引用は「」で表記し、出典を示さないものについては、原仙作氏の一般投稿欄2008.5.30付け投稿、「とんびさんへ。1993年と2007年の違い」からの引用です。
1.「総務省の家計調査によれば、1964年以降、『勤労者実収入』が減り始めたのは1998年からで、……一方、1989年のバブル崩壊があっても家計所得は増え続けており、……。
1989年のバブル経済の崩壊後ただちに勤労者の実収入が減り始めたわけではありません。この事実が往々にして見落とされがちです。ここに示した数字が示唆することは、90年代前半の政治変化とは異なり今日の政治変化には広範な国民が登場してきているということです。
また、ご承知のように今日の各種社会保険料の負担増や増税、社会保障の切り下げの原因となっている政府債務(赤字国債)の増加を見ても、1991年の171兆円から2007年の674兆円へと約4倍増となっていることも、広範な国民が政治の場に登場することを促しています。」
「小沢一郎の「生活が第一」という民主党の政策転換」「この民主党の転換をマヌーバー(だまし)だと見る見解は一面的です。小沢民主党が権力闘争に勝利するには広範な国民の一票を集めなければならず、国民の要求をその政策に取り入れなければならないわけで、そこに小沢らに対する国民の登場の証し、国民の”しばり”が現れています。ここが15年前とは違うところです。
マヌーバーだと見る見解は小沢らの都合でその政策転換をいつでも捨てる(捨てられる)と認識していますが、もはや小沢らもそれほど国民から自由ではありえないのです。小沢の大連立騒動の顛末がその”しばり”をよく示しています。その政策を捨てれば、いっぺんに民主党支持者は離反するでしょう。」
90年代前半の段階で、日本において普通選挙、秘密投票による自由選挙が確立、定着していたことは疑い得ないことのように思われる。同時に、そのような選挙によって構成された議会(国会)を通じて政治が動いていく近代的な議会制がすでに確立、定着していた事も、疑い得ないことのように思われる。であるならば今日の「小沢民主党」に限らずだれしもが、90年代前半においても「権力闘争に勝利するには広範な国民の一票を集めなければならず、国民の要求をその政策に取り入れなければならない」だろうし、ゆえに「そこに小沢ら」も含めた当時の議員たち「に対する国民の登場の証し、国民の”しばり”が現れてい」るであろうこと、当時の「小沢らも」含めた議員たちが「それほど国民から自由ではありえない」であろうこと、以上について90年代前半と07年以降の現在との間に、決定的な差異は認められないものと思われる。
例えば、「小沢の大連立騒動の顛末」を、原氏が言うように07年以降の「政治変化」における「国民の登場の証し、国民の”しばり”」を「よく示してい」る出来事として見るならば、90年代前半の「政治変化」における当時の細川総理の<国民福祉税構想>の「顛末」(深夜の記者会見での唐突な発表と瞬く間の頓挫)を「政界というコップの中の騒ぎ(政界再編)で政治を動かしていく」こととは違った「国民の登場の証し、国民の”しばり”」を「よく示してい」る出来事として見ることに何か不都合があるだろうか?
以上をふまえて考えれば、少なくとも、「1989年のバブル崩壊があっても家計所得は(97年まで)増え続けて」いたことや、91年の政府債務が07年の約四分の一であったこと等をもってして、「90年代前半の政治変化」においては「広範な国民」は「登場」していなかった、と「示唆する」にはかなりの無理があるように思われる。と言うか、なぜこの二つの「指標」が、「広範な国民」が「登場」したりしなかったりと言うことを「示唆する」ものとなるのか、原氏の投稿を読んでもまったく明らかにならない。ごく単純に、素直に考えるなら、家計所得の増減の推移や政府債務の増加(とそれに伴う社会保障の切り捨て、負担増)といったことは―「広範な国民」の政治への「登場」それ自体の<有無>ではなしに―「広範な国民」の、政治に「登場」するに当たっての志向に変化を及ぼしたであろうことを「示唆する」ものである、等と言うのが妥当なところではなかろうか(注1)。これなら、例えば90年代前半の「広範な国民」は、その「登場」に当たって、「小沢ら」国会議員たちに対し<政治改革>の遂行という、自らの日常生活とは距離のある事柄に対して主に「しばり」をかけたのに対し、07年の「広範な国民」は、今度は「生活が第一」と言うテーマで同じ行動にでたのだ、といったことを、先ほどの「指標」から「示唆」出来そうである。
注1、「広範な国民」の「登場」の有無と、その登場がもたらした事態をどう評価するかと言うことは別の行為である。「広範な国民」の「登場」やその「証し」としての政治に対する「しばり」が必ずしも「広範な国民」の利益と合致しない事態をもたらすことも現実に起こり得る。例えば郵政民営化が多くの人の支持を集めたと言うことと、郵政民営化が多くの人に利益をもたらすか?と言うことは当然分けて考えられるし、またそうするべきでもあるだろう。原氏が、現在の「政治変化」に対しては「国民の登場の証し、国民の”しばり”」を認めておきながら90年代前半の「政治変化」については―自由選挙が構成する議会政治という<システム>を無視して―それを認めないと言うのは、もしかしたら、90年代前半の「政治変化」への否定的な評価(と事実分析との混同)がそうさせているのではなかろう。
2、
ここまでに述べてきたことは、主に、<制度としての>(議会制)民主主義とは、「広範な国民」の政治への「登場」があらかじめ組み込まれているシステムである、と言うことを「示唆する」ものだった。
しかし一方で、それとはまた違った視点に立つならば、90年代前半の「政治変化」には「広範な国民」の「登場」や「しばり」が不足していた、不十分だった、とはいえそうである。(ただしその場合でも「広範な国民」が少なくとも制度的に政治に「登場」していたことは否定できないだろう)。90年代前半の「政治変化」の主要テーマである<政治改革>の遂行は、政治改革を求めて全国各地で「広範な国民」が多数参加する大小さまざまなデモや集会が開かれるとか、熱心な署名活動が行われるとか、そういう大衆的な、あるいは社会的な、つまりは<民主的な運動>という形での「広範な国民」の「登場」―例えば選挙と言う既存のシステムによるだけでは達成し得ない、<自らの意思によって随時>行い得る政治参加、<リアルタイムでの>政治への「登場」を可能にし、<不断に>政治に「しばり」をかけ得る行為―は不足していたとはいえよう。だからこそ、―<政治改革>をしない、出来ないと見なされた自民党(および社会党も含む55年体制)は93年総選挙で敗北、それに代わり細川政権が新たに生み出され、かつ実際に<政治改革>が遂行されたことを考えれば―システムとしての(議会制)民主主義は07年同様機能していたはずであるにもかかわらず、一方で選挙後の<政治改革>を具体化していく過程は、原氏が言うような「政界というコップの中の騒ぎ(政界再編)で政治を動かしていく」国民不在にも見える事態も同時に招いたのだった。
だが、もし今言ってきたような意味で―その限りの意味において―90年代前半の「政治変化」に「広範な国民」の「登場」「しばり」の不足を言うとすれば、では、07年以降現在の「生活が第一」をスローガンとする「政治変化」についてはどうなのだろうか?
新自由主義経済路線とそれによる格差、貧困に対する反撃は、例えば非正規雇用労働者の組合結成、労働争議等々、確実に始まっていることは間違いない。しかしそれ―民主的な運動、運動としての民主主義―自体が直接に、「広範な国民」がリアルタイムで、あるいは随時政治に「登場」し、現に政治に不断の「しばり」をかけている、といえるまでの規模や広がり、政治的な影響力をもちえているか、一方の当事者である為政者側の人間たちにそう十分認識させられているか、という状況にまでにはないのも事実と言わざるを得ない。もちろんそのような運動の顕在化やそれに伴う世論の変化が、例えば民主党の反構造改革的転換に大きく影響したことは間違いない。しかしその<影響の度合い>が、90年代前半において「政治改革」を求める民意が政治にかけた「しばり」と同程度のものにとどまっているとすれば、90年代の「政治変化」に「広範な国民」の「登場」や「しばり」が不足していた、不十分だった、と言うのと同じ限りの意味において、07年以降現在の「政治変化」についても大筋において同じことを言わなければならないはずである。とすれば、この場合においても、いずれか一方についてだけは政治に対する国民の「登場」、「しばり」を認め、もう一方についてはそれを否定する、と言う見方は破綻することになる。
3、
「「生活が第一」という民主党の政策転換」と参院選での躍進、それによる野党の過半数獲得は、制度としての(議会制)民主主義のシステムにのっとった、「広範な国民」の「登場」「しばり」の現れである。そのシステムとはつまり、商品市場(選挙)において生産・販売者(政党)が利益の拡大(政権獲得・議席拡大)を図るには市場シェア(得票数・率)を高めなければならず、そのためには消費者(「広範な国民」)のニーズに的確に沿った商品(政策)を提供しなくてはならない、というのと同じである。もちろん消費者(「国民」)は「権力者やマスコミの操作対象でしかない受動的な大衆」などではない。だから仮に一度市場競争(選挙)で競合他社(他党)に勝ったとしても、その後消費者(「広範な国民」)の支持を失えばその勝利も一時的なもので終わってしまう(次の選挙で敗北してしまう)。消費者(「広範な国民」)が「登場」しない市場(選挙・現代政治)はそもそも成り立たないし、また、生産・販売者(政党)に対する消費者の「しばり」はそもそも市場(制度としての民主主義)のシステムの根幹を成す。
しかし、現実の商品市場が(上で言ってきたような)理屈どおりに本当に作動しているのか、ということはここでは問わないにしても、政治の世界を市場と完全に同一視してしまってよいのか、あるいは、制度が作動させる<限りでの>、システムとしての「広範な国民」の政治への「登場」「しばり」があることで政治についても事足れり、としてしまってよいのか、と言うことは問われねばならないだろう。
まず、商品市場がほぼ日常的に企業収益に直接の影響を与え、したがって消費者ニーズの変化等の市場の動向は不断に企業を拘束し得るのに対し、例えば国会の構成はあくまで、数年に一度しかない選挙が<行われた時点での>「国民」の意識しか反映できない。つまり商品市場のシステムとは違って、制度としての(議会制)民主主義のシステムは「広範な国民」が不断に、リアルタイムで政治に対して圧力をかけ、拘束し、参加・介入していく上では制度的には相当に不確かなものである。もちろん、「広範な国民」の志向に著しく反した党派、議員は<次の>選挙で議席を失うかもしれない。しかしそれはあくまでも<事が済んでしまった後での>、<事後的な>処置とならざるを得ないから、そこには相当なタイムラグが生じる可能性がある。しかも、その<次の>選挙での争点や情勢いかんによっては、そのような過去の行いに対する評価だけではない、もっと別のことを優先的に考慮して投票行動を取らなければならない事態も起こるかもしれない。また、選挙のときに争点や公約で取り上げられなかったことが、選挙後に政治課題として持ち上がってくることもある。そういった事柄について、制度上は国民はなんら直接に政治を拘束し得ない。そもそも選挙自体が、住民投票や国民投票と違って個別の政策課題での各党各議員の行動・態度を統制する上ではそう使い勝手のいいものではないともいえる。いうまでもなく、システムは必ずしも万全ではないのだ。
さて一方で、消費者が企業に対して「登場」し「しばり」をかける方法は、今まで言ってきたような、あらかじめ存在しているシステムに依拠するものだけではない。例えば消費者運動によって企業に特定の商品の生産・販売を中止させる、あるいは促す、と言った、制度が作動させるシステムに依拠するだけとは異なる方法もあり得るのである。そして、「「生活が第一」という民主党の政策転換」は、後者のような、「広範な国民」によるより能動的・主体的・自発的な行動を通じた目的意思的な追求の成果というよりも、もっぱら、民主党の側が、企業が競合他社を出し抜くためにマーケティングリサーチによって<市場における>消費者ニーズを探り出し、それに沿って商品開発を行うような、そのような形での転換、上で言ってきたような、制度が作動させるシステムによって促された「転換」ではなかったか。もちろん、そもそもそのような消費者ニーズ(世論)が形成されたこと自体に、貧困・格差問題や非正規雇用問題における粘り強い運動の存在とその広がりが重要な役割を果たしていることは間違いないであろう。そしてそのような―<民>が日常の場から<主>体的に自らのおかれている現状を転換しようと試みる、運動としての民主主義、民主的な―運動の存在こそが、―07年における「広範な国民」の政治への「登場」に当たっての志向が、より切実な日常からの生活要求に立脚していることと並んで―90年代前半の「政治変化」との違いとして挙げられるべき点であろう。
だとすれば、我々が考察すべきことは、「小沢一郎の「生活が第一」という民主党の政策転換」の確かさを証明せんがために、勤労者実収入や政府債務、社会保障負担の増減と言った統計指標から、「新しい政治プロセス」の始まりがさも客観的に示唆できるかのごとく見せかけたり、現在の「政治変化」との比較にあたって、ダブルスタンダードまがいに90年代前半の「政治変化」における「国民の登場の証し、国民の”しばり”」そのものまでを無かったことにしてしまうことで、「今日の政治変化」に対して自らにとって安心で望ましい展望を安易に得ようとすることでは、少なくともないはずである。そんなことまでして(あるいはそんなことまでしているとも気付かずに)、「「生活が第一」という民主党の政策転換」の確かさや不確かさ、「民主党の転換をマヌーバー(だまし)だと見る」か否か、について(そのどちらの立場をとるにせよ、それにはかかわり無く)汲々としなければならないということ自体、―「その政策を捨てれば、いっぺんに民主党支持者は離反するでしょう。」という<傍観者的>な語りと表裏一体の―他力本願的な民主党頼み(あるいは見方を変えれば、民主党のみへの<責任の押し付け>)、そして既存の<制度としての><システムとしての>民主主義だけが頼みの、心情と客観的な現状の現れである。
だが、そのような心情と現状に甘んじてしまうことが、(あるいは民主党に政治の一切合切を押し付けて後は次の選挙まで<放っておく>ようなあり方が)果たして、より良いことなのだろうか?
民主党の「転換」と、「転換」した民主党が参院選で躍進するという「今日の政治変化」の始まり、をもたらしたのは、制度としての(議会制)民主主義のシステムである。しかし、そもそも民主党の「転換」が「生活が第一」というものになったこと、その「生活が第一」という「転換」が大きな要因の一つとなって民主党の参院選躍進がもたらされたこと、それをもたらしたのは「生活が第一」を望む世論の大きさであり、そのような世論の形成に影響した貧困・格差問題や非正規雇用問題における粘り強い運動の存在とその広がり―それ自体はまだまだ政治的に強力とはいえないにしても―なのである。
とすれば、「民主党の転換をマヌーバー(だまし)だと見る」か否かにかかわらず、そういった運動を―もちろん、貧困・格差問題や非正規雇用問題に限らずあらゆる分野で―ますます強化、発展させ、そういった運動自体の力が今よりももっと直接的に政治や政局の動向を規定できるよう図っていくこと、既存の<制度としての>、<システムとしての>民主主義<だけ>に甘んずることなく、<自らの意思によって随時>政治に参加・介入し、<リアルタイムで>政治に「登場」し、<不断に>政治に「しばり」をかけること、そしてそこにこそ、「新しい政治プロセス」の展望を見出そうとすること、それこそが、90年代前半と「今日の政治変化」との比較・検討から得るべき結論ではないだろうか?