1、左翼サイトの低調な言論と対立する論点
小沢一郎の公設秘書が政治資金規正法違反容疑で逮捕された問題についてネット上では様々な議論が飛び交っているが、概して左翼系のサイトの議論は低調である。沈黙しているものも多いようだ。もともと小沢も民主党も嫌いであるうえに、企業献金という”金(かね)”の問題であるから、古い自民党の体質をひきずる小沢は”ワイロ”をもらっているはずだと考えているからである。その一方で、政権交代を妨害するために麻生政権が検察を使って国策捜査をした疑惑も感じており、どう判断するべきか、思案投げ首という様子が感じられるのである。
いたって意気軒昂なのは、日本共産党(jcp)と左翼という意識など端から持たないリベラル系のサイト(例として「きっこの日記」)である。興味深いのは両者の議論がきわめて対照的なことである。jcpは企業献金=ワイロという理解で、小沢を受託収賄かあっせん利得罪を犯しているかのごとく批判している。他方のリベラル系のサイトの主張は、政権交代の妨害を目的とする国策捜査であり、これは日本の民主主義の重大な危機であり小沢民主党は徹底抗戦せよ、というものである。
jcpは政治献金問題に重点を置き、リベラル系は国策捜査に重点を置いて小沢秘書逮捕の問題を論じている。現実は多面的であり、両者のよりどころとする側面をともに持っているのであるが、どちらの側面に重点をおいて評価するべきなのか?
2、正確な事実認識を批判の前提に置くべきである
さて、どちらが正しいか? まず、事実の問題として検討していくと、検察でさえ小沢秘書を受託収賄等の容疑で逮捕したわけではなく、西松建設の企業献金と認識していながら小沢の資金管理団体である陸山会が受領するという問題、政治資金規正法の規定では政党支部が受領するべきものを小沢の資金管理団体が受領するという受領団体の形式違反容疑で逮捕している、というのがこれまで明らかになっている事実である。
その点ではjcpの事実認識はあまりに”どんぶり勘定”であると言わなければならないだろう。古くからの自民党の政治家はゼネコンから政治献金を受け、その見返りに公共事業の受注に便宜を図ってきたのが通例だから、小沢もやっているはずだという前提での小沢批判である。また、jcpの批判は、批判の論点が錯綜しており、現行法違反容疑となる状況証拠から批判したり、理想とする政治献金論(個人献金オンリー、企業献金全面禁止)から、はたまた政治家の政治倫理からと、錯綜する論点からの批判が”てんこ盛り”という感がある。
しかし、政権党ならいざしらず、他の野党の政治家を批判するのであれば、まず、動かぬ証拠をもとに現行法違反を第一義的に指摘し批判するべきであって、錯綜する論点からの疑惑・疑惑の”てんこ盛り”はそれこそ公党の言論戦の正常な姿とは言えないであろう。
3、共産党による批判の根本的欠陥
jcpの小沢批判にはずさんな事実認識と性急な批判という欠点がつきまとっている。また、現在の政治情勢の中から小沢秘書逮捕だけを切り取って小沢批判をするという思考方法がとられており、この思考方法とずさんな事実認識と性急な批判はワンセットとなってjcp執行部の現在の行動を規定している。このようなワンセットが生まれるのは、民主党批判の絶好のチャンスだと認識することが原因である。つまり、jcp執行部のこの政治的動機が政治情勢の中から小沢秘書逮捕という事実だけを切り取らせ、ずさんな事実認識と性急な批判を行わせているのである。
しかしながら、小沢秘書逮捕は現在の政治情勢と密接不可分のものであるから、jcp執行部のやるような切り取り方は恣意的な性格を、すなわち主観的なものにならざるを得ないのである。どこに主観性が表れるかと言えば、小沢秘書逮捕の政治性(現在の政治情勢に規定されたそれ)が捨象されてしまうのである。
志位は記者会見でこう言っている。たぶん、jcpの汚点として歴史に残る発言となるであろう。
「『国策捜査』であるという根拠は、民主党からは何も示されていない。これは根拠なしに責任を他に転嫁するもので、公党のとるべき態度ではない。」(「赤旗」3月5日)
どうであろうか? 志位の言うように「国策捜査」という政治性、政治問題を簡単に否定してしまっていいのであろうか? 仮に「国策捜査」であったとすれば、志位は現在の政治情勢をまったく読み間違っていることになるのである。
4、客観的事実が要求する考察視角
このように検討してくると、問題のポイントは事実を客観的に、現にあるそのままの姿で、現にある政治的諸関係のうちに考察できるかどうかということである。小沢秘書逮捕を現在の政治情勢と不可分のものとして、現在の政治情勢に規定された小沢秘書逮捕として考察しなければならないということである。なぜ、そうなのか? 答えは簡単である。現実がそうなっているからである。
現在の政治情勢と不可分のものとして考察すれば、小沢秘書逮捕はすぐれて政治的性格を帯びていることが一目瞭然にわかるであろう。すなわち、世論の多数派が政権交代論となり、各紙の世論調査、専門家の議席予想、それらのすべてが政権交代の現実性を指示していたものが、小沢秘書逮捕で混沌たる政治情勢に一夜にして暗転したことである。最近の世論調査が証明していることである。
小沢秘書の逮捕がもたらした影響のうちで最大のものは、この政治的影響である。これは誰も否定できないであろう。それほどに小沢秘書逮捕は衝撃的な政治的性格を帯びたのであるから、客観的事実が要求する考察視角、考察態度はこの政治的影響に最重点を置いて考察せよということである。その意味で、すでにjcpの金権腐敗に重点を置く事態の理解、批判は問題の本質を逸しているのである。
5、小沢秘書の逮捕は国策捜査である
志位は国策捜査の「根拠はない」と自民党と同じことを言っているが、十分な根拠がある。逮捕が与えた政治的影響の巨大さそのものが国策捜査を疑わせる十分な根拠である。これ以上十分な根拠が他にあるものではない。事件の軽微な容疑(政治資金規正法上の形式犯容疑、それさえも成立するかどうか疑わしい)と比較して、その政治的影響の巨大さがあまりにもアンバランスであることも傍証となる。
数日前のテレビで立花隆が東京地検特捜部の捜査はすべて(一般的な意味で)国策捜査であると述べていたが、捜査にあたってはその政治的影響を十分検討したうえで立件に及ぶのが捜査の基本であることを考慮すれば、検察が小沢秘書逮捕の巨大な政治的影響を十分予想していたことは疑うべくもないのである。このアンバランスはどう説明するのか? 政治献金の700万円分が三月で時効となるという検察の説明は理由にもならない。世論が批判するまでは自民党の二階の838万円さえ無視されていたのである。
状況証拠ということで言えば、さらに、元警察庁長官であった官房副長官・漆間発言があり、また、世論の批判を浴びて、地方から検事を増員して自民党議員の捜査を始めるとか、現在に至っては、小沢秘書逮捕の後で捜査の範囲を他のゼネコンにまで拡げるとか、証拠固めといい、捜査方針、捜査範囲といい、いずれも場当たり的に修正してきていることが見て取れるのであって、十分な証拠もないままに、いや、十分な証拠がないが故に、形式犯で急いでこの時期に立件した形跡が歴然としているのである。
小沢の公設秘書の逮捕は国策捜査であり、その政治的目的は政権交代を妨害することにあることは明らかだといわなければならないだろう。現在の政治情勢はそう教えており、小沢の政治資金規正法違反容疑は政権交代を妨害する”口実”に使われたのだということをかのアンバランスは示しているのである。
6、共産党は国策捜査の応援団になっていいのか?
小沢秘書逮捕は政権交代を妨害するための麻生政権による国策捜査である、ということを押さえられるかどうかが現在の政治情勢判断の試金石なのであって、ここをはずした判断とそれにもとづく政治行動は”政治の論理”からしてすべからく反動的な役割を果たさざるを得なくなるであろう。というのは、自民党政権が国策捜査で野党第一党の代表の政治生命を絶ち、政権交代を妨害することができるのであれば、永久与党が現実化するのであって、これはリベラル系サイトが指摘するように、日本の民主主義の危機、政治のさらなる腐敗、日本の独裁国家化が進むのであって、この反動的暴挙を見逃す政治判断はその暴挙に手を貸すに等しいからである。
すでに述べたように、jcp執行部が現在の政治情勢から切り離して小沢秘書逮捕を取り出し、金権腐敗批判をすることは、問題のもつ副次的側面を主要な側面として恣意的に取り扱うことを意味しており、その結果、主要な側面である国策捜査が捨象されてしまう。そして、主要な側面を捨象してしまえば、日本の民主主義の危機となる麻生政権の犯罪的暴挙を免罪してしまうことになるのである。
そればかりではない。志位は国策捜査を否定して小沢の献金問題を批判するわけだから、現実の政治のうえでは麻生政権と共同して小沢民主党を攻撃するのと同じことになってしまっている。期せずして、jcp執行部は麻生政権の応援団に転落してしまっている。これはjcpにとって名誉なことであろうか?
7、図式思考から抜けられない共産党執行部
jcp執行部が小沢秘書逮捕という現象を政治情勢から切り離して小沢の金権腐敗と批判する視野と比較すれば、左翼など歯牙にもかけないようなリベラル系サイトの視野のほうがはるかに広くかつ事態の本質をつかんでいるというのはどういうことであろうか? ここに組織問題とは別の、jcpの危機の要因が端的に示されているのである。
jcp執行部が事態の本質を見抜けないのは、相変わらず、自分の描いた政治図式、絵柄から現実をながめ、かつ、現実をその図式に押し込んで理解しているからである。すなわち、世は階級闘争の世界であり、自共対決が政治の本質的対抗であり、他の野党は自民周辺の居住者で、国策捜査というが、その本質は「同じ穴のムジナ」である保守同士の権力闘争、内ゲバであって、その内ゲバでの暴露合戦、暗闘をjcpは利用して党勢を拡大するチャンスにしなければならないと、こう考えているのである。
現在の政治情勢の具体的分析から出発するのではなく、jcp執行部の場合は、その政治図式で現実を裁断することから出発しており、”裁断”を”分析”だと思いこんでいる。jcpの政治図式に小沢秘書逮捕や国策捜査をはめ込むと、せいぜいのところ保守同士の権力闘争の現れとなってしまい、日本の民主主義の危機となる麻生政権の反動的暴挙=国策捜査という認識がすっぽり抜けてしまうのである。それだから、すでに述べたように、政治情勢から切り離して小沢秘書逮捕を切り抜き、金権腐敗を事態の主要な側面として批判することもできるのである。保守の内ゲバで曝した醜態こそ保守政治の本質であるから、それ批判しろ、と鼻高々におのれの政治図式の正しさを実感するわけである。政治献金疑惑を論ずる志位は意気軒昂である。
8、国策捜査は共産党の綱領路線を否定していることをみよ
この図式思考では、政治がダイナミズムを発揮する時、政治が激動する時、すなわち、肝心かなめの決定的な時期に決まって決定的な誤りをおかすことになる。というのは、激動する政治は独特の個性を発揮する、別な言葉で言えば、激動する政治は一つ一つが違っており、図式思考では激動する政治の個性、特徴が捨象されてしまい、個性、特徴を見失えば、その政治情勢の独自性(ここにその時々の政治情勢の本質的側面がある)をとらえ損なうこと必定だからである。
麻生政権による国策捜査は議会制民主主義の基礎である政権交代を暴力的に封じ込める暴挙であるから、これは議会制民主主義の否定を意味する。jcpの綱領路線である「議会の多数を得ての革命」という路線の暴力的否定でもあるわけだが、その時に、国策捜査を批判せずに専売特許とばかりに小沢を中心とする金権政治批判に専念するのは本末転倒と言わなければならないだろう。
今日、13日の「赤旗」1面に「違法献金疑惑」と題する志位の記者会見の内容が報じられているが、そこには国策捜査の一文字もなく、「自民・民主は政党としての自浄努力を発揮せよ」というカラ文句があるだけである。カラ文句だというのは、自民党政権が安泰であれば政治献金浄化は進むはずがないからである。
つまり、jcp執行部はその実効性をどう実現していくのかをぬきにして、小沢秘書逮捕を自党の宣伝に利用するという恐ろしく貧困な”見識”を披露しているわけである。その貧困な”見識”の代償に議会制民主主義が人身御供にされるいることを不破や志位らは想像することさえできないのであろう。
9、民主党はどうするべきか?
最後に、民主党の対応について触れてみよう。党内の若手は右往左往の動転ぶりのようであるが、焦点は小沢続投で行くのか、それとも誰かに代えるのかということである。この問題では、リベラル系サイトの主張に賛成である。小沢続投である。答えは最初から決まっているというべきである。菅の年金未納問題、前原のガセメール、そして今度の小沢の国策捜査ということを考えてみればいい。政権側による民主党の”あらさがし”(スキャンダルづくり)は止むはずがないことはわかりきったことである。
麻生政権は、他に手段がなく、国策捜査というどえらい禁じ手を使い、それでいて形式犯程度の容疑しか上げられなかったのだから、自民党を離党して以来の身辺整理を小沢は相当やってきたことを示しているのであって、その意味でも小沢は民主党の最強”選手”なのである。民主党の議員ならびに候補者は、小沢民主党で腹をくくって地元の有権者に所信を積極的に表明し、政権交代のための攻勢的な作戦を立てることである。
jcpは残念ながら第三極に浮上することは不可能である。すでに示したように、国策捜査とそれが教える議会制民主主義の危機を理解できないほど政治情勢理解が主観的かつ一面的であり、その図式思考から抜け出す兆候は見られないからである。不破の言う「政治対決の弁証法」は、jcpではなく、民主党を鍛えているようにみえる。