自由主義的政策と反帝国主義的・反 新自由主義的政策がモザイクのように入り混じっている。

「日本は国際社会において米国と役割を分担しながら、その責 任を積極的に果たしていく。さらに、真の日米同盟の確立を促 進するために、米国と自由貿易協定(FTA)を早期に締結し、 あらゆる分野で自由化を推進する。」
「世界貿易機関(WTO)において貿易・投資の自由化に関する 協議を促すと同時に、アジア・太平洋諸国をはじめとして、世 界の国々との投資・労働や知的財産権など広い分野を含む自由 貿易協定(FTA)締結を積極的に推進する。それに向け、農業 を含む政策を根本的に見直すことで、わが国が通商分野で国際 的に主導権を発揮する環境を整える。」
「自衛権は、これまでの個別的・集団的といった概念上の議論 の経緯に拘泥せず、専守防衛の原則に基づき、わが国の平和と 安全を直接的に脅かす急迫不正の侵害を受けた場合に限って、 憲法第9条に則り、行使する。」
「国連の平和活動は、国際社会における積極的な役割を求める 憲法の理念に合致し、また主権国家の自衛権行使とは性格を異 にしていることから、国連憲章第41条及び42条に拠るもの も含めて、国連の要請に基づいて、わが国の主体的判断と民主 的統制の下に、積極的に参加する。」
「現行の事業規制は全てゼロベースで見直し、民間事業活動に 関する規制を撤廃する。」
「個別補助金の全廃と特殊法人等の廃止・民営化により、財政 支出の大幅な削減を実現すると同時に、本来民間で行うべき事 業から政府が撤退し、民間の領域を拡大することで、経済活動 を一層活発にする。また、資産性所得に対する課税水準の適正 化を図りつつ、株式の長期保有に対する一定の配慮によって「 貯蓄から投資へ」の流れを促進し、健全な市場の発展に努める 。それらによって日本経済を持続的成長の軌道に乗せる。」
「日本国憲法に非常事態の規定そのものがないことから、憲法 や法律に基づかない「超法規的措置」による基本的人権の制約 などが行われないよう、法制度の欠陥を速やかに是正する。」

 参院選マニフェストでは、上のような文言中の帝国主義的、 新自由主義的な部分はほとんど目に付かない。あくまで反構造 改革的政策が前面に押し出されている。しかし、

 「わが国社会の活力を高め、成熟した経済・社会を維持して いくために、自由で透明な開かれた経済・社会の実現を推進す る。政府は、市場に直接介入して統制することを最小限にとど め、公正なルールの策定と運営に当たる。
 同時に、自由な競争は、社会の安定を保障するセーフティネ ットの確立が大前提であると考え、その整備を進めて格差をな くし、様々な人たちがともに生き、すべての国民が安全・安心 の生活を送ることのできる社会をつくることを、民主党政治の 最重要課題とする。」

という「政権政策の基本方針(政策マグナカルタ)」の「はじ めに」中の一文を見る限り、民主党にあっては反構造改革的諸 政策は、あくまで「セーフティーネット」、「自由な競争」の ためのひとつの条件、という位置づけであることは疑いえない ように思われる。
 それに、民主党が反構造改革的政策を取り入れるに至った過 程、要因は、まずなによりも、二大政党体制がもたらす―構造 改革の党=自民党との差異化を迫られる―二大政党間の組織的 対立構造によるものが大きかったとは言えないだうか?国民多 数派や民主党支持層、あるいは民主党がその支持を得たいと思 っている層自身による、積極的、主体的、能動的活動の成果で あったとは言い難いものではなかっただろうか?つまり、民主 党の反構造改革的政策の採用はもっぱら、―帝国主義的、新自 由主義的路線や構造改革と対立する政治的、経済的要求をかか げて闘われる運動の主導・強制によるものではなく―いわば我 々の頭ごなしに、民主党自身の主導権の下に行われたようなの である。それはつまり、民主党が今後反構造改革的政策の遂行 を迫られる段階においても、国民多数派や民主党支持層、ある いは民主党がその支持を得たいと思っている層自身からの積極 的、主体的、能動的活動によって、その遂行が<支えられ>、 あるいはその遂行が<強いられる>こともない、ということで ある。
 それでも、民主党はあくまで、反構造改革的政策を遂行でき るのであろうか?
 それでも、我々は民主党に、あくまで反構造改革的政策を遂 行させることが出来るのであろうか?

6.
 2007年参院選での民主党の躍進と参議院での主導権確立 のもと、早くも現れ始めたかに見える新自由主義的・帝国主義 的路線のゆり戻しのきざし、あるいは可能性を確実なものにす るためには、民主党が自らかかげた反構造改革的政策をあくま で遂行していかざるを得ないような、一種の<強制力>が、民 主党に対して行使されなければならないだろう。民主党は今回 の参院選で、反構造改革的政策を掲げることで国民多数派の支 持を得たといえる。しかしその支持はあくまで、民主党が反構 造改革的政策を遂行する限りのものであらねばならないし、そ のことを、我々は常に、民主党に思い知らせておけるようにな らなければならない。民主党を支持するのは、反構造改革的政 策を遂行する上で民主党より他に頼れる力がない、という<弱 さ>からであってはならず、あくまで、反構造改革的政策を遂 行する上では今のところ民主党の力<も>あったほうがより良 いから、という理由からでなければならない。また、今現にあ る民主党の帝国主義的、新自由主義的部分から目をそらしても いけない。民主党の、今現にある帝国主義的、新自由主義的部 分に対しては、それ以外の部分との間に分岐と亀裂を作り出し 、分断し、反構造改革的政策の採用・遂行が妨害されることが ないよう、徹底的にけん制しておかなければならない。そして 出来れば、民主党から一掃してしまえなければならない。
 これらの課題を担いうるのは、結局のところ、―民主党なり なんなりを選挙で「支持してくれというと、支持はしてくれる 」というだけに止まらない―帝国主義的・新自由主義的路線や 構造改革と対立する経済的な要求や政治的な要求をもって日常 から立ち上がってくる運動以外、ありそうにない。
 また、2007年参院選での民主党の躍進と参議院での主導 権確立のもと、早くも現れ始めたかに見える新自由主義的・帝 国主義的路線のゆり戻しのきざし、あるいは可能性を、単なる ゆり戻し、<過度に進んでいった>分を、<逆方向に引き戻す >だけにとどめることなく、根本的な転換にまで発展させるた めには、国民の多数、国民の広範な層の間に、帝国主義的、新 自由主義的路線そのものの全面的な拒否と完全な放棄の必要性 が認められるようにならなければない。
 そしてそれを実現し得るのも、結局のところ、―民主党なり なんなりを選挙で「支持してくれというと、支持はしてくれる 」というだけに止まらない―帝国主義的、新自由主義的路線と 対立する経済的な要求や政治的な要求をもって日常から立ち上 がってくる運動であり、その強化であり、その拡大であり、そ れ以外には、ありそうにないのである。

7.
 今、共産党が本当に取り組まなければならないのは、構造改 革や新自由主義、帝国主義の諸政策による人々の困難や不満を 、自らの議席や得票に―いきなり、全て、直接―結びつけよう などとすることではなく、まずは何よりも、経済的な要求や政 治的な要求をもって日常から立ち上がっていく運動へとつなげ 、広げ、強化していくことである。
 もちろん、選挙での共産党の議席・得票が大事ではないとま では言わない。とりわけ、今現に民主党よりも革新的、左翼的 、帝国主義・新自由主義に批判的な党が国政からすます縮小し ていった方が、かえって民主党が<左にウイングを広げやすい ・左にウイングを広げていく>などという見通し―否、寝言は 、浮世離れした妄言・たわ言の類に過ぎない。しかし、共産党 自身が、国政選挙において大半の選挙区で議席を争うまでの水 準に達していないことを認め、したがって比例を軸に選挙を闘 うことを方針としながら、ほぼ全ての選挙区に候補者を擁立し 、その一方で、例えば今回の参院選の比例名簿搭載者17名の 大半にほとんど候補者活動らしい活動をさせないというのは、 共産党自身の選挙方針からしても非効率的であり、人材、資金 を二重に浪費している。ならばいっそ選挙区選挙からは大幅に 撤退し、その分17名の比例候補者に、あるいは選挙区選挙か ら大幅に撤退する分もう少したくさんの比例候補者に、全国を 地域割して担当させ、担当地域に選挙区選挙並に密着する綿密 な候補者活動を課すとかした方が、はるかに比例を主戦場とす る選挙方針にも適いそうである。
 そもそも自由選挙による議会の構成は、その時点での国民の 全体的傾向としての意識、社会の意識を体現するのだから、ど のような選挙対策、選挙方針、選挙戦術によっても、その時点 での国民の全体的傾向としての意識、社会の意識から逸脱する ような選挙結果はもたらしえない。国民の多数、国民の広範な 層の間に、帝国主義的、新自由主義的路線そのものの全面的な 拒否と完全な放棄の必要性が認められ、より革新的、左翼的、 帝国主義・新自由主義に批判的な主張が受け入れられるように なるまでは、構造改革に対する不満が、人々に、より革新的で なく、より左翼的でなく、帝国主義・新自由主義により批判的 でない、民主党への支持へと向かわせることは―とりわけ、選 挙近くなってからだけの単発キャンペーン的宣伝活動によって は―基本的に阻止しがたい傾向なのである。だから、むやみに 全区立候補に固執してそこに投下する組織・人材・資金がある のなら、共産党は思い切ってそれを、まずは大衆運動分野、社 会運動の分野にこそ振り向けなければいけないのである。
 それに、構造改革への不満が民主党支持に向かったとしても 、それは何も、構造改革、あるいは帝国主義・新自由主義と対 立する要求をかかげて大衆的な運動や社会的な連帯による闘い を立ち上げていくことが、今以上に難しくなるということでは ないのである。
 2007年7月の参院選で自民党が大敗した直接の原因は、 多くの場合、支持層を固め切れなかったことによるものだった 。支持層を固めきれなかった、というのは、支持層自体が縮小 した、ということではなく、自民党支持はそのままに、今回の 選挙では民主党に投票した、という人が相当数出たということ である。なぜそんなことが起こったかといえば、今回の選挙で 、年金や農家の経営にかかわる政策(政府の「品目横断的経営 安定対策」への不安、不満、批判)といった、切実な生活要求 に密接した問題が大きな争点とならざるを得なかったからであ る。つまり、切実な生活要求は、支持政党の大きな変動抜きで も、要求の下に既存の支持政党の枠を超える多数を結集しうる のである。もちろん、切実な生活要求を―選挙で民主党を支持 するといったことにとどまらない―日常の場からの大衆的運動 、社会的連帯行動にまでつなげていくことは、依然として困難 であることに変わりないだろう。だが、二大政党体制がすでに 確立してしまった現在、構造改革や新自由主義、帝国主義の諸 政策による人々の困難や不満を現時点で直接、共産党の議席や 得票に結び付けようとすることと比べれば、まだしも見通しが 立ちそうではなかろうか。それに、そのような運動や行動を強 化し、広げていく活動は、国民の多数、国民の広範な層の間に 帝国主義と新自由主義の路線そのものの全面的な拒否と完全な 放棄の必要性が認められるようになる展望、より革新的、左翼 的、帝国主義・新自由主義に批判的な主張が受け入れられるよ うになる展望を切り開いていくことに他ならない。また、それ でこそ、共産党の議席や得票が―90年代後半のような一過性 のバブルではなく―着実に拡大していく可能性も開かれうるで あろう。
 もっとも、議席や得票云々は、結果的にはそういうことにも なり得るという話であって、構造改革や新自由主義・帝国主義 と対立する政治的、経済的要求を持って闘う大衆的運動、社会 的連帯行動、そしてそれらを強め、拡大していくための活動は 、―いかなる特定党派の伸長ともかかわりなく―それ自体独立 した意義、ゆるぎない価値を持つものであることは、言うまで もない。