久しぶりの投稿になりますが、民主党の代表選を素材に政局雑感風のことを書いてみることにします。
私の見解は2010年7月7日付の投稿(現状分析欄)の”線”のままなのであって、政権交代の09年マニフェスト「国民の生活が第一」という政治理念をめぐる民主党内の権力闘争が未だ決着を見ずに継続されているという見立てなのです。
この権力闘争は支配階級内の利権争いを越えて、”諸般の事情の組み合わせ”の結果として、庶民の利益を巡る闘争が中心に置かれている点は変わっていないと見ています。共産党執行部のように自・民の悪政の競い合いとばかりに黒一色に塗りつぶすわけにはいきません。
それゆえに、一般的な階級闘争の政治図式に頼って、進行中の民主党代表選を政局とばかりに馬鹿にするわけにはいかず、細心の注意を払って研究する必要があると思うのです。
今ひとつ述べておくべきことは、大震災と原発重大事故が契機となって示された菅政権の無惨な姿は日本社会の縮図であり、1945年の敗戦が解決しえなかった戦後改革の大問題(天皇制とその無答責な統治体制)が今なお生きており、再び生々しい姿で出現したと考えています。いわゆる「第二の敗戦」。
福島原発事故で露呈した政府と官僚機構による情報操作と後手に回る対処措置、住民を平然と被曝させる無責任体制と人間不在、このような形で出現した戦前来の大問題は、無答責でありながら主権をふるう中央官僚機構による政治支配(官僚主権国家=戦前天皇制の転化形態)に根本原因があり、統治経験のない菅政権の無能な行政運営が事態の悪化を増幅させています。
現在進行中の民主党内の権力闘争は、かかる未解決の大問題のベースのうえに進行しており、09マニフェストをめぐる闘争が小沢派VS反小沢派となるのも、小沢排除が政・財・官・報各界の「総意」になるのも、小沢が”政治主導”(官僚主権打破、官僚主導打破ではない)を掲げているからに他なりません。
ネット上では”小沢信者”と揶揄されるほどの一群の市民がおり、また小沢支持デモが各地で行われるのも、09マニフェストの支持ということばかりでなく、小沢の言う”政治主導”がこの国にあっては革命的な意義をもっていることを無意識のうちにも感じとっているからでしょう。
さて、民主党の代表選ですが、見るべきポイントは言うまでもなく小沢サイドがどの程度の陣地を維持し、その趨勢はどうなったかということです。既得権益勢力の総攻撃にもかかわらず、鳩山のKYぶりや海江田の「玉」の悪さにもかかわらず、はたまた、大震災や原発重大事故の発生にもかかわらず国民の政治運動が盛り上がってこないという条件の中で、代表選で小鳩連合が177票(党員権停止議員を含めれば185~6票)を集めていることは一つの驚異と感じているところです。
菅政権の1年の間に、小鳩連合下の議員はそれぞれに利益誘導・脅迫等の引き剥がしを受けたはずですから、1年前の小沢が取った200票からそれほど崩されておらず、この数字は大変なものだと言わざるを得ません。この数字を説明する事情は、おそらくは単なる権力闘争ではないという事情、「国民の生活が第一」というマニフェストにあります。
ネット上の議論では、これで小沢3連敗だ、腐って自民党化した民主党からの離脱だ、新党だという意見も多いのですが、私は逆で、人の心は移ろいやすく小さな政治集会を開くにも並大抵ではない苦労がいる日本の現状のなかで、主流派になびいた方がどれほど楽かと想像するとき、177票も残っていることは敵にとっても大いなる脅威であろうと感ずるのです。
この数字が野田政権の人事の伏線になってくるでしょう。ようやく閣僚人事もきまったようですが、小沢サイドに近い輿石東の幹事長就任がポイントで一つの「サプライズ」になっています。 反小沢連合が結束しており盤石であり、かつ、それなりの政権運営ができていれば、こうした人事はあり得ないのであって、輿石人事は小沢サイドの戦果と言うべきで、様々な想像・空想を掻き立てる恰好の素材になっています。
魑魅魍魎の政界にあっては、単純に階級利害で明確な線引きができる事情ばかりが事態を引き起こしているわけではなく、怨念やら嫉妬、議員の性格、議員間の人間模様等々、様々な要因が作用し思わぬ事態が展開するということがあります。特に民主党の場合は目が離せず、鳩山による普天間基地沖縄県外移設論や末期菅政権の浜岡原発停止や再生可能エネルギー買い取り法案、経産省のポチとなり原発推進論で行動した海江田が代表選候補となるや脱原発論に鞍替えするという現象も起きています。
まずは小鳩連合の側の作戦ですが、一発で代表選を制することができなければ負けることは明瞭です。一発で過半数にいたる票読みができないということは、敵は”あらゆる手段”を持っていますから、決選投票では負けるということにほかなりません。決選投票での中間派の多数はあてにならない。ですから、投票日前には小沢には事態はわかっていたことになります。それに小沢が立候補した時の代表戦サポーター票の出方やこの6月の不信任決議を巡る鳩山のイレギュラー行動など、小沢VS反小沢連合というように単純化された決戦では敵による総攻撃のターゲットは明確になるのでうまくいかないことも経験的にわかっていたというべきでしょう。
そうすると、作戦は二段構え、三段構えの構想が必要で当初から劣勢の側にはそれが不可欠なものだったはずです。主に鳩山側の事情で海江田となったのですから最大の目標は海江田勝利ですが、それがダメな場合(一発で過半数不能)は、小沢排除の最強硬派・仙谷がいる前原一派の総理出現を阻止することが第二目標になるでしょう。 ある新聞には、仙谷が小沢との会談で小沢幹事長を提案したと書いていますが、ガセか、あるいは事実であったにしても小沢が仙谷提案を信用しなかったのでしょう。この世界ではどんな約束も反故にされうる。菅の「ノーサイド」も「若い人に引き継ぐ」という辞任表明もしかりです。 前原政権を阻止するために小沢サイドとしてできることは、三位となっていると思われた野田を確実な二位に押し上げることです。前原の政治資金問題や野田支援を撤回した事情も前原票の広がりを妨げる事情としてあることも作戦上のプラスです。
9月2日付の日経新聞の記事に「幻の小沢・野田連携」というのがあります。それによれば、野田の側からモーションを起こしています。22日、前原が出馬を決めた日の晩、ある議員連盟の懇親会で、野田は輿石をくどき挙党態勢構築のための要職についてほしいと言っています。また8月中旬には野田は細川護煕を仲介役に小沢と会談しており、細川も小沢に野田を「売り込んだ」らしい。小沢は「増税がなぁ」と応じなかったらしく、記事は連携が「幻」になったと書いています。
しかし、この三者の関係を見ると、小沢は細川を総理に押し上げ、細川は日本新党結成で野田を国会議員に拾い上げているという過去があり、その人間関係にはそれなりの信頼があると見てよいでしょう。
このような伏線があれば、第二段階の作戦は立てやすく、野田による輿石への提案が抽象的なものであれ、野田の提案が事実上反故にされる結果となるとしても、海江田勝利がダメであれば次善策として野田に賭けてみるという手は有力な選択肢となり、「ひょうたんから駒」を生む可能性もなきにしもあらず。事と次第によっては、その後の展開次第では結果として「駒」どころか、「ドジョウが金魚を生む」可能性にさえ道を開くこともありうる。
一回目の投票で海江田票が143票、野田票が102票という数字を見ると、新聞報道では小沢側近の話として160票は確保とあったことからすれば143票は少なすぎです。他方では野田票はグループ員30票、菅グループ票50票で80票という基礎票と野田の不人気、前原の立候補という事情をあわせ考えると多すぎる票ということになります。前原の獲得票は74票、基礎票はグループの50票と見て上積み票が24票ですから、前原の上積み票に匹敵する上積み票を野田が取るとは考えにくい。しかもメチャクチャな政権運営と党運営をして党内に不人気の菅と岡田が推している。また独自のグループを持たぬ鹿野が52票も集めている。
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もともと浮動票は100票前後と言われており、鹿野52票、馬淵24票、前原の上積み票が約24票とくれば野田の取り分はほとんどないことになります。これらの大ざっぱな推計からでもわかることですが、一回目の投票で10~20票ほどの海江田票が野田に流れているという推測はそれほど的はずれではないでしょう。ここに小沢の奇策があったように見えます。
およそ、こうした背景から生まれたのが輿石幹事長ということになるのでしょう。その意味では野田は輿石への提案を実直に実行したということになり、結果的に小沢の第二段階の作戦は戦果をもたらすことになりました。
小沢は海江田で負けても小沢サイドに近い輿石という幹事長を得るし、野田は三番手ながら総理という大魚を射止め177票の大勢力とそれなりに「円満」な関係を築くことができ菅政権の失敗(党内抗争激化)を当面乗りきることができるということになります。双方にとって悪い取引ではなく両者一両得というわけでしょう。見方によっては、前原が後からしゃしゃり出てこなければ、輿石幹事長はなかったかもしれず、前原・仙谷は藪を突いて蛇を出したのかも知れません。
さて、双方の蜜月も長くは続かず、財務省のポチと化していた野田財務相が公約に上げた増税と大連立をめぐる争いが始まると一般的には見るべきですが、ここでも拙速な単純化は禁物です。野田が前原を政調会長にすえ、しかも閣僚兼務を解き政調会の承認を政権政策実行の条件にしたことは注目するべきでしょう。党と内閣の一元化というべきものですが、小沢が幹事長になっていた時、党の影響を排除した鳩山政権とは逆になっています。
前原には政権運営の重要な役割が付与されることになり、前原の矜持を満足させ、かつ野党の前原攻撃を回避させる意味(閣外)をも持たせているものの、その前原が政調会を仕切れるかどうかです。「口先誠司」にそれができるか? 八ッ場ダム中止問題、JAL再建問題、中国漁船衝突問題、「マッチポンプ」よろしく、どれもこれも火をつけただけで収拾をつけられなかった男にそれができるか、はなはだ心もとないというのが実状でしょう。
実績からすれば、とてもじゃないが、前原を据えるわけにはいかない。 政調会の帰趨によっては野田も政権公約を変えなければならなくなります。増税と大連立からマニフェストへの回帰という道筋もありうる政調会の位置づけになっています。
一路、増税と大連立をめざすならば、強大な党内野党が存在する民主党では、政調会のしばりは邪魔になる可能性が大きく、調整型の野田の手法のしからしむるところとばかりには了解しにくいところがあります。
ヤマ勘というほかありませんが、例の永田ガセメール事件でゴーサインを出した国対委員長・野田の粗忽さと比較すると手が混んでおり、政権運営の隠れたブレーンがいるような気配も感じられるところです。民主党によく見られるように、一時的ではあれ野田が君子となって豹変する布石とも、あるいは菅を反面教師として党の総意で政権を運営する口実とも解釈でき、いずれにしても輿石の動向と共にしばらくは予断を持たずに野田の政策実行を注視することが必要だと思っています。