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「現状分析と対抗戦略」討論欄

法律闘争から政治闘争へ逸脱した検察を危ぶむ

2010/1/17 櫻井智志

 東京地検特捜部による民主党幹事長小沢一郎氏への追及は、政界だけでなく、 世間に対しても大きな影響を及ぼしている。1月17日の東京新聞は、紙面のか なりのスペースで、この問題を多角的に論じている。社説は、小沢氏に批判的で あるが、著名人の見解や捜査の背景など、多様な視点を提示している。

 その中でも、一面の記事は、検察上層部はずうっと地検特捜部の捜査要求に抑 制的だったことを報道している。その抑制が変化する転機は、昨年の十月だっ た。土地購入問題が一部で報道されると、ある市民団体が石川議員たち三人に対 する刑事告発をおこなった。東京地検特捜部は、本格捜査への大義名分を得る。 上層部のゴー・サインがはじめて出た。みの刑事告発をおこなった市民団体の性 格がどのようなものか?ここに不透明で大きな疑惑が感じられる。

 東京新聞「こちら特報部」は、『どうみる?小沢氏秘書ら逮捕』と銘打ち、四 人の著名人の見解を載せている。ジャーナリストの魚住昭氏、青木理氏、大谷昭 宏氏、弁護士の若狭勝氏である。それぞれのかたがどのような見解を述べている か。小見出しと発言を簡単に要約する。

 魚住昭氏   目的は失脚 不純な意図
 検察は、なぜ強引に突き進むのか。理由は二つある。ひとつ目は、西松建設か ら二千百万円余の偽装献金を受けたとして大久保秘書を逮捕したが、これは大失 敗となった。何としても小沢関係の事件を手がけて汚名をそそぎたい。そんな意 図がまぎれこんでいる。
 二つ目は、権力闘争。検察を中心とする霞が関から国家の主導権を政治に取り 戻そうとするのが、小沢氏ら民主党の狙い。これを阻止するのは、霞ヶ関の官僚 たち全体の意思である。捜査の最終的な目的は、小沢一郎氏の政治的な失脚だろ う。このままだと去年の総選挙の結果が、捜査によって無に帰す。そんな政治的 捜査があっていいのか。

 青木理氏   検察監視の視点も重要
 検察は、公訴権を基本的に独占するという強大な権限をもっている。検察が起 訴した際の有罪率は99パーセントを超える。即ち、検察が逮捕・起訴に踏み切 れば、その時点で有罪はほぼ確定し、無罪となる可能性などゼロに近い。
 小沢氏の元秘書が逮捕された今回の事件は、直接の容疑事実がいかにも形式的 で悪質性が高いように見えない。これまで自民党議員の周辺で浮かんだ同種の事 案などでは、今回よりも悪質で見逃されたケースがあった。過去に検察は、組織 内部の不正を告発しようとした幹部を口封じのため逮捕するという信じがたい 「前科」もある。検察が決して正義を顕現しているわけではないことを銘記すべ きだろう。
 さらに、東京新聞も含めて、大手メディアの検察に対する姿勢である。検察と いう強大な権力装置の内実も同時にえぐり出し、問題点には果敢な批判を加えて ほしい。検察捜査のお先棒を担ぐかのような報道ばかりでは辟易させられる。

 大谷昭宏氏  伝家の宝刀 慎重さ欠く
 なんとしても小沢幹事長に手を付けたいという恣意を感じる。背景には、外国 人参政権、捜査の可視化、指揮権発動、検事総長の人事などをめぐる動きがある のではないか。国会での議論という伝家の宝刀をちらつかせて、検察の権力構造 に手を入れようとする与党に対して、法務当局は捜査という伝家の宝刀で受けて 立った。法務当局の上層部は、折り合いを付けようとしていた。しかし、現場が 押し切って逮捕に至り、全面戦争に突入した。そんな状況だった可能性があると 見ている。
 権力闘争を国民が望んでいるのだろうか。国民が選んだ政権政党に対して、検 察は決して民意を代弁していない。捜査というよく切れる刀は抑制して使うべき だ。

 若狭勝氏   高い悪質性 当然の捜査
東京地検特捜部で副部長をしていた時の感覚で言うと、極めて当然の捜査をし ている。ある程度、容疑が浮き彫りになっている状況で、容疑者がうそを言った り、あいまいな供述をしていれば、捜査当局は証拠隠滅を図られないか心配す る。避けるには逮捕が必要になる。おそらくそういう状況になり、厳しい姿勢で 臨んだのだろう。
 小沢幹事長のかかわりについては、冷静に考えた方が良い。検察も逮捕した容 疑者を固める段階。関与を示す証拠は無いだろう。取りざたすべきではない。

 以上が特集記事の四人の見解を短く引用したものである。小沢一郎氏をめぐる 検察とのやりとりは、ひとり小沢氏個人だけの問題ではない。自公政権の「亡国 政治、亡国行政」にかわって政権を獲得した民主党連立政権が、これから日本の 民主政治を前進させていけるかどうかに関わる重大問題である。まもなく開かれ る国会は、当面する重要な国民生活に関わる案件を実りある討議を展開できるの だろうか。もしも、小沢氏をめぐる金銭問題をめぐる与野党政党間の駆け引きと やりとり「だけ」に終わるのならば、我慢強い日本国民は、しだいに言論無用の ニヒリズムに陥っていくことだろう。ニヒリズムの社会心理は、議会制民主主義 の制度の形骸化と並行して、広く国民に無力感を拡大させていく。これは、次に 日本をどのような社会へと導いていくのだろうか?