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「現状分析と対抗戦略」討論欄

福島原発被災を語る徐京植さんの啓示

2011/9/11 櫻井 智志

 徐京植さんが、八月十四日に放送されたNHKのテレビ番組『こころの時代:私にとっての「3・11」』に出演された。徐京植さんの2人の兄、徐勝さんと徐俊植さんは、朴軍事政権時代に留学中のソウルで北朝鮮のスパイとして逮捕された。京植さんは、お母さんを亡くす不幸を乗り越えて兄たちの救出活動に取り組まれた。兄弟は釈放された。旺盛な著作活動を続けられ、現在は東京経済大学教授である。番組は啓示的だった。

 徐さんは、「根こぎ」という言葉を使った。それは、一個の根を下ろしている植物を徹底的に抜いてしまい、生命、生存の基盤そのものを破壊することをさしている。人間が人間に対して、人間を根こぎにするということがある。戦争や植民地支配やその他で、世界中で多くの人々が根を抜かれてさまよっている。その人々が経験している痛みを、数量化したり物量化して語られている。それだけで語れるようなものではない事柄が、放射能であり、核である。福島原発事故下で私たちが考察すべき問題だと、徐さんは訴える。

 放射能に汚染された地域の人たちが農業と漁業と林業を失い、それによって営々と築いてきた自分たちの風土から根扱ぎにされ、これから何十年も百年以上も政府や企業のまかないで生きていく残酷。カネで買われて廃棄処分にされるために農産物を作り魚を捕るなら、それはもう農業、漁業とはいえない。産業ではない。「食べてもらいたい」と思って畑を耕し漁をし、「飲んでもらいたい」と思って牛乳を搾るからこそ産業なのである。その産業を生み出し維持するからこそ風土なのだ。子から孫へと命をつなぎ、産業をつなぎ、文化をつなぎ、そこに住む人間としての誇りをつないで、初めて一つの人間社会といえる。福島という人間の社会をつぶしてはならない、そして、福島と日本中の子どもたちに健康破壊を負わせてはならない、と。

 徐さんは、アフリカの大量の難民を見るたびに、彼らはまさに「根こぎ」にされた人々なのだと思う。相馬市の酪農家が「原発さえなければ」という「遺書」を残して自殺した。棄てるために乳を搾らなければならない、その酪農家にとって奴隷労働以上につらいことだったのだろう。彼は残酷に「根こぎ」されて死に追いやられ、最も惨忍に「殺された」。

 被爆者の問題というのは「差別の問題」であり、その差別に、私たちは向かい合っていかなければならない、向かい合える子どもに育てなければならない。そういう意味で、コミュニティーをしっかり作ること。疎開先でも。ちょうど外国に行って日本人コミュニティーを日本人が作るように、そのような疎開の仕方が必要だということを、徐さんは訴える。 さらに、自分たちを「根こぎ」にするものは、放射能だけではなく、日本という非情な国家だけでもなく、常に差別を内包する日本人社会そのものだ、ということを。

 「根こぎ」を自らと重ね合わせながら生きてこられた徐さんの言葉には、重量感がある。日本人も、目に見えぬもう一つの現実を見通す想像力を研ぎ澄ませていかねばならない。