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「現状分析と対抗戦略」討論欄

櫻井智志氏の3月5日付投稿について

2011/3/7 樹々の緑

 私の2月24日付本欄への投稿に対して、櫻井智志氏から本欄へ標記返答をい ただいた。これに関連する範囲で、なるべく簡単に述べたい。これは、直接に櫻 井氏に返答・反論する趣旨ではない。

 私の上記投稿で、これに先行する2投稿において私がいいたかったことについ ては、櫻井氏にもご理解いただけたように思う。それは休心した。

 ただ、なぜこのような趣旨の投稿を私が本欄にするか、これを承けて櫻井氏 が、氏がいう「外部状況」についてなぜとくに言及したいと欲しておられるの か、という点に関しては、やはり問題意識のズレを感じる。

 極めて単純な言い方をすれば、櫻井氏には、私の指摘が「日本共産党に停滞や 敗北を強いている客観的・外部的要因を差し措いて、日本共産党の戦術ないし戦 略だけを非難している」と映っていたのだろうと思う。だから、「停滞や敗北の 基本的原因を見誤るな」という趣旨で、投稿をされているように思う。

 そういう理解の上で、述べるのだが、それでは、櫻井氏の目には、現 在の情勢自体はどう映っているのだろうか。私の2月24日付投稿を長く引用さ れて、「論理は、まっとうであり、私もとくに反対する趣旨の論文ではない」と いわれているが、実はその肝腎な点について評価が異なっているのではないか、 という疑いがある。

 というのは、私が櫻井氏のいう「内部要因」の指摘にこだわっているのは、 「外部状況」としては、2月24日付投稿末尾で指摘したように流動的ではあり ながらも、日本共産党が一昨年総選挙後評価を変えた「過渡期の情勢」が、昨年 参院選における自民党の一定の巻返し以後も継続して存在していると考え、その 情勢を肯定的に捉えているからである。そこに、「日本共産党の長期的な選挙で の停滞や敗北をもたらした外部状況」は、情勢の主側面としては登場しない。し たがってまた、「共産党が停滞や敗北をしている外部的原因」を「言い訳」的に わざわざ指摘する必要もない。純客観的には、「共産党には追い風が吹 いている」という認識だからである。焦眉の問題は、その純客観的な「追い 風」情勢を、具体的に勝利に結びつけられないのはなぜか、というところにある のではないか。
 「革新上げ潮の時代」に支配勢力が対抗して、「春日違憲質問」「社公合意」 を経て一貫して系統的に進めた、革新勢力とりわけ労働戦線の分断政策や、その 背後にあったアメリカの世界戦略による誘導は、いま述べた現在焦眉の問題の 「一般的背景」としてしか位置づけられないのではないか。その種の議論では、 結局のところ「支配勢力は被支配勢力のたたかいの中心的担い手であった日本共 産党に執拗な攻撃を加えて来た」という程度の一般的な認識しか得られない。そ れは、それこそ時代を通底して妥当する議論に過ぎないのである。「現状分析と 対抗戦略」としては、弱いと感じるのである。

 翻って、一昨年秋口に民主党への「政権交代」をもたらした国民の意思は、日 本共産党もいうように、明らかに「自公政権の退場」を意図したものであり、国 民の中で、小泉「改革」以来の国民生活に深刻な打撃を与える政治に対する、拒 絶反応が出たことを意味している。
 日本共産党が、いみじくもこれを「過渡期」と名づけたように、この政治過程 は、これで「終着点」を迎えたとは思われない。これからこそが、「それでは、 退場させられた『自公政治』を根本的に改める政治の内容とは何か」が、より具 体的に問われてくるのだ。国民意識の中の政治過程は、まさにその模索 過程にある。

 議論したくないし、範囲を拡げたくもないのだが、同じ櫻井氏が、3月5日付 で「一般投稿欄」に発表している「桜さんのご提案に思う~アメリカ政府と対等 に渡り合える政権を~」という投稿には、「福田自民党政権や鳩山民主党政権が 倒れた時に、私は容易ならざるアメリカ政府・軍部とそれに連携した日本の大企 業との水面下の恫喝を感じました。」とある。これは、いま述べた「国民意識の 中の政治過程」とどのような関係にあると、櫻井氏は評価しているのか。
 櫻井氏がいう「容易ならざる……恫喝」は、小澤氏の政治資金問題、そして、民 主党内で将来の総理と嘱望されている前原外相の政治資金問題のリークのされ方 などを見ていると、一昨年の「政権交代」以来、一貫して、現在においても継続 中である。攻撃の矢面に立たされているのは、民主党の主たる面々である。 これを通じて、「国民意識の中の政治過程」が進行を阻まれようとしているので ある。「容易ならざる力」の持主=支配勢力にとっては、国民の期待に応え られない腰砕けの政権担当勢力である民主党の幹部でさえ、叩き潰さねばならな いと感じられるものなのである。しかし、だから共産党までもが、その正面 攻撃を受けて後退しているわけではない。日本共産党は、たしかに根本的な 反対勢力としては潜在的脅威かも知れない。しかし、現状で彼らにとって は、共産党は物の数ではない。「オウンゴール」を繰り返しているからである。 そういう情勢認識が、櫻井氏にはないが私にはあるように思われてならな い。
 何も、小澤氏や前原氏を擁護したいわけではない。これらの背後にある「容易 ならざる力」と国民の希望とは、相矛盾する関係にある。民主党政権の腰砕けぶ りに「失望」した一定の国民が、昨年の参院選挙で自民党に回帰したとしても、 全体としての「国民意識の底流」の傾向に、「容易ならざる力」が期待するよう な歯止めがかかってしまったわけではない。だから、一昨年に始まった「過渡期 の情勢」の肯定的過程を、今後どのように進めるかは、依然として重大かつ焦眉 の課題だと思うのだ。

 日本共産党が、本当にこのように考えるのであれば、民主党を一昨年に政権に まで押し上げた国民の中に分け入り、それと歩みをともにすることに最も腐心し て、着実に肯定的な模索の政治過程を進めてもらおうと努力を傾注するであろ う。「草の根」という党最高幹部らが好む言葉も、本来はそのような事柄を指し ていると思う。

 それでは、日本共産党はどのように行動しているか。またしていたか。

 一昨年の総選挙までは、一貫して、小泉政治に深刻な打撃を受けた国民意識の 底流にある「自公政権退場要求」を抽象的な「二大政党制支持の意識」(そうい う傾向が皆無であったとは思わないが、それはむしろ、小選挙区制という選挙制 度のなせる業であろう)と見誤り、「二大政党制はインチキだ」とする趣旨の批 判を強力に展開し、結果として、「民主党政権への政権交代」にブレーキを掛け る客観的な役割を果たしていたのではなかったか。  にも拘らず、一昨年の総選挙で民主党への政権交代が実現するやいなや、「こ れは『自公政権の退場』を求める国民意思の成果であり『過渡期の情勢』の到来 だ」とばかりに「手のひらを返す」ような評価に転じ、「これからこそが日本共 産党の真の出番だ」というに至ったのではないか。
 近年のことでしかないこのような評価の変更を、「何事もなかった」かのよう に痛切な自己批判もなくしてみせる共産党に対して、民衆の目は厳しいことを知 るべきであろう。
 しかも、その後も日本共産党はどのような行動をしているかというと、櫻井氏 が指摘する鳩山政権倒壊の原因の一端ともなった(主原因は、普天間飛行場移設 問題であるが…)「小澤献金問題」について、これが「『容易ならざる』支配勢 力による、間接的な国民への攻撃だ」と把握して国民に呼びかけて反撃を組織す るどころか、支配勢力と一緒になって「疑惑追及」に邁進してきたのではなかっ たか。
 櫻井氏がまさに正当に指摘するように、この間の政治過程の主側面は、一昨年 に民主党への政権交代として具体化した国民の政治的模索過程を、より進めさせ るのか、それともこれを押し止めるのかにある。それに対して、日本共産党がト ンチンカンな対応しかしていないことこそが、この党が民衆から続けて見放され ていることの主原因とは考えられないのか。

 民衆が、民主党や自民党に対するのと同じように、日本共産党に対しても、そ の「人格的誠実さ」を見定めていることを、甘く見てはいけない。「政治的に正 しい」ことだけが、民衆の政党評価の基準となっているわけではないし、日本共 産党の直近の行動が、すべて「政治的に正しい」わけでもない。「政策の正し さ」が、それだけで政治的支持に結びつくと考えるのであれば、それは政治過程 を戯画化するものだ。

 議論の出発点に戻って、都知事選における日本共産党の対応はどうか。

 団体加盟を基本とする「革新都政をつくる会」の守備範囲を一歩も出ないま ま、内輪の談合によって都知事候補を決めてしまったのが実態ではないのか。い ま「小池晃氏を都知事にする勝手連」運動が起きているようだが、それとてごく 微細な動きに止まっている。「石原都政の『退場』を求める心ある都民」に与え た失望の方が、より大きいからであろう。
 こうした現状が、「容易ならざる力」の持主の攻撃によって作り出されている と考えるのであれば、それは、より深く、前述の日本共産党のトンチンカンな対 応も、米日支配勢力の攻撃による日本共産党の日和見主義政党への転落によって もたらされたものだ、とでも主張することとなろう。しかしそのような一般論 が、目前の都知事選挙の情勢分析と対抗戦略の探究にとって、意味があるものだ とは思われないのである。(3月7日)