原さん、
ご多忙な中を小生の意見に丁寧に目を通され、ご指摘を賜りありがとうございまし
た。
基本的に、小生は貴兄の論考を肯定する立場から発言します。
今回は二人の見解の相違についての対話ですので、このあとからは批判的な記述もあ
ろうかと思います。
よろしくお願い申しあげます。
①原さんのご指摘
櫻井さんの指摘に関してひとつだけお返事をさせていただくことにします。それは
多喜二の未熟な党活動についての私の指摘を「現場からの指摘ではない」、「後から
足りない点を」指摘したもので「後知恵」であるという批判についてです。言わば、
当時の過酷な現実とそれに立ち向かった多喜二らの真摯さへの評価が忘れられている
という批判になるのでしょう。
この批判への反論の第一は、マルクスらの共産主義の思想と運動は初発からイン
ターナショナルなものであったということです。簡単に言えば、各国の共産主義運動
の理論と実践、その経験は各国の共産党が研究し自分らの実践に応用することを必須
条件としていたということです。
言うまでもなく、第2インターであれ第3インターであれ、その設立はそうした目
的の実現を一つの柱にしていたものです。そこで日本の共産党の実践も世界史的なレ
ベルでみることが必要であり、すでに19世紀末のドイツ社会民主党による社会主義
者取締法の粉砕、20世紀初頭におけるツアーリズムを打倒したロシア革命の経験が
あるわけです。決して戦前の日本共産党がひとり前人未踏の領域を歩んでいたわけで
はありません。
第二は、日本においても『日本資本主義発達史講座』の刊行があり、その中心に座
る非党員マルクス学者・山田盛太郎の『日本資本主義分析』が発表されており、日本
の特異な戦前資本主義の命運を見通すべくマルクスの再生産表式を応用した軍需品生
産表式を考案するという成果も現れているわけです。
戦前日本の共産党だけが世界史的なレベルの経験を学ばなくていいという理由はな く、戦前特高の苛烈な弾圧や国民の根強い天皇崇拝が未熟な党活動や党壊滅の原因に できるわけがありません。
工事現場の話にたとえれば、一定の工事ルールと順序があるものですが、しかし、
どんな工事現場でもそのルールと順序を変更せざるを得ない応用問題にぶつかるのが
通常です。その応用問題を解決できず建造物がつぶれたり未完に終わったということ
になれば、どのように工事責任者を評価すべきなのか? という問題になるでしょ
う。
前人未踏の領域ならいざ知らず、一定の経験がすでにあり、一般的なルールが形成
されてきた後の応用問題を解けなければ、工事責任者の未熟さや研究不足は責められ
こそすれ、工事に取り組む姿勢が真摯だからといって評価するわけにはいかないで
しょう。そんなことをすれば、”内輪”の馴れ合いのようなものになってしまいま
す。
多喜二の党活動の未熟さは、戦前党の実践の未熟さの反映なのであって、党歴2年 程度の党員には当たり前の多喜二の未熟さを私が批判しているわけではありません。 わたしのやったことは、多喜二の文学作品『党生活者』を素材に戦前共産党の党活動 の実態を洗い出し、多喜二の描き出した「党生活者」が労働者生活を送る一般党員と 職業革命家の中間形態に過ぎず、範疇として成立するほどの職業革命家(群)を生み 出し得なかったことを指摘し、その指摘を根拠に、戦前共産党の政党にあらざる思想 運動団体という実態を析出したということです。
②小生の見解
マルクスらの共産主義の思想と運動が、インターナショナルなものであったとして
も、共産主義運動は最初から日本で独自の運動としては推進できないでしょう。歴史
的にも国際的にリードしていく部分があり、つぎに各国の自生的段階があり、最後に
世界的規模の運動として拡大していくと考えます。戦前日本の運動は、世界的なレベ
ルのリーダー的存在としてのコミンテルンから学び、世界共産党の日本支部としてス
タートせざるを得なかった。
同時に、日本での共産主義運動は、日本史の民衆闘争史の進歩的伝統を継承してい
ます。明治期でも、自由民権運動の秩父事件などのラディカルな運動や大逆事件の冤
罪を受けた幸徳秋水などの無政府主義、同じく官憲により虐殺されたアナーキズムの
大杉栄。こういった民衆的抵抗の運動を継承しています。ある面では、継承しきれな
かった部分さえあります。
加藤哲郎氏らが研究した戦前、戦時中のソ連における日本人共産主義者の虐殺。国
際共産主義運動は、そのような大きな負の遺産?も秘めています。けれども、日本の
共産主義運動には、スターリン型の紋切り型やステロタイプでない理論的独創性があ
ります。ひとつは経済学における野呂栄太郎の『日本資本主義発達史』にみられる到
達、哲学における戸坂潤らの唯物論研究会の活動とともに築き上げた実践的唯物論。
文学における小林多喜二らのプロレタリア文学。これらは世界的にも高い水準である
と言われています。
このような豊かな独創性をはらむ日本の共産主義運動は、戦後にコミンフォルムか
らの批判などを経由してソ連や中国への大国追随主義から自主路線へと歩いてきまし
た。
コミュニズムそのものが、発生から発展へと発達するなかで、コミンテルンの支部か
ら自主独立路線をと変わってきました。「未熟な党活動」が歴史的変遷とともに、ど
のように発展するかが重要です。
だが、原さんが数々の論考でご指摘のように、現在の日本共産党の1980年代以
降の長期的停滞と減速については、上記の私の指摘では、ほとんど説明が成り立ちま
せん。そのような原因究明として、原さんが戦前の共産党そのものに根本的な問題が
内在していたというご指摘は説得力があります。それを否定しきれないところが、私
のつらさでもあります。
それでも、戦前の未熟さを数々の歴史的盛り上がりや国民的運動の後に、現在の停
滞に結びつけてすませることができるものでしょうか。
私は、戦後民衆運動史を民衆とアメリカ政府とそれに従属した日本支配層の支配勢力
との闘争の歴史ととらえます。闘争の高揚的な場面とともに、弾圧によって恐るべき
停滞とが交互に訪れます。それが民衆闘争の社会的な弁証法ではないのかと考えてい
ます。
今回の直接の争点は、小林多喜二の『党生活者』の作品世界に表出した日本共産党
の運動そのものの未熟さは、共産党に内在する問題点なのか、闘争の発展の段階的な
ものなのかということだと思います。
私には明快に原さんの論理を否定できません。かすかに感じている違和感は、その
時代における未熟さを変革主体そのものに由来するとは断定できないという感覚で
す。変革主体とそれを阻む反動勢力との闘争の力関係にあり、私たちは、その闘争か
ら現代に学び取る必要があると考えます。たぶん原さんの趣旨もそれを否定してはい
ないかも知れませんが。
日本共産党が解体すべき対象というふうには私は考えていません。その弱点や矛盾
点を克服して発展するための指摘が必要だという考え方をしています。
いま沖縄米軍基地の移転問題は、連立政権から社民党が脱退するという局面に入りま
した。福島党首は、沖縄県民の闘争と広範な意思表示に連帯して、日米政府のやりと
りに正式に反対の意思表示を行いました。平和と護憲に徹する福島瑞穂さんの態度
は、大いに支持できるものです。内閣に入って一定程度活躍して、日米安保条約の根
幹に触れる場面では、自社さ連立政権の村山首相=委員長の失敗を再現しなかった福
島党首の決断は見事です。日本共産党も、戦前および戦後の数々の失敗をもとに生か
して、新たな発展の足がかりを築いてほしいというのが、私の本意です。
原さん、生煮えの「論」ですが、どうぞ忌憚のないご教示をお願い致します。