おそらく私の本欄への2月6日付投稿中の評価的文言に関連して、櫻井智志氏 が2月19日付本欄への投稿で見解を述べられている。その投稿における櫻井氏 の議論自体は、氏の意見であるから、私はうかがうに止め、さらに自らの意見を 述べようとは思わない(議論をする意思はない)。
ただ、櫻井氏の投稿においては、私が2月6日付、及び19日付(発信が末尾 の脱稿日付と異なってしまった)投稿で述べたかったことと異なる取り上げ方を されているので、その点についてだけ少し弁明をしておきたい。
本欄のタイトルが「現状分析と対抗戦略」とあるように、私は、上記投稿で都 知事選を目前に控えた「革新都政をつくる会」による小池晃氏の擁立をめぐる事 情と都民の意識について「現状分析」を行い、それは、(石原都政を終らせたい と願う心ある)都民に「失望」を与えたと評価したのである。そしてさらに、心 ある都民を失望させないような「対抗戦略」とは、「1960年代後半~ 1970年代にかけてとは異なり、個別課題を掲げたNGOやNPOが遍く市民 社会に簇生している今日」の社会状況にふさわしく、「基本的には団体加盟の」 組織として「統一戦線」を構築し、それに依拠して首長選をたたかうやり方では なく、個人個人を対象として、あるいは少なくとも広範なNGO・NPOなどを 巻き込む形で選挙母体を形成してたたかうことではないかと、問題を提起したの であった。
2007年の参議院選挙東京選挙区選挙において、日本共産党の田村智子候補 が次点でさえなく次々点となり、緒方靖夫前議員の議席承継に失敗した事実から は、保坂三蔵候補が次点で落選して自民党が1議席となった反面で民主党候補が 高位で2議席を獲得し、さらに、無所属の・薬害エイズ問題で著名な川田龍平候 補も最下位ながら当選した(当時は、まだ川田氏が「みんなの党」に所属すると は誰も考えていなかっただろう)結果と併せて考えると、2009年総選挙にお ける民主党への政権交代(この選挙での日本共産党議席数の現状維持が薄氷もの だったことは、原仙作氏の本欄2009年9月19日付投稿が指摘しているとこ ろだ)に向けた都民の政治意識の「流れ」は、すでにこの時点で生じていたと評 価できるといっているのである。そしてそれは、その3か月前の都知事選におい ても同じであろうといっているのである。
だからこそ、そうした「過渡期の情勢」を的確につかみ、直前の都知事選にお いても「都政における政権交代」を実現するべく、最大限の努力を日本共産党が していたのかを、当時も現在も、私は問題にしていたのだった。そして今回も、 この1年半の国政の過程を見て民主党政権に失望していたとしても、この底流に おける都民の政治意識に変化はない(社会状況はむしろ悪くなっている)とすれ ば、「革新都政をつくる会」による小池晃氏の擁立が、その期待に応える形に なっているのかを、問うたのである。
もちろん、「底流をなす都民の政治意識」なるものも、不動の絶対的存在では ない。各政治勢力からの働きかけや情勢自体によって変化しうる、流動的なもの である。だからこそ、その中にある肯定的傾向を促進し、否定的傾向を克服して 望ましい政治変化に結びつけるために、日本共産党を始めとする政治勢力がどの ような姿勢で臨むべきかが、切実に問われるはずだろう。
ある特定の選挙や、より長期的スパンにおける日本共産党の「選挙での停滞や 敗北」をどう見るかが主題でないことだけは、理解していただけるのではなかろ うか。(2月24日)