1、はじめに
総選挙も終わり、民主党連立政権も発足し新内閣の顔ぶれも明らかになった。新政権の目玉はやはりミスター年金と呼ばれる長妻昭・労働厚生大臣ということになるであろうか。年金問題が自公政権と官僚の腐敗の象徴だっただけに多くの国民から歓迎されているようである。株式市場は亀井静香・郵政改革・金融庁担当大臣が”サプライズ”だという。
今回の総選挙を振り返ると、自民党の歴史的惨敗や民主党の圧勝ということに目を奪われがちであるが、その最大の”成果”は、何よりも国民の意志によって政治は変えられるという実感を国民にもたらしたことである。これが16年前の細川連立政権の成立とは大きく異なるところである。この違いは連立政権の政策合意文書に現れおり、細川政権が自民党政治の継承を謳ったのに対し、今回の合意文書は「自民党政治を根底から転換」すると言っている。マスコミ報道を尻目にインターネット上の言論も国民意思の結集に大きな役割を果たしたことを含めて、日本の政治史上、画期的な出来事が起きたのである。
むろん、その「転換」がどれほどのものになるかは新政権の努力と政治転換を求める国民の運動によることは言うまでもないであろう。
一方、日本共産党(jcp)に目を移すと、現有9議席を確保したものの”慶祝、慶祝”と言える状態にはない。党指導部は安堵の胸をなでおろしているようであるが、自民党批判の老舗であるjcpがこの総選挙で議席を増やせなかった事実のもつ意味は重い。
2、志位講演の特徴
9月9日に恒例の共産党創立記念講演(87周年)が行われ、その講演全文が11日の「赤旗」に掲載されている。題名は「歴史の大局で到達点をとらえ、未来を展望する」というもので、副題は「総選挙の結果と『建設的野党』の役割」となっている。
その主旨は政権交代の実現という新しい政治情勢は国民の運動と「共産党のたたかいがつくり出した」(!)ものであり、これからは「建設的野党」である「共産党の出番の時代」になったというものである。
政権交代を成し遂げた民主党の存在はそっちのけで、自党に都合の良い点だけを拡大して総選挙の結果を見る姿勢は相変わらずであるが、全体の特徴を一言で言えば、”自党中心史観”ということになる。その骨格は相変わらず”自共対決政治史観”のままなのであって、”マルクス主義の戯画”というほかないものである。
志位は講演の最後で「胸おどる新しい歴史が始まりました。歴史の開拓者の党、日本共産党の出番の時代がやってまいりました。」と言っているのであるが、どうも、庶民にとって未曾有の苦境の時代が到来したことや自党の危機には気がついていないようである。
3、マルクス主義の戯画
演題にある「歴史の大局」で現在の政治情勢をとらえると、志位らにあっては政権交代を成し遂げた民主党が消えてなくなってしまうのである。世間の常識では仰天する主張だが、その理屈は以下のようなものである。
政治対決の基礎には経済的利害をめぐる階級対立(ここまでは正しい)があり、それだから自共対決が政治対立の本質的側面だという把握となり、そこから直接に政治の表舞台の諸現象を解釈・裁断してしまうのである。jcpと比べていかに強大な野党があっても、その野党は非本質的な存在として消し去られてしまうことになる。
民主党とは逆に、jcpは30年にわたる長期低落、21世紀に入っても10年にわたる負け戦が続いても常に政治対決の一方の雄であることに変わりなく、負け戦は将来の飛躍のための仮の姿(不破の言う「政治対決の弁証法」)でしかない。
こうして、負け戦であっても、得票率は落としても票は増やしたとか、どのような些細な前進点であれ、それを探し出しては評価し「善戦健闘」の根拠にすえることがjcpの”政治科学”になるのである。”せんだんは双葉より芳し”というわけである。この党にあっては、20世紀に存在した共産党を名乗る幾多の政党が消滅した歴史も視野の外にあり、jcpだけは別格の存在で政権党になる歴史の必然性をもっているのである。まことに神に選ばれし選良のような存在なのである。
4、志位らの政治図式と現状認識の矛盾
講演で語る自共対決の政治史観は2年前の不破講演と同じものであるが、この総選挙における自公政権の倒壊劇が付け加わっている。そこで志位のとらえ方を具体的にみてみよう。本稿の主題がこれである。まず志位は次のように言う。
「第一に、『二大政党』による悪政の競い合いによって、危機に陥った自民党政治の延命をはかるという目的はどうなったでしょうか。延命どころか、『二大政党』の土台となるはずだった自民党政治そのものの崩壊過程がはじまっているではありませんか」
「自民党政治そのものの崩壊過程がはじまっている」という評価は正しいが、志位らが今でも否定していない「同じ穴のムジナ」論からすれば誤った評価であることになる。というのは、自民も民主も基本政策が同じで「同種・同類の党」と民主党を規定してきたのであるから、共産党政権ではない民主党政権が誕生したことは「自民党政治」が無事に継承されたということであり、財界のもくろんできた二大政党制の役割が発揮されたということになる。単なる政権交代であり政治の基本は何も変わっていない、マスコミが騒ぐような歴史的出来事という評価は誤りであると言わなければならない。
このように理解した場合にだけ、「歴史の大局」からみて民主党を消し去ったjcp流の理屈が成り立つ。というのは政権党は自民党から民主党へと名前を変えただけで、政治の基本は何も変わっていないからである。大山鳴動、ネズミ一匹と、志位は断固として言わなければならないだろう。
どころが、このように言うと志位らが現実に接して感じているところからはかけ離れてしまうことになる。政治はなにも変わっていないと主張するのはどうも具合が悪いと感じざるを得ないのである。 だから、「ムジナ」論より実感に頼り「自民党政治そのものの崩壊過程がはじまっている」と言うはめになる。
「自民党政治の崩壊過程がはじまっている」という志位の現実認識は、その政治図式や「同じ穴のムジナ」論の破綻を意味しているのであるが、どうも志位にはそうした自覚がないようである。自己矛盾を自覚できないjcp指導者の理論感覚は非常に劣化していると評価するほかないであろう。ここには志位らの政治図式や「ムジナ」論が生起しつつある現実に押されて破綻していく姿が鮮明に現れている。
5、「支配勢力最大の誤算」とは何か?
志位の言う第二の論点は次のことである。
「日本共産党の締め出しに失敗したこと、私はここにこそ、支配勢力の最大の誤算があるということを強調したいと思うのであります。支配勢力が、つぶすつもりだった日本共産党は元気いっぱいで、延命させるつもりだった自民党政治の崩壊が始まった。」
ここには9議席にとどまった自党への法外な過大評価と自己矛盾した政治情勢評価があるだけである。志位らの「締め出し」論について言えば、冷戦体制崩壊以降、「支配勢力」にとっては共産主義の脅威はほとんどなくなっていることが見えていない。今度の選挙でも自民と民主がjcpを批判した場面を見たことがなく、むしろ、供託金を引き下げて自民はjcpに”塩”を送ろうとしたほどである。自民党の元幹事長の加藤紘一などは反共と資本主義経済を守るという自民党の歴史的役割は終わったと言っている。
その化石化した政治図式の窓から覗く志位らの目にのみ、この激闘が”茶番”、jcp排除の方便に見え、jcpの9議席だけが”玉”のような価値があり、総選挙最大の”成果”(「支配勢力最大の誤算」)に見えるのである。志位にとっては、9/480議席という客観的数字はどうでもよく、jcpの9議席だけがかけがえのない真実なものとなるのである。志位はこう言っている。
「今回の総選挙でのわが党の善戦・健闘がどんなに大きな歴史的意味をもつかを、私は重ねて感謝を込めて強調したい」。
「支配勢力の最大の誤算」はと言えば、jcpの9議席ではなく、自民党の議席が再起不能なほどの119議席に落ち込んだことである。
6、薄氷の1議席
むろん「共産党は元気いっぱい」というのは、志位お得意の自画自賛である。レーニンの演説を全集で読んでみたまえ。ボルシェヴィキは元気いっぱい、などという演説は絶無である。
志位は「メディアの出口調査の結果を見ると、比例選挙でわが党支持者の約12%が民主党に流れたとのデータがあります。」と言っている。2年前の参議院選では約20%が他党に流れたのであるから、今回は約8%が回帰したものと見ることができる。概算で票数に換算すると、基礎票250万票の8%、すなわち20万票ほどが回帰したことになる。
この回帰票は政治意識の相当高い票であるから、おそらくは選挙戦終盤の民主党300議席オーバーという報道を見て回帰したのであろう。政権交代が確実になったとみて、それならばjcpの議席を増やす方がいいという判断である。ネット上の「2チャンネル」サイトのスレッドでもそうした意見が多数見られた。むろん、jcpが「建設的野党」に転換したこともある程度作用しているであろう。
特に東北ブロックは次点との差がわずかに10972票しかないのであるから、この回帰票の役割は大きかったと言える。今回の東北ブロックのjcp票は315201票、前回は325176票で最終議席の一つうえであったことを見ればわかるように、今回の東北ブロックの議席は薄氷の1議席であったことがよくわかるのである。
「共産党は元気いっぱい」どころか、危うく議席を減らす寸前で”ラッキー”な1議席を得て現状維持にとどまることができたというのが実情なのである。この1議席をjcp再生の糧にするか、それとも災いのタネにするかは志位ら執行部による選挙戦総括の仕方次第である。
7、「過渡的な性格をもった新政権」とは何か(1)
本題に戻ると、最も注意して考察すべきは鳩山連立政権を「過渡的な性格をもった政権」と規定していることである。志位は次のように説明している。
「すなわち、民主党の政策・路線には、『財界中心』、『軍事同盟中心』という自民党政治の『二つの政治悪』から抜け出す立場はいまのところ見られませんし、国民の利益に反する問題点も少なくありませんが、部分的には国民の要求を反映した政策も打ち出されています。こういう過渡的な性格をもった政権が生まれようとしているのです。」
すでに志位が自己矛盾した政治情勢評価をしていることを指摘したが、ここでもその自己矛盾が現れており、矛盾をそのままにして「過渡的な性格をもった政権」と規定を繰り出すために、その規定自体が無内容なものになってしまっている。
「自民党政治の『二つの政治悪』から抜け出す立場はいまのところ見られません」(「同じ穴のムジナ」論の言い換え)と言うのであれば、「自民党政治」が継承されているのであり、そうであるなら、どうして「過渡的な性格をもった政権」と言えるであろうか。前にも言ったように「自民党政治」を継承する政権と規定するべきであろう。
8、「過渡的な性格をもった新政権」とは何か(2)
庶民の要求を「部分的に」反映することを「過渡的な性格をもった政権」と規定する根拠にできないことは明らかである。というのは、以前の自民党単独政権であっても、「部分的には」いつでも国民の要求を取り上げてきたからであり、jcpはこれまで一度も「部分的には」庶民の要求を反映する自民党政権を「過渡的な性格をもった政権」と規定したことがない。
志位らがこのように支離滅裂になるのは、その「二大政党制」や「ムジナ」論の政治図式とその政治図式に収まりそうにない現実の狭間で動揺しているからなのである。以前からの「ムジナ」論の理屈を立てれば「過渡的な性格をもった政権」とはいえず、「自民党政治そのものの崩壊過程がはじまっている」と言うとその「ムジナ」論が壊れてしまう。
義経のような”八艘飛び”をすることができず、二舟にまたがって股裂きに合っている図である。この股裂きを解消するには、「自民党政治そのものの崩壊過程がはじまっている」のだから、新政権を「過渡的な性格をもった政権」と規定する以外にない。この場合は、新政権は「自民党政治」を継承する政権とは言えず、自民党政権から他の、自民党政権と同種の政権にあらざる何らかの別の政権への”過渡的な”政権ということになり、その「ムジナ」論は捨てるほかはないのである。
その結末がどうなるにしろ、「自民党政治そのものの崩壊過程がはじまっている」のであるから、鳩山連立政権ははじめから”過渡的な”政権としての刻印を帯びて発足したのである。すなわち、「崩壊過程」はすでに2007年の参議院選で明確な形をとりはじめていたのであって、自公政権は「11」項以下に示す諸問題への対応能力を失い腐敗し統治能力を喪失した姿をさらしていた。それに対し、今日では反自公政治を象徴することになる「生活が第一」というスローガンを掲げる小沢の出現で、民主党は民意を結集することに成功し2009年総選挙で自公政権を惨敗させたのである。
9、政権交代の政治情勢をつくり出した者は誰か(1)
さて、自らの「ムジナ」論と生起しつつある現実の間をよろめき歩く”後衛”の姿を意識してか、志位は上記「7」項の引用文に直接続けて次のように断言するのである。
「私は、これは、大局的・歴史的にみれば、自民党政治の衰退と崩壊のもとで、何よりも国民の世論と運動、そして日本共産党のたたかいがつくり出した、日本の政治の新しい一局面だということを強調したいと思います。」
やれやれ、というか、何というか、読んでいるこちらの方が赤面するような文章である。自公政権の崩壊と政権交代、新政権の誕生という政治情勢は「日本共産党のたたかいがつくり出した」(!)と志位は言うのである。 いくら「大局的・歴史的に」見ると言っても、これでは我田引水の度が過ぎるであろう。「国民の世論と運動」とともに「日本共産党」を並べるならば当然民主党も書き加えなければならない。民主党を消すのであれば、民主党以上に貢献度の低い「日本共産党」も消さなければならない。だが、志位らの「歴史的・大局的」という世界では、志位らの価値観に合うものだけが存在を許されるのである。
どうやら、志位は7月の都議選まで自分が主張していたことはすっかり忘れてしまったようである。志位らは「同じ穴のムジナ」論にもとづき、政権交代しても政治は変わらない、政権交代という争点はマスコミのつくった虚偽のキャンペーンだと言って政権交代の妨害者という役回りを6年も続けてきたのであって、「建設的野党」論で妨害者の立ち回りを止めたのは総選挙直前である。
ありのままの事実は、志位らの妨害に抗して政権交代を実現したのであって、その主役は志位らの妨害に耳を貸さず民主党を政権へと押し上げた国民である。志位らは7月の都議選後にノコノコやって来て「自公政権の退場」を唱え始めたにすぎない。
10、政権交代の政治情勢をつくり出した者は誰か(2)
この志位発言は毎度おなじみの志位お得意の自画自賛とばかりに無視するわけにはいかない。というのは、冒頭に講演の演題を紹介したように、「歴史の大局で到達点をとらえ」たという「到達点」がこの文章だからであり、講演のモチーフだからである。自共対決政治史観という政治図式の窓から見ると、政権を奪取した民主党も事実経過も消え去ってしまい、こうした主張になってしまうのである。jcpにあってはその政治図式が世間を仰天させる我田引水を生み出し、事実をあべこべに描かせるのである。
些事ならば目をつむることができるが、講演のモチーフについて、こうした”白を黒”と言いくるめる破廉恥な主張をすることは許されないだろう。だから国民から嫌われる。あまりにも常識はずれなのである。これでは末端の党員がいくら生活相談に汗を流してもjcpの支持を広げることはできない。ザルで水を掬うようなものである。この事例からわかるように、jcpが多くの国民から党を隔絶させている一原因はこのマルクス主義の戯画なのである。
志位らは事実をあべこべに描くことになる破廉恥な主張を、指導部の統制により、オーム返しのように言わざるを得ない他の議員や党員の苦境を考えたことがあるのだろうか? このままでは、自分の頭で考える党員は減り、自画自賛のカルト風の党員ばかりになっていくであろう。jcp凋落の元凶は不破や志位ら指導部にあることはあまりにも明らかである。
11、鳩山政権を取りまく情勢と過渡的政権(1)
さて、志位講演への批判はこれくらいにして、「過渡的な性格をもった政権」という規定をその本来の土俵にすえてみよう。民主党政権が「自民党政治」の枠から踏み出さざるを得ない理由、すなわち”過渡的政権”となる理由についてはすでに2年前の投稿「共産党85周年記念講演について・・・(2)」(現状分析欄2007/08/31)の「14」項以下で述べている。そこではこう書いた。
「はっきりしていることは、この2大政党制は最初から四つの十字架を背負っているということである。一つは1000兆円に上る公的債務の重圧である。第2は、1500兆円の個人金融資産を形成した経済土壌たる高度経済成長はもはやないということである。社会保障制度の後退と賃金水準の低下で勤労者の貯蓄は取り崩されている状態である。三つ目はアメリカの金融的収奪にさらされる従属国である。第4はグローバリズム時代での発展途上国との過酷な賃金・価格競争にさらされていることである。・・・こうした経済的事情の下で政権を奪取しようとする民主党は4つの重圧のいくつかを富裕階級と大企業に転嫁させる政策、あるいは対米関係を一定変化させることなしには政権に上り詰めることは不可能である。」(19項)
「21世紀の日本の2大政党制にはそれを成立させる経済的基盤が失われているばかりか、4つの十字架を課せられているうえに、IT革命、ネットワーク社会と言われるように、民主主義の強圧が強まっている時代である。」(20項)
12、鳩山政権を取りまく情勢と過渡的政権(2)
民主党が政権党となった今日ではさらに二つの重圧をつけ加えなければならないだろう。一つは周知のように、アメリカの金融危機に端を発する世界恐慌である。その影響は”派遣切り”や5.7%の完全失業率等の形で現れ、庶民の経済的苦境を加速している。そのうえに、デフレから脱却しえたかに見えた日本経済は世界恐慌の中で再びデフレへと沈み込み始めている。
もうひとつは半世紀に及ぶ万年与党と提携し形成されてきた世界に類例を見ない膨大な官僚機構群による国家への寄生という問題である。かつて「日本株式会社」の背骨を形成し、ゴルバチョフをして「最も成功した社会主義国・日本」と言わしめた官僚機構が”ノーメンクラツーラ”に転化し、それでなくとも不足している税収の大きな部分を飲み込んでいることが明確になったことである。
総選挙前の党首討論で鳩山由紀夫が明らかにしたことだが、独立行政法人や特殊法人、認可法人、公益法人など4500団体に25000人が天下りしており、そこへ交付された税金が12.1兆円である。これらの数字は”ノーメンクラツーラ”層の核になる部分だけのものであり、それらの法人を中心に膨大なファミリー企業群がぶらさがり国民の生き血を吸っている。
13、”救国(民)政権”が必要だ(1)
だから、今では六つの十字架と民主主義の強圧を背負って民主党政権は発足しなければならないのである。これは恐るべき重圧なのであって、万年与党が焼け野が原にした後を襲う者の宿命とはいえ、最悪とも言えるような事態の中で新政権を担うことになった。
”政権交代”ということが広範な庶民の声となって民主党を圧勝させた真の理由がここにある。安倍、福田、麻生とつながる自公政権のていたらくは万年与党の必然とはいえ副次的な要因にすぎない。jcpがそのような庶民の未曾有の苦境のもとで前進できなかったことの深刻な意味もまた逆照されている。
民主党政権が緊急に取り組むべき事は弱者救済の目に見える政策である。雇用、福祉など庶民生活密着型の政策を最優先に実行し、補正予算の見直し・再配分もこの観点から、拙速であっても迅速に執行するべきである。デフレ対策という観点からも必要なことである。対等な日米外交や経済の成長戦略等の課題は二の次で良い。
14、”救国(民)政権”が必要だ(2)
年収200万円以下が1000万人ということは、ほぼ1000万世帯にそうした低所得者がいるということであり、そこに完全失業率5.7%(半失業、潜在失業を加えればおそらくは15%になる)を乗せればどういう人数の者が苦境にあるかを想像するべきであろう。新政権は「ワーキング・プア」というような余裕のある事態ではないことを肝に銘じてもらいたいものである。政治家も識者も政治評論家も日本全土に広がるこうした事態の深刻さを肌で実感しているとは言えない。
鳩山由起夫は青森県に遊説に行った際、都会で失業して帰ってきた30代の息子が一月前に自殺したという話を老いた母親から演説会場で聞かされている。「こういう政治、何とかなりませんか」という悲痛な声が上がっている。
こうした苦境は例外ではないのであって、年収200万以下といえば、その多くは不安定雇用であり、何とか暮らせているのは老親の家庭ぐるみであるからである。しかし、老親から独立しなければならない青年達にとっては就職の希望のない生活は孝行息子であればあるほど苦痛なのであって、膨大な若い自殺者予備軍が潜在していると見なければならないだろう。蓄えのない中高年ともなれば、さらに悲惨である。
政治がどうしても国民の信頼を取り戻さなければならない時であり、新政権は”救国(民)政権”とならなければならないのである。