哲学者であり、社会学者でもありつつ、思想家としても 大きな足跡を残された芝田進午さん。氏が逝去されたことは その独自の創造的な学問が閉ざされることで、大きな痛手で あり、なおかつ損失でもあった。
しかし、芝田進午氏がご逝去された後も、氏の社会的実践
は明確に跡を継承するかたがたがいる。
ひとつは、住宅密集地の新宿区戸山に移転を強行した国立
感染症研究所の実験差し止め裁判を、芝田さん亡き後も最高
裁まで上告し闘い続けた裁判の会の皆さんたちである。
そしてもうひとつ。「平和のためのコンサート」である。
今年も芝田進午氏夫人である芝田貞子さんが芝田先生の遺志
を継承して、今年も第11回平和のためのコンサートを、6
月12日(土)に新宿区牛込箪笥区民ホールで開催される。
詳細は「平和のためのコンサート」ホームページにくわしい。
私はほぼ毎回このコンサートを広く世間の皆さんに知らせた
いと思い、記してきた。
だが、それはコンサートの告知作業を目的としているわけで
はない。実践的唯物論哲学を構築され、さらに人類生存のため
の哲学をめざす途上でご逝去された芝田哲学を、亡くなった後
も、その実践面で継承し続けるかたがたがいる、という事実。
私自らは、バイオハードを予防し阻止するための社会運動に
加わってはいない。平和のためのコンサートにも、いわば傍観
者のひとりである。
だが、学生時代に著作に感動して、別の用事でご自宅を訪問
して、じかにお会いしてから、芝田進午さんのおひとがらに、
氏の著作『人間性と人格の理論』が目指した理論と同様に、解
放された人格をひしひしと感じた。
芝田氏自らが「唯物論を体現したとしたら戸坂潤という人格
となる」と紹介されたように、「人間性と人格の疎外から解放
された人格」を体現した人間像として、芝田さんご自身が該当
されよう。そのことを氏を直接知る多くの良心的知識人や実践
家がおっしゃるのを聞いた。
今回も「平和のためのコンサート」がやってくる。それは私
にとり、芝田さんの平和的文化運動を継承し続けている存在が
健在であることの証である。私は、できるかぎりこれからも、
このコンサートの意義を伝えようと考えている。
毎回コンサートの前の第一部は、お二人の朗読とともに詩人
橋爪文さんの講演『広島からの出発』である。詳細は先に記し
たホームページにつまびらかである。