私は、党を離れ一定の期間をおいた後から、現在に至るまで「しんぶん赤旗」の配達や集金をしながら、先の都議選や今回の衆院選においては日本共産党への募金を訴え、5桁の金額に上る募金を集めている「長くこの党の傍らに居た者」の一人として、8月8日付の千坂氏の返答投稿には承服できない気持ちでいる。
その最大の原因は、千坂氏が私の投稿に答える形をとりながら、その肝心の部分には答えていない点にある。別の言い方をすると、千坂氏は私の7月28日付の投稿の趣旨を理解しないままに、ご自分の見解を、私の見解に「返答」する形で述べられているだけのようにも思う。
私は、先の投稿で、千坂氏が太田氏の詳細な分析を肯定的に引用する形で、都議選において「民主党を圧勝させよう」とした民意は、「勝たせ過ぎ」を招来し、「自民党を多数党から引きずり下ろそう」とした民意から見ればその意図に反して、共産党(及び生活者ネットワーク)の議席の後退という結果をももたらした、共産党等の減少議席に対応する民主党の増加議席は、その意味で「水太り」である、と主張しているのではないか、それは一面的な見方ではないかと、指摘したのである。
ここで、前提として、太田氏が詳細に分析され、千坂氏が8日付返答投稿において
どれだけ都議選の各地区で、トップで当選した民主党に比して日本共産党が、そのあおりをくらって次点に数多くいてもし、民主党に入った投票が他の政党に多少でも移動した場合に、共産党の現職や新人が最も多く当選圏内に入ってくるかがわかる。
と指摘されたこと自体を、私は否定しているのではない。
千坂氏らがいわれる「もし、民主党に入った投票が他の政党に多少でも移動した場合に、共産党の現職や新人が最も多く当選圏内に入ってくる」という、その「もし」は、現実には起きなかったのである。千坂氏は、それはなぜだと考えているのか。
その原因は、けっして単純なものではないだろう。それゆえまた、単純に「水太りさせた」と評価され、この「自らの意図に反する意外な結果」を招来した「都民有権者民衆」の判断ミスや迂闊さにひたすら帰責されるべきではなく、「共産党に関する限り、」(7月28日付私の投稿)それ相応の客観的原因があるのだということである。
今度の都議選は国政選挙ではない。また、都道府県政では大統領制がとられているから、民主党が圧勝したところで、都知事が退陣するわけでもない。
しかし、「日の丸・君が代強制」問題に象徴されるような超反動石原都政に対して、「どのようにして、この超反動都政に議会の場から痛撃を与えるか」ということが、具体的で喫緊の政治的課題となっていたことは確かであろう。そしてそれは、国政における「自公政権退陣要求」と、確実に連動していたはずだ。
それなのに、2007年の都知事選におけると同じく「自民も民主も同じ穴の貉だ!」という主張を繰り返すことに終始した日本共産党に対する、「いい加減にしろ!」という民意の表れの側面が、今回都議選結果に含まれていることを見落してはならない、と強く思う。来る総選挙において「自公政権退陣要求」に共感する有権者民衆が、「比例区では共産党を支持しよう」というところに赴くためには、この、独自の障碍が横たわっているのである。
たしかに、今回共産党は、「自公政権退陣」を前面に掲げる旨の幹部会声明を出し、「政権交代」勢力を総結集するかの姿勢を打ち出した。しかし、その舌の根も乾かぬうちから、麻生自民党の民主党批判とトーンを同じくして、「政権公約の確実な財源を問う」というキャンペーンに乗り出している。これでは、原仙作氏が、「7・16幹部会声明はこの程度のことにすぎない」と指摘したことを裏付けるばかりである。
こうした障碍に対する日本共産党自らの克服努力なくして、横から「選挙通」が、「比例区では共産党に入れた方があなたの望む自公政権退陣により近づきますよ!」とアドヴァイスをしたところで、そうスンナリと「問屋は卸さない」のである。
その点を軽視したままで、来るべき総選挙において単純な選挙の「投票配分」を構想するようなことは、それこそ、「種々の政治的課題との連関に即」する地点から遠ざかることを意味する。
千坂氏が、
日本共産党に対して、このさざ波通信での指摘されているように、問題点や矛盾については同感することが多い。
と本当に考えておられるのであれば、新たな形態のファシズムに転落して行く瀬戸際にある現下の情勢において、より広い国民的統一戦線を構築する上で、日本共産党の「自党第一主義」がどれだけ障碍となってきたか、原仙作氏の諸論考を改めて紹介するまでもなかろう。
民衆はバカではない。選挙における政治的争点についてだけでなく、政党を選ぶ意味合いが強い比例代表区においては、その政党自体の「人格」の誠実性も、同時に見て判断しているのである。
統一戦線を築く上で、現実の障碍となっている具体的問題を指摘すること、千坂氏のそうした基本姿勢には異論はない。
しかし、今回都議選で、民主党に、共産党議席(新人の可能議席を含め)を駆逐するほどの勢いで「勝ちすぎ」をさせた10議席について、「水太りをさせた」と評価することは、今回都議選に関する限り、その「障碍」の実質が、都議会民主党に対する警戒心を欠いて後先もよく考えずに投票を過度に集中させた・都民有権者民衆の愚昧さにある、と言っていることにはならないのか。
マスとしての有権者民衆が、単一の投票主体として存在するわけではなかろう。その点でも、詳細な得票分布分析に基づく「水太り」というあまりにもあっけない評言は、雑な印象を拭い去れない。
「平和の風」について、この場(日本共産党のあるべき姿について論じる場)で語ることは適当とは思われない。また、「風」が実社会でどのような活動を展開しているかについても知らない。
ただ、私が最近痛感しているのは、自分のような一市井の人間が統一戦線の構築に向けてやるべきことの中心には、あれこれ仮想社会で政論を交わすことではなく、現実社会のふれあいの中で、一人でも多くの人間のネットワークを作ることを据えるべきだ、ということだ。そして、そのネットワークで、社会の民主的変革に向けて互いに高め合うことの重要性だ。
千坂さんが、ご自身の努力を傾け続けられることを、祈ってやまない。(8月14日)