1、はじめに
6月11日に、民主党、社民党、日本新党は首相問責決議を参議院に提出し
131対105で可決、成立している。総理大臣の問責決議案可決は現憲法下で
初のことであるという。福田政権は可決されても法的拘束力がないことを理由に
無視を決め込んでいたことや会期末であるため、戦後初の可決成立でありなが
ら、大手各紙も指摘するように緊張感のない会期末国会になったようである。
さて、問責決議の評価であるが、提出した当事者は問責決議を重く受け止め解
散・総選挙を行い民意を問えというし、与党は衆議院で首相信任決議を採決・可
決させて参院問責決議の意義を否定している。
ここで検討したいのは、野党の共産党(jcp)が問責決議案提出に加わら
ず、採決では賛成しているが、野党3党の問責決議提出について公然と批判して
いたことである。その批判の論点を参考にしつつjcpの対応を検討してみた
い。
2、問責決議をめぐる各紙の見解
まず、大手各紙の評価を一瞥しておこう。問責決議は法的拘束力はなく、会期
末に提出したことから見てもセレモニー的なものであり民主党の党利党略にすぎ
ないとするもので、読売、産経の論調がそうである。日経は読売と同様の論点を
主張しつつも、「ねじれ国会」の弊害を解決するためにもいつまでも解散総選挙
を引き延ばすわけにはいかないだろうという。もう一つの流れは、問責決議は法
的拘束力はないが、両院の一院、しかも最新の民意を反映した参議院の決議であ
るだけに重く受け止めるべきであるとし、解散・総選挙で民意を問うべきだとす
るものである。朝日、毎日、東京(中日)がこの主張に与するが、いずれも国会
審議を軽視することには注意を促している。
3、問責決議をめぐるjcpの見解
さて、jcpの主張であるが、jcpは11日に問責決議が出される前日の国
会記者会見で市田がjcpの態度を表明している。11日の「赤旗」の記事によ
れば次のようになる。
1、福田首相は問責に値する。2、問責決議は重いものだから、その効果が十分
発揮できるときに出すべきで、今は時期尚早である。3、何度も出せる提案では
ないので軽々しい提案では「重要なたたかいの手段を失う」。4、今は国会論戦
と国民世論の喚起で政権を追いつめていくべきである。5、特に後期高齢者医療
制度を廃案に追い込むために国会審議で内容を十分明らかにする必要がある。
6、5の問題では野党4党合意で十分な審議を尽くすと決めながら十分な審議も
ないままに職権で採決日程を決めるようなことは自民党同様の「暴挙だ」。7、
また党首討論も中止され、国会審議が軽視される一方で宇宙基本法や国家公務員
基本法などの悪法の成立に手をかす姿は「客観的には(民主党が)自公政治を助
ける役割を果たしている。」8、民主党は「対決型」に転換するなどと言い、党
略的である。
翌日の採決直前の議員団総会で志位が市田見解を繰り返したうえで新たに付け
加えた点(「赤旗」6月12日)は次のことである。
9、jcpは問責決議案に賛成するが共同提案に加わらない。
jcpの主張は議論の大枠から言えば、朝日、毎日の流れに属するが、「7」
にあげた点はjcp独自のもの、「8」は読売、産経が力説してやまないもので
ある。
「2」から「8」までの論点を見る限りでは、とても問責決議案に賛成できる
ような主張ではない。にもかかわらず、問責決議案に賛成したところにjcpの
苦しい立場が端的に表れていると言えよう。
4、jcpの見解表明にみる手続き上の問題点
まず、事態の経過を簡単に見ておこう。jcpは民主党が問責決議案を提出す
るという情報を得て、10日に国会記者会見を開き、決議案提出に関わる上記の
市田見解を表明している。決議案提出の場合は事前に相談するとされてきたが、
「いまだに相談がない」というのであるから野党間の協議にもとづく決議案提出
決定『前』の見解表明であることは明らかである。
『前』であることは形式的な手続き上のこととはいえ重要なことで、協議によ
る決議案提出が決定された『後』の場合とは異なり、jcpとしては自由な見解
表明が可能であると言えよう。その意味では市田の見解表明は野党間の共同と自
主性についての常識的ルールを踏み外すものではない。
会見後、国対委員長の穀田が他の3党に対して協議を申し入れ、「11日正午
に開催」と決まっている。そして、翌11日、志位が党国会議員団総会で挨拶
し、上記市田の見解に加えて「9」の論点を表明しているわけである。志位はそ
の挨拶の中で、4野党の会談では「決議案の提出は適切ではないと表明してきま
した。」と言っているのであるから、志位の挨拶は野党4党の協議で問責決議案
の提出が決まった『後』の問責決議案批判となることは明瞭である。
しかも、この議員団総会はおそらく記者に公開されているはずで、翌12日の
「赤旗」にも挨拶が掲載されているのであるから、志位の挨拶は4党協議『後』
の公開の問責決議批判であると言わなければならない。
市田も志位の挨拶も内容は同じようなものだが、野党間の共同と自主性の常識
的ルールに照らすとき、両者は厳格に区別されるべきで、協議『後』の問責決議
を批判する志位の見解表明は一定の拘束を受けると言うべきである。問責決議提
出に無関係な第3者のような自由な批判はするべきではない。
というのは、第一に、jcpは問責決議に賛成投票をするというのであるか
ら、問責決議可決の重さ、その政治的効果を減殺させるだけの問責決議への批判
をするべきではないからである。わかりきった道理である。第二に、問責決議の
提出・可決に向けて共同する意思がある者が協議をしているのであるから、自分
の意見が通らなかったからといって、協議で決まったことに対して、無関係な第
3者のような自由な批判を公然とするべきではあるまい。協議参加者は、問責の
意思の実行とその効果を害する言動は控えるべきであることも当然である。
こういうことは、政党間の共同と自主性のルールとか原則とかいうようなむず
かしい理屈を考えなくても常識的にわからなければならないことである。手続き
上の観点から見て、野党間協議『後』に問責決議案提出批判を繰り返す志位の見
解表明は論外である。
5、jcp指導部の発想=そのディレンマ克服法
問責決議提出が決まり、自らも問責決議に賛成しているのであるから、jcp
のとるべき態度はただひとつ、問責決議の重さを損なわないようにし、その重要
性をアピールできるような対応を選択することだけである。決議案が提出されれ
ば、参議院では可決されることがわかりきっているのだから、協議『後』も問責
提出を繰り返し批判していては問責決議の重みに傷が付くだけである。問責決議
に賛成していながら、これでは本末転倒である。jcp指導部はこんな簡単なこ
とがわからない。
あれこれの政党間の共同と自主性云々のルールなどわからなくても、常識的に
考えるだけでわかることなのだが、どうして、このようにjcp指導部のやるこ
とは本末転倒になるのであろうか?
それはjcpが自民党と「同種・同類の党」、「同じ穴のムジナ」とみなす民
主党とある種の共闘関係にあることが、志位ら指導部に一つのディレンマになっ
ているからで、そのディレンマを克服しようとして本末が顛倒してしまうのであ
る。
本来ならばjcp主導で問責決議を出すことが理想なのだが、実際は民主党主
導である。そのためにjcpから見れば「2」から「8」で指摘したような欠点
がつきまとう。問責決議は可決したいが単独では何もできず野党共同でやるほか
なく、他方では黙って民主党主導に従っていてはjcpが民主党の陰に埋没する
ばかりか、時期尚早の問責決議の悪影響を受けかねない。これが現在のjcpが
抱えるディレンマなのである。
そこでjcpは問責決議には乗るものの、「2」から「8」の欠点への批判は
繰り返し公表してjcpだけはこの欠点が原因で受ける批判・悪影響をあらかじ
め回避できるようにしておく。そうすれば、弱小政党なりと言えども、問責はで
きたし、民主党主導にまつわる欠点でも事前に是正すべく努力したことを国民に
アピールできjcpの独自性も発揮できたことにもなる。民主党が党利党略で時
期尚早に出した問責決議の欠点(どろ)をjcpがかぶる必要はないと志位らは
計算するわけである。
弱小政党とはいえ、工夫次第で、そのディレンマを克服できjcpの野党とし
てのかけがえのない独自性、その存在意義を発揮させることができたと、志位ら
は胸を張っているのであろう。しかし、市田見解表明までは許容範囲内である
が、問責決議提出決定『後』の志位の批判で限度を越え、本末が顛倒してしまっ
た。
6、判断基準としての政治情勢の特徴
志位らの対応は、今の政局とそこにおけるjcpのディレンマしか見ていな
い。欠陥だらけの民主党主導の問責決議の提出という政局の中で、問責に賛成し
ながらも民主党主導に埋没せずに事態を乗り切ろうとするだけの対応だからであ
る。
この対応の欠陥は、政治革新に向けてjcpとしてどういう対応をするべきか
という視点がないことである。
国政に立ち向かうスタンスが絶えず不安定で、大局観で対応したり、小局とい
うべき政局のそのまた一部にすぎないjcpのディレンマへの対応が中心になっ
たりしている。どのスタンスで対応するかは不破や志位の胸先三寸というわけな
のだが、ここでもjcp指導部の本領(「共産党指導部のサークル化・・・
(5)」の「30」理論政策欄2008/06/)と指摘してきた”受動性”が顔
を出している。敵を攻めることより、いつのまにか、おのれに降りかかりそうな
火の粉を払うほうに夢中になってしまうのである。
ここは是が非でも個々の政局・小局を越える視点、jcp指導部が好きな大局
観から事態を眺める必要があったのである。jcp指導部の大局観のスパンから
すれば”中局観”ということになろうか。具体的に言うと、今の政局を含めて政治
情勢は刻々と衆議院解散・総選挙へと進んでおり、この流れは任期3年目を終わ
ろうとする今日、誰にも止められない流れになっているということである。どん
なに遅くとも1年余で総選挙がやってくるのであるから、ここで一番大事なこと
は福田政権を少しでも不利な状況に追い込んでおくことである。この視点から政
治対応を決めなければならない。
先の参議院選で自民党が過半数を割るだけで政治情勢が大きく変わり、安倍改
憲ロードマップが吹き飛び、数々の国民運動が一定の成果を獲得し、惨敗した
jcpでさえ「綱領と情勢が響きあう」という有様であるから、来るべき総選挙
で自民党を下野させること(注1)に役立つ布石をあらゆる側面で促進するべき
なのである。
jcpが独自性を発揮するべき役割ということで言うのなら、他の野党がもた
つけば、その欠点をフォローし福田政権をより効果的に追い込むことに貢献する
ことである(注2)。だから、今の政局では、欠点だらけの問責決議であって
も、野党協議の中で提出が決まれば、共同提案者にならずともその効果をより高
める方法、あるいは欠点をカバーする方法を工夫することがjcp指導部には必
要であったのである。問責決議の政治的効果を減殺させる批判をして、おのれに
降りかかる火の粉をふり払うことに熱中していたのではお話にならない。
<(注1)、ネット上の政治評論では政権交代論を「馬鹿の一つ覚え」と呪詛す
るものもあるが気にすることはない。呪詛するだけで政権交代に代わる対案を具
体的に提起できないことを見ておけばいい。>
<(注2)、志位の批判やネット上の主張では、民主党が会期末に問責決議を出
したのは、野党側の”武器”を空砲にして使えなくしてしまうためだとか、後期高
齢者医療制度の衆議院審議を止めるためだとか、要するに、民主党は自民党の仲
間で自民党を助けているという批判があるが、こういう疑惑を持つのならば、な
おさら問責決議を効果的なものたらしめるための対応を考えるべきなのである。
だから、野党協議前の市田の国会記者会見表明までは、批判内容は別にして理
にかなっていたのだが、志位がいけない。当面、院内共闘関係にある他の野党へ
のjcpの批判は慎重かつ戦略的でなければならない。>
7、自分で自分の足を踏みつけるjcp指導部の対応
問責決議提出への批判は市田の見解表明(野党協議前のもので民主党の問責提
出への牽制になる)や野党4党の協議の中ですべきであって、問責決議案提出決
定『後』にまで批判を繰り返していてはならない。欠陥だらけの問責決議の重
み、効果をjcpみずからが減殺していることになるからである。欠陥が是正さ
れるのではない。欠陥が大きくなるだけである。志位による問責決議批判は、問
責決議に賛成した自分を自分で殴りつけるようなものである。
jcp指導部のやったことは、民主党主導に引きずられてjcpが埋没するこ
とに不満な党員たちには受けるであろうが、他の野党支持者には受けないであろ
う。それでなくとも独善的・セクト的という評価が広く行き渡っているのである
から、「また、やりやがったな」と嫌悪される弊害の方が大きい。つまり、問責
の政治効果を減殺したうえに、jcpの評価をおとしめている可能性の方が遥か
に高いのである。
単純に考えてもわかることである。jcpの票は440万票、他の野党3党の
票は2700万票である。しかも、jcpの基礎票は比例区で20%、小選挙区
で30%も流出している現状にあって、問責には賛成だが、一方では問責決議提
出をボロクソに批判する態度はこの2700万票の国民に理解されやすいであろ
うか? 他の野党支持者はほとんど理解しないであろうし、jcp支持者でも疑
問を持つ者がかなりいるであろう。問責決議を批判しても火の粉を振り払うこと
にはならないのである。
問責決議可決後の12、13日に行った共同通信の世論調査では福田内閣支持
が19.8%から25%へと上がっており、自民党の支持率も24.3%から
29.1%へと上がっている。一方の民主党の支持率は30.3%から23.
6%へと下がっており、jcpは3.7%から3.9%へと若干上がっている。
顕著な変化は内閣支持率と自民党支持率が5%も上がっていることと民主党支
持率が6.7%も下がったことである。jcpの場合は0.2%のアップである
が、回答者1024人のうちの38人から40人へと2名の増加にすぎないか
ら、統計の誤差の範囲内、横ばいというのが実態であろう。
8、問責決議可決後の世論調査が示すこと
直近の世論調査を見る限りでは、野党側の問責決議は失敗であり、jcpも応
分の責めを負わなければならない事態であることは明らかである。jcp指導部
は野党間協議『後』も問責決議を批判して問責決議の失敗を促進し、自民、福田
政権の支持率を上げただけで、自党の評価を高めることもできなかったというこ
とになる。
あるいは、jcp指導部支持者ならこういう見方もできようか? 問責決議の
失敗は明らかだが、それは時期尚早で民主党の党利党略の問責決議であったから
であって、jcpはそれを批判したからこそ、わずかではあれjcpの支持率が
上がったのである。
なるほど、0.2%の支持率アップに重要な意味を見いだせば、こうした見方
もできないこともないようだが、しかし、重要な意味を見いだすことは困難であ
る。問責に賛成して共同提案者になった社民党は1.6%から1.7%へと支持
率を伸ばしているのであるから、問責を批判したことでjcpが0.2%増やし
たと見ることは無理である。1~2%もアップしたというなら別だが、0.2%
では有意差はない。
世論調査が示す特徴は、政権と自民党の支持率の持ち直しと民主党の支持率低
下であり、問責決議提出の失敗ということである。だから、jcpの問責決議批
判の対応は、この世論調査の特徴を促進しただけである。
9、jcp指導部が忘れていること
jcpは問責決議という野党の重要な武器を使いながら失敗したという事態、
ならびに福田政権と自民党が一時的ではあれ、持ち直したという現実から逃れる
ことはできない。「2」から「8」の批判をしても、問責失敗による政局への悪
影響から逃れることはできないのである。つまり、へたな問責決議でjcpが受
ける批判は仮に回避できたにしても、福田政権と自民党が持ち直すという他方の
マイナスを回避することはできないのである。敵は一時的ではあれ復調し、いく
さはその分だけ困難さを増したのである。
そもそも、jcpへの批判は回避できたと喜んでいる場合ではなかろう。政局
としては、野党が攻めの流れにある時に一番重視するべきは、政権側にダメージ
を与えられたかどうかである。自己の受ける”むこう疵”の回避努力は二の次でな
ければならない。このjcp指導部支持者の見方には、攻めの姿勢が微塵もない
ことがわかるであろう。討ち入りだというのに、自分が受ける傷を回避すること
ばかりに目が行き、敵に深手を負わせる意識に欠け、当面の味方と喧嘩していて
敵が盛り返して来るという一番の問題が見えていない。本領としてのjcp指導
部の”受動性”のなせる業である。
10、二兎を追う者は一兎も得られない
jcp指導部の問責決議批判の繰り返しは、jcpに利益をもたらさなかった
ばかりか野党陣営に何一つプラスをもたらさなかったことは明らかではなかろう
か? 大事な問責決議で与党の支持率をアップさせてしまうという痛恨事が発生
してしまった。
野党の足並みが乱れれば、当然こういう事態になる。国民の大半は、いろいろ
問題のある問責決議なのだなと判断してしまうのである。
しかし、だからといって、問責決議にまつわる欠点を教えてくれた(?)
jcpの支持率が上がるわけではない。問責決議に賛成していながら問責決議を
批判するという国民にはわかりにくい対応をとるからである。たぶん、国民の多
くは与党支持であれ、野党支持であれ、jcpの今度の対応に好感をもっていな
いであろう。生活経験で磨いた直感からすれば、自分の都合の良いところだけを
取りたがる輩にはろくな者がいないと知っているからである。jcp指導部は自
分だけ調子よくやろうとしても、そうはいかないこの事態をよくよく覚えておく
必要がある。
11、福田政権を追い込んでこそ、jcp支持の拡大もできる
今の政治情勢でjcpが”良い子”になるのはただ一つ、他の野党のもたつきや
欠点にもかかわらず、jcpの働きでそのもたつきを”フォロー”(他の野党の欠
点をカバーすることだ)し与党に深手を負わせる貢献をした場合だけである。
jcpに求められている実績とはその方向でしかありえない。他の野党支持者に
支持される政治対応を取ることである。わかりやすく言えば、与党にダメージを
与えて”なんぼ”の政治情勢なのであって、ダメージも与えられずに、問責決議提
出を批判していては野党支持の国民から評価を得られるはずがないのである。
政権を追い込んでこそ、jcpが渇望する支持拡大もできるのである。問責決
議を批判して与党と政権を復調させることに手を貸しては本末転倒である。どう
して、こんな簡単なことがjcp指導部にはわからないのであろうか?
今の政治情勢では政権交代の妨害者は政治を変えたいと願う国民から振り捨て
られる。
12、補注
この投稿は、今、理論政策欄に連載している「共産党指導部のサークル
化・・・」の一部として書き始めたものである。しかし、テーマが時局がらみの
ものであるために独立の投稿の方が時宜にかなっていると考え現状分析欄に独立
稿として投稿することにした。連載の一部にしようと考えたのは、この事例が
jcp指導部がディレンマに陥ったときの思考の特徴を典型的に示しているから
である。
そこで、この投稿と連載投稿との関連づけを少々書き込んでおくことにする。
jcp指導部の抱えるディレンマとは上に書いたが次のことである。問責決議
とか後期高齢者医療制度の廃止とかを可決して、ここにjcpありとアピールし
たいのであるが、弱小勢力のため他の野党と共同することでしか実現できない。
そうなると、問責決議のようにjcp指導部の考えるような形では実行できず、
どうしても民主党の欠陥に一枚噛むことになったり他の野党間に埋没してしまう
ことになって、jcpが薄汚れ、jcpの存在、独自性をアピールできないと志
位ら指導部は”思う”(注3)のである。
さて、このディレンマならぬものをディレンマと認識するjcp指導部はそれ
をどのように突破しようとするのか? ここにjcp指導部特有の思考が現れる
のである。それは問責決議提出の顛末に典型的に現れているように、与党にダ
メージを与える(政治革新へのワンステップ)ことより、民主党主導にまつわる
欠点の”とばっちり”を回避することが優先されるのである。だから、いつのまに
か本末が顛倒してくる。一言で言えば、政治革新へのワンステップに踏み出すよ
り党防衛、リスク回避が最優先されるのである。jcpの本領である”受動性”の
真の根源はここにある。
このような選択をする『思想体質』というのか、その思考の特徴は革命政党や
政治革新をめざす政党のそれとは異質であろう。革命政党や政治革新をめざす政
党は”必ず”、党防衛より少々のリスクを犯しても革命や政治革新に有利な政治条
件を獲得する実践に踏み出すべきだし、踏み出さなければならない。歴史的に弱
小勢力として出発せざるを得ない共産党は相応のリスクを計算に入れて有利な政
治情勢をめざす以外に発展のしようがない。非合法の時代ではない現代において
はリスクと言っても暴力的弾圧というような種類のものではないのであるから、
なおさらリスクをとることに臆病であってはならないだろう。
そうでなければ”棚ぼた待望”政党にすぎず、敵失が与えてくれる以上に有利な
政治条件は得られず、それではjcpの言う「真の政治改革」へは進めないから
である。また、”棚ぼた待望”政党では多様な政治条件を利用して有利な政治情勢
を切り開いてゆく有能な戦略家を育成できず、他方では広範な国民の共感を結集
できないからである。
jcp指導部に受け継がれそのDNAのようにjcp指導部の差配を支配する
党防衛最優先思想は、革命や大騒擾を先導した経験もなく、戦前戦後の、国民か
ら遊離した党ゆえの壊滅という特殊な党の歴史がこの党指導部に刻みつけた負の
刻印である。
この負の遺産は戦前日本資本主義の奇怪な姿(「軍事的半農奴制的(半封建
的)型制」、「顛倒的矛盾」、山田盛り太郎『日本資本主義分析』1932年)
の”転写相”とも見える。人が一面、環境の産物であるように、政党もまた育った
環境の影響をその身に刻むことは避けられない。その奇怪な姿ゆえにコミンテル
ン流の”公式的定型的一般的”指導では歯が立たず、国民から遊離するほかなかっ
たjcpが組織の身過ぎ世過ぎの知恵として身につけた『思想』と理解すれば一
抹の同情を禁じ得ないが、しかし、党防衛最優先思想は物事の本末を転倒する
jcpの言行の元凶であり、国民に”溶け込むこと”ができない原因になり、ま
た”真理の独占者”という「科学的社会主義」思想と融合して独善性と我田引水の
言行に血液を送り込む”心臓”であると指摘しないわけにはいかないのである。ま
た、その「民主集中制」なる組織論にもその血液を送り込んでいるであろう。
19世紀のロシアの革命運動を担ったのは偉大なるナロードニキ達であった
が、その運動がレーニンらのボルシェヴィキの運動に取って代わられる他なかっ
た歴史の故事がしきりに思いやられるのである。大江健三郎の「新しい人」もそ
うである。
<(注3)、私の意見では他の野党に埋没するとjcp指導部が”思う”のは、思
い過ごしなのである。国会内だけで見ると、むしろ以前より存在感が高まってお
り、ディレンマどころではない。参議院選後、与党が過半数割れを起こし、
jcpも全小選挙区立候補戦術をやめたせいで、jcpをめぐる国会内の環境が
変わってjcpの存在感が高まったのである。しかし、彼らの長い間の唯我独尊
の”生理”からすればストレスがたまるのであろう。以前ならば、孤立『無縁』で
「正しい」旗を振っておればすんだが、今度は絶えず野党各党と接触し、民主党
を説得したり、jcpの方針を受け入れさせたりする工夫をしなければならない
のである。
しかし、jcp指導部にはそうした存在感の高まりが、他党との身過ぎ世過ぎ
で薄汚れ他の野党に埋没する感覚になりディレンマとなるようなのである。
何ともか細い神経の持ち主たちである。重大事と認識し本気で問責決議提出阻
止をねらうのならば、全小選挙区立候補戦術の中止を取りやめるなどの”武器”を
背景に交渉するというほどの知恵と神経を鍛えるべきであろう。相手を「同じ穴
のムジナ」と言うのなら、口先だけの説得で納得させられるわけがないではない
か。一方では”武器”を背景に交渉をする、他方では政権を助けるようなむやみな
批判をしないことである。志位らの交渉は”子供の使い”のように幼稚で見境がな
い。
こんなことで埋没感を覚えるのならば、連合政権の一翼を担ったときに一体ど
うするのであろうか? 連合政権が成立したら、すぐさま独自行動のアピールに
なり連合戦線を混乱させることになるだろう。
連合政権において基本政策の一致があっても、政策実行の優先順位や実施にと
りかかる時期等をめぐって意見の対立は常に起こりうる。こうした埋没感程度で
足並みを乱すのであれば、jcp指導部は連合政権に入ればすぐに分裂主義者と
なるだけである。思い起こせば、党外関係での分裂主義と党内におけるファッ
ショ的統制は日本の左翼の長い伝統であったが、その伝統をjcp指導部も引き
継いでいるようである。>