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「現状分析と対抗戦略」討論欄

ひさしぶりに原さんの投稿を読んで

2011/10/11 丸 楠夫

・全体的な感想、意見

「・・・民主党内の権力闘争・・・(を)・・・共産党執行部のように自・民の 悪政の競い合いとばかりに黒一色に塗りつぶすわけにはいきませ ん。
 それゆえに、一般的な階級闘争の政治図式に頼って、進行中の民主党代表選を 政局とばかりに馬鹿にするわけにはいかず、細心の注意を払って研究す る必要 があると思うのです。」
「さて、双方(野田と小沢グループ―引用者注)の蜜月も長くは続かず、財務省 のポチと化していた野田財務相が公約に上げた増税と大連立をめぐる争 いが始 まると一般的には見るべきですが、ここでも拙速な単純化は禁物です。」
「・・・しばらくは予断を持たずに野田の政策実行を注視することが必要だと 思っています。」(以上、「野田政権誕生始末」よ り)

 「民主党内の権力闘争」を「黒一色に塗りつぶす」ことなく、「細心の注意を 払って研究する必要があ」り、「拙速な単純化は禁物」であるこ と。
 以上の点は、いずれも異論の余地のないことであると、私も思います。
 しかし、そもそも民主党・野田政権を「拙速な単純化」を排し「細心の注意を 払って研究する」のは何のためなのか?少なくとも、民主党・野田政権 に対し て科学的に正確な認識を得るため、だけでないことは当然の前提でしょう。民主 党・野田政権に対し「予断を持たずに」「拙速な単純化」を排し 「細心の注意 を払って研究する」のは、まず何よりも、民主党・野田政権の「政権交代の09 年マニフェスト「国民の生活が第一」という政治理念」 「庶民の利益」に反す る点(とそうでない点)を見極め、「政権交代の09年マニフェスト「国民の生 活が第一」という政治理念」「庶民の利益」に反 する動きに対しては徹底して 批判を集中し、そのような「政策実行」を断固として阻止する、ためではないの か。にもかかわらず、原さんは今回の投稿 でこの点に一切踏み込んでいない。 そのような問題意識に関する言及が一切ない。
 そのため、「一色に塗りつぶすわけにはいきません」「細心の注意を払って研 究する必要」「拙速な単純化は禁物」「予断を持たずに・・・注視する ことが 必要」といった原さんの言葉も(原さんの主観的意図はどうあれ、結果)、全て 一般論としての正しさの域を出ていない。その上、「しばらくは 予断を持たず に野田の政策実行を注視することが必要だと思っています」―「野田の政策」が どのようなもであれ(「政権交代の09年マニフェスト 「国民の生活が第一」 という政治理念」「庶民の利益」に反するものであれ?)、「実行」されるまで は(判断・批判を保留して?)ただ「注視するこ とが必要」―と言うのであれ ば、(原さんの主観的意図はどうあれ)むしろ「細心の注意を払って研究する必 要」から逸脱して民主党・野田政権に対す る批判的検討を出来る限り忌避しよ うとしている風にさえ受け取れてしまう(注)。少なくとも、原さんの投稿を読 んだ人が、民主党・野田政権への批 判的意識を鈍らせてしまう方向へミスリー ドされてしまうおそれさえある、といえます。
 さざ波通信の投稿者きっての論客であり、支持する方も多い原さんの投稿とし ては、以上のような今回の踏み込み不足に残念さを禁じえませ ん。

(注)批判と否定はイコールではなく、物事を批判的に見る態度は、「一色に塗 りつぶすわけにはいきません」「細心の注意を払って研究する必要」 「拙速な 単純化は禁物」「予断を持たずに・・・注視することが必要」といったことと対 立するものではありません。むしろそれらのことの前提、土台 になるもです。

・批判対象が官僚、官僚組織のみに限定されることの問題点、「政治主導」に対 する無批判

「今ひとつ述べておくべきことは、大震災と原発重大事故が契機となって示され た菅政権の無惨な姿は日本社会の縮図であり、1945年の敗戦が解決 しえな かった戦後改革の大問題(天皇制とその無答責な統治体制)が今なお生きてお り、再び生々しい姿で出現したと考えています。いわゆる「第二の 敗戦」。
 福島原発事故で露呈した政府と官僚機構による情報操作と後手に回る対処措 置、住民を平然と被曝させる無責任体制と人間不在、このような形で出現 した 戦前来の大問題は、無答責でありながら主権をふるう中央官僚機構による政治支 配(官僚主権国家=戦前天皇制の転化形態)に根本原因があ り、・・・」 (「野田政権誕生始末」より)

 なぜ、”政治主導”を掲げる「小沢排除が政・財・官・報各界の「総意」にな る」のか?
 その問いを導くためには「政・財・官・報各界」の中から「官」だけを切り離 して考えるわけにはいかないのは明白です。もちろん、官僚・官僚機構 とその あり方が、それ自体独自の分析と批判を必要とする巨大な対象、重大な問題であ ることは確かです。しかし、官僚・官僚機構を分析・批判し、そ の問題に効果 的に切り込んでいくためには、官僚・官僚機構とそのあり方、問題を、「政・ 財・官・報各界」の関連の中でとらえ、明らかにし、是正し ていくことが不可 欠でしょう。
 原さん自身は、おそらくその点は十分認識した上でのことなのでしょうが、少 なくとも今回の投稿では官僚機構への批判が強調されるあまり、官僚機 構のみ を他から切り離して批判する表現となっています(あたかも「中央官僚機構」の みが単一で、独占的に「主権を振る」って「政治支配」を行って いるかのごと き現状規定、「天皇制とその無答責な統治体制」とともに戦後改革を生き残った 旧財閥についての言及の欠如、等)。そのため、結果的に 読者を―官僚機構を 「政・財・官・報各界」の関連、社会のあり方との関連の中でとらえ、批判する 認識を鈍らせ―もっぱら官僚機構のあり方のみに日 本の問題を見出す方向へミス リードする内容になっていると言わざるを得ません(注)。

(注) 今回の原発事故の賠償責任に関して、一切合財を東京電力に押し付け て、その結果賠償負担に耐え切れず東電が破綻したとしても、後は株主と 融資 元(銀行等)の負担で処理し(東電を破たん処理するとしても、何らかの形で社 会インフラとしての発送電事業を継続させることはいくらでも可能 でしょ う)、十分な賠償を受けられなかった被害者に限って、(国の責任はあいまいに したままに)生活再建を名目に国が支援を行う、と言う方法も取 りえたでしょ う。その方が、中央官僚機構が自らの無答責性を貫く上では妥当だったはずで す。でも実際には、東電を破綻させないことありきで国もま た賠償責任を負 い、国がいくらでも東電を財政的に支援できる枠組みのもとで賠償を行う、とい う方法が取られました。そしてそのような形で―不十分 ながらも―国が責任を 負ったことで、少なくとも東電とその大株主、銀行団は損害を最小化することに 成功しつつある。官僚機構が無答責性を幾分損な うのと引き換えに守られたも のは、財界の主要な一角を占める東電とその大口出資者、およびそれらに連なる 財界の少なからぬ主要部分の利益であった ことは無視できないでしょう。

「現在進行中の民主党内の権力闘争は、かかる未解決の大問題のベースのうえに 進行しており、09マニフェストをめぐる闘争が小沢派VS反小沢派と なるの も、小沢排除が政・財・官・報各界の「総意」になるのも、小沢が”政治主導” (官僚主権打破、官僚主導打破ではない)を掲げているからに他 なりません。
 ネット上では”小沢信者”と揶揄されるほどの一群の市民がおり、また小沢支持 デモが各地で行われるのも、09マニフェストの支持ということばか りでな く、小沢の言う”政治主導”がこの国にあっては革命的な意義をもっていることを 無意識のうちにも感じとっているからでしょう。」(「野田政 権誕生始末」)

 少なからぬ人々が、「小沢の言う”政治主導”」に(肯定的な意味を込めて) 「革命的な意義をもっていることを無意識のうちにも感じとっている」 こと と、実際に「小沢の言う”政治主導”」(あるいは今日一般的に言われている「政 治主導」も含めて)が、肯定的に評価できるような「革命的な意 義をもってい る」かは、また別の問題であり、当然にも分けて考えなければならない問題で す。
 「政治主導」が悪い、と言いたいわけではもちろんありません。
 私が言いたいのは「政治主導」がいいとか悪いとかではなく、一口に「政治主 導」と言ってもその中には肯定的に評価すべき「政治主導」と、批判の 対象と すべき、「政治主導」があるのではないか、と言うことです。
 小沢はかねてより、国会審議においての官僚による答弁の禁止を強く主張し、 またぞの実現のために常に主導的、積極的役割を果たし続けました。そ して、 民主党政権樹立後には、ついに内閣法制局長官の国会答弁も大幅に制限(政府特 別補佐人から政府参考人への格下げ)され、これまで実質的に 担ってきた法令 解釈権も剥奪され、国務大臣の一人が法令解釈を担当することになりましたが、 これらも小沢の強い意向が働いたとする報道がありまし た。官僚答弁の弊害も 確かに否定は出来ないでしょう。しかしその一方で、前例踏襲主義と継続性に固 執する官僚答弁は、一面では、時の政府が従来の 施策を改悪する際には一定の 障害になりうるものでもあり、とりわけ九条解釈において内閣法制局が自衛隊の 海外派兵に相対的に抑制的であったのも事 実でしょう。また、法令運用、行政 運営の実務を担う官僚を、国会、特に野党議員が直接に統制、けん制する機会と して官僚に答弁させるということが 一定の意義を持っていたことも否めないで しょう。
 また、小沢の言う通年国会にしても、それが実現すれば、国会が会期末を迎え て法案が時間切れ廃案、継続審議になる、と言うこともなくなるわけで す。そ れはつまり、政府・与党からすれば強行採決によって国会が空転しても、その後 の日程をあれこれ考慮する必要が(完全にではないにせよ)なく なる、与党な いし国会多数派の主導する法案でさえあれば、たとえその法案の内容がどのよう なものであれ、格段に通りやすくなる、ハイスピードで成 立させていけると言 うことです。そのことをもってして、果たして(肯定的な意味を込めて)「革命 的な意義をもっている」などといえるの か?
 「政治主導」、あるいは「小沢の言う”政治主導”」にしても、少なくともそれ を一くくりにして(肯定的な意味を込めて)「革命的な意義をもって いる」と 評価することははなはだ危険であると言わざるを得ない。それどころか「小沢の 言う”政治主導”」は一面において<反動的>でさえあるで しょう。
また、民主党に対して、その

「権力闘争は支配階級内の利権争いを越えて、”諸般の事情の組み合わせ”の結果 として、庶民の利益を巡る闘争が中心に置かれている点は変わってい ないと見 ています。共産党執行部のように自・民の悪政の競い合いとばかりに黒一色に塗 りつぶすわけにはいきません。  それゆえに、一般的な階級闘争の政治図式に頼って、進行中の民主党代表選を 政局とばかりに馬鹿にするわけにはいかず、細心の注意を払って研究す る必要 があると思うのです。」(「野田政権誕生始末」)

と言う「見立て」がなりたつのであれば、官僚機構についても(省益や天下り先 の確保といった官僚の主観的意図、動機は別として、あるいはそれにも かかわ らず)「悪政の競い合いとばかりに黒一色に塗りつぶすわけにはい」かない、 「利権争いを越えて、”諸般の事情の組み合わせ”の結果として、 庶民の利益を 巡る闘争が」存在する、と「見立て」る事も可能でしょう。具体的に一例を挙げ るとすれば、TPP(環太平洋経済連携協定)を巡る農林 水産省と経済産業省の対 立は、TTP交渉参加阻止の立場に立つならば、決して無関心でいるわけにはいか ないものです。
 官僚・官僚機構を他の関連から切り離してもっぱらそれへの批判のみに集中し てしまう風潮が広く蔓延しているからと言って、それにいたずらに流さ れてし まう、無批判に乗ってしまっては、「拙速な単純化」を排し「細心の注意を払っ て研究する」姿勢からは乖離してしまうでしょ う。