きぬがわさん、ご意見をありがとうございます。
さっそくですが、きぬがわさんの主張を次のように理解しました。都議選をめぐる共産党への原の批判(7月24日の現状分析欄)は「かなり非現実的な意見・説得術であると日本共産党支持者から評価される」であろう。その理由はつぎのとおりである。①、志位の出した建設的野党論は「柔軟な方針変更」で、宮本や不破の時代なら起きなかったであろう。志位は「現実的で柔軟な政治指導者」である。②、志位はきぬがわのE-Mail後、3年も経たずに全選挙区立候補戦術をやめている。③、党内の論敵に関する取り扱いでは「宮本時代から比べれば、その点は大進歩」しており、「史的唯物論・唯物弁証法を効果的に応用できていれば、しょうしょうの間違いはいいではないですか。」 ④、党指導部の失敗について、その責任と誤りの是正は「日本の共産党なので日本の大企業のように時間が解決するのに任せているようだ」。
他にもいろいろ述べておられますが、私の7月24日の投稿に関する限り、以上の4点が主な批判点ということになるでしょう。個々の論点に入る前に、全体的な印象を言わせてもらえば、きぬがわさんの主張は失礼ながら”永田町の論理の共産党版”とでも言わざるを得ないものです。あるいは、共産党の世界では、世間とは別の時間が流れている、ということを痛感させられます。
その最たるものは④です。「指導に失敗やミス」があっても、その責任や誤りの是正は「時間が解決するのに任せているようだ」とあり、きぬがわさんはそうした指導部の対処法を”おおらかに”わりと肯定的にとらえていますが、私にはひとつの驚異というしかありません。
「指導に失敗やミス」があったということは単に党内問題であるだけではありません。その指導に応じたり賛成した党外の支持者や国民がその「失敗やミス」の被害者となり、また党勢拡大にも悪影響を及ぼすものです。仮に「失敗やミス」が純粋に党内だけのものであっても、「時間が解決するのに任せる」のは誤りです。そんなことをしていれば、失敗の再発が繰り返され大企業といえども倒産してしまいます。
共産党が自分たちの失敗や誤りに”甘い”のは、ひとつにはきぬがわさんのような判断があるからなのでしょう。
③の「史的唯物論・唯物弁証法を効果的に応用できていれば、しょうしょうの間違いはいいではないですか」という主張も同じです。何が「史的唯物論・唯物弁証法」なのでしょうか? それを「効果的に応用」しているとはどういうことでしょうか? 「効果的に応用」していて10年も国政選挙に負け続けるものなのでしょうか?
他人にはなにやらよくわからないことを自分だけで納得して「しょうしょうの間違いはいいでないですか」と言われても、党外の有権者は納得しないでしょう。自分勝手すぎると批判されるのではないですか。
ここでも身内に甘いだけではなく、その甘さの基に、身勝手な、あるいは独善的とも言えるような主張(自己了解)があるように思います。
①に言う志位の建設的野党論についても「柔軟な方針変更」とはとても評価できません。自画自賛的です。変更なしよりはベターですが、都議選の惨敗という事実に強制された”やむを得ない”方針変更なのです。「柔軟な方針変更」ができる指導部であるなら、2年前の参議院選の惨敗を教訓に「同じ穴のムジナ」論は再検討して、この都議選に臨むべきでした。
この8月30日に民主党政権が誕生しましたが、民主党政権の誕生を前提にする対応戦術の必要性を私は2003年の総選挙後にすでに指摘しています。もう、6年も前のことです。「現状分析欄」に載せた私の2003年11~12月の投稿をご覧ください。
②については、もう述べる必要はないでしょう。選挙戦術の転換があまりにも遅すぎるうえに中途半端なのです。2003年の総選挙後の段階で、全小選挙区立候補戦術を転換しておれば、05総選挙において小泉政権に2/3の議席を与えずに済んだし、その後の自民党の暴走をもある程度、食い止めることもできたであろうし、国民の被害もこれほどにすることもなく、また共産党の議席増の可能性をも高めたはずなのです。
「同じ穴のムジナ」論に縛られて政治情勢を見誤ってとらえているから、選挙戦の敗北のたびに半端な手直しを何度もせまられるのです。
現在のひどい政治について、共産党指導部にも一半の責任があるという視点がこの指導部にはまったくありません。このように言うと、きぬがわさんは驚かれるでしょう。しかし、共産党が非合法の時代なら情状酌量の余地もありますが、合法政党になって半世紀以上経っており、共産党も自由に言論戦や宣伝を行い、政治に働きかけを行ってきたのですから、今日の政治は自民党だけが作り上げてきたのではなく、弱小政党のままであり続けることで共産党もまた、今日の政治の有様を作り上げることに一役買ってきたわけです。
共産党指導部にはそうした自覚が金輪際見受けられません。悪い政治は自民党のせい、共産党は正義の味方という”非弁証法”、ものごとを相互関係のうちにとらえない二元論があるばかりです。
この総選挙で、自民党政権を打倒することがようやくにして実現しました。長かったなぁ、というのが実感です。開票特番を見ながらビールで乾杯しましたが、しかし、この打倒劇は40年前に予想したものとはまったく別な形で行われました。
残念なことに、40年前は打倒劇の主役と目された共産党は脇役どころか都議選までは政権交代の妨害者という立ち回りで不評を買っており、その結果、現状維持の9議席を得たものの得票率(比例)では7.25%から7.03%へと減らしています。党指導部は相も変わらず「善戦健闘」と評価していますが、「小泉旋風」が吹き荒れた時よりさらに得票率を下げているのです。しかも、この得票率は衆参を合わせて70年代以降の国政選挙における最低の得票率ともなっています。1989年の天安門事件という大逆風のなかで行われた参議院選の得票率7.04%を下回っているのです。
大順風であるはずの今回の総選挙の得票率が、「建設的野党」論をもってしても、なぜ20年前の大逆風の参議院選より下回ることになったのかを深く考えてみるべきでしょう。
自公政権が倒壊したのだから、自民党政権批判の急先鋒である共産党は躍進しても不思議ではないはずなのに このように、得票率を減らし凋落のトレンドが転換しないのは党外に原因があるのではなく党の側に大きな原因があることを教えていると考えるべきでしょう。
ポイントは共産党指導部が国民の切実な改革意欲を長く”見損なってきた”ことです。そのために、国民の改革意欲への対応を誤ったのです。民主党を押し上げる国民の改革意欲を”無理に”共産党に引き寄せようとした。これは政治指導者として初歩的で、したがって致命的な誤りです。事態の複雑さを見ずに単純に、自民も民主も「同じ穴のムジナ」、政権交代しても政治は変わらない、と言ってきた共産党指導部の罪は深いですよ。
こうした見損ないの原因ともなり結果でもあるその政治方針や選挙戦術、それらを支える政治情勢認識と時代観、そして党組織の”体質”が問題になるでしょう。とてもじゃないが「しょうしょうの間違い」と言うわけにはいきません。「しょうしょうの間違い」と言っているうちは党の再生も無理ではないですか。