大阪市長選挙で、大阪維新の会の橋下徹が大差で当選しました。また、同日行われた大阪府知事選挙においても、(橋下本人のような知名度、個人人気は期待できないはずの)大阪維新の会推薦候補が、これも大差で当選しました。しかも、両選挙とも近年に無い高い投票率を記録し、それも含めて、橋下・維新の会の圧勝といえる結果となりました。私自身は大阪府民でも市民でもなく、そのため現地の実際の状況はよく分からないので、今回の選挙についての、大阪在住の方による実証的な分析・検討などが”さざ波通信”に投稿されたらいいなあ、などと思っているところですが、議論の取っ掛かりになればとも思い、私の思うところを述べておくこととします。
全国的な報道の限りでは、「反独裁」「反ファシズム」という言葉が、さながら反橋下派陣営のスローガン・キャッチフレーズのような位置を得ていたようでした。そして、まさにその点にこそ――それが全てとまでは言いませんが――敗因の一つがあったのではないか、と私は感じるのです。
別に私はここで、橋下・維新の会はファシストではない、と言うつもりではなく――それはまた別個に検討する必要があることとは思いますが――、仮にファシストだとして、ファシストにファシストだと言うことに(今回の場合)果たして意義があったのか?無かったのではないか?むしろマイナスだったのではないか、と皆さんに問いかけたいのです。
「ファシズム」の定義とは何か?と問われて、即座に明確に答えられる人というのは、実は少ないのではないでしょうか。多くの人が、いざ説明を求められるとなると答えるのに幾分躊躇するのではないでしょうか。その一方で、「ファシズム」「ファシスト」あるいは「独裁」という言葉には「きわめて強く警戒・対応すべき対象」、もっと言ってしまえば”絶対的悪”というイメージが、広く定着しているのではないでしょうか。むしろ、「ファシズム」「ファシスト」という語に多くの人が持つ”絶対的悪”というイメージゆえに、定義だのそれに合致するかだのといった説明をいちいち必要としない、相手への”最強の痛罵”として通用してしまっている感さえあります。そのことが、望ましくない傾向や人物・陣営に対して、――「ファシズム」「ファシスト」と規定することの妥当性の検討が不十分なまま――我々が安易に「ファシスト」「ファシズム」という語を使ってしまうことにつながっているようにも思います。
それはともかく、このような「ファシズム」「ファシスト」という語の持つ特異性は、相手を「ファシストだ」と呼ぶれわれの側に、ある種の思考停止をもたらしてしまう麻薬のような作用を持っていはしないでしょうか?「」「ファシスト」が説明するまでも無い”絶対的悪”であり相手へのこれ以上無い痛罵だとしたら、我々は「ファシスト」と呼んだ相手についてこれ以上あれこれ説明・分析を試みたり個別の事柄について批判したりする必要がなくなります。後はただ「ファシスト」「ファシズム」と連呼すればいい。むしろ理屈の上ではそうせざるより他なくなります。しかも相手が”絶対的悪”であるところの「ファシスト」だとすれば、それに反対、非難する我々の側は、――少なくとも――相対的に”正義”ということになります。とすれば、へたをすると我々は、自分たち自身について言葉を尽くして語る必要性さえ、薄くなりそうです。
ファシスト、ファシズムに対して闘う、という意識を共有できる我々の間でなら、これらのことは陣営の団結を強め、戦意の高揚をもたらすのかもしれません。しかし、詳しいことはまだ分からないけれど、なんとなく橋下・維新を支持している人や橋下・維新支持に傾きつつある人、今のところまだ橋下・維新支持を決めかねている人、依然中立的・傍観的立場にいる人たちから見て、我々「反独裁」「反ファシズム」の反橋下派陣営は、一体どのように映ったでしょうか?
なんだかよく分からないけど(と言うのはつまり、「ファシスト」「ファシズム」の定義を明確に示した上で、その定義に橋下・維新がどのようにどの程度合致し、そのことがなぜ、どの程度危険なことなのかについての説明が、納得いくまで十分に受けられらていない、少なくともそう感じられる、ということです)、橋下・維新を「ファシスト」「ファシズム」と呼び(では橋下にでも投票してみようかな、と思っている私もそのファシストとかいうやつなのか?それともファシストに騙されている・騙さされかかっている愚民だとでも言うのか?)、大阪府政・市政の実務的・個別具体的な事柄についての橋下・維新との違いやセールスポイントにつてもいまいち伝わってこないのに、反橋下派陣営は「反独裁」「反ファシズム」という自分の正義によっているだけ(だったのかどうかは私――丸――には、実際の現地の様子を体験していないので分かりませんが)、と映ってしまったとしたら、反橋下陣営の票の伸び代が限定されてしまったとしても、それは必然だった、とも言えるでしょう。むしろ反橋下派陣営が「反独裁」「反ファシズム」を叫べば叫ぶほど、より確信的でなく、よりライトで、より中間的・浮動的な橋下・維新支持層を相手の下へ結集させることになった、とさえ言えるかもしれません。つまり橋下・維新を「ファシズム」「ファシスト」「独裁」と呼ぶなら、(それほど確信的ではない、浮動票的な)橋下・維新支持層についてどう認識するのか?ということまで考えが回っていなかったのではないでしょうか?ここにも相手を「ファシスト」と呼んでしまうことでの思考停止作用があったのではないかと思います。
では、我々反橋下派陣営はどうすればよかったのか?
一つは、「反独裁」「反ファシズム」という一見使い勝手のよさそうなワンフレーズにはあえて乗らない、ということではないでしょうか(思えば、「独裁」という語を最初に持ち出してきたのは橋下自身の方でした。まんまと相手のえさに食いついてしまった、というのは、さすがに後知恵的な思い過ごしかもしれませんが)。そして終始一貫、大阪府政・市政について実務的、個別具体的に語ることに徹する、大阪の抱える問題点一つ一つ取り上げ、対案・対策を具体的に説く、橋下のキャラクターや維新の会という一まとまりを攻撃するのではなく、維新の会としての政策、府知事候補・市長候補としての政策・公約を実務的・個別的に攻撃・批判するべきだった、むしろそれ以外に有効なやり方はなかったのではないか、と思うのです。
もちろん、限られた選挙期間にそんなことしているのは手間と時間ばかりかかって効率的ではない、という批判はあるでしょう。しかし、テレビ的、ワイドショー的主導権がすでに橋下に握られてしまっていた以上、市長選・府知事選のワイドショー的盛り上げへ繋がりかねない事は出来る限りしない、あえてテレビが取り上げるたがらない、エンターテイメント的には面白くも無い、丁寧な個別的、具体的政策論に終始する、というのは、不利な戦線にはさっさと見切りをつけて戦力の選択と集中を図る、それによって相手が得点を挙げにくくする、一つの戦術的に合理的な選択肢だったのではないでしょうか。また、あらかじめ橋下・維新に負けることも想定して維新府政・橋下市政下での党派を超えた対抗運動を見据える、という観点から、課題別・分野別の個別政策・要求に立脚した組織化を選挙期間中からはじめておく、と考えることは、別に敗北主義でも消極主義でもなく、それはそれで劣勢の状況下での積極的戦略たり得たのではないでしょうか。
まとめにかえて
戦後日本の左派・革新陣営が敗北した、国民の間に十分な支持を広げられなかった、という批判、反省に立った言及というのは、ここ、さざ波通信の投稿でもたびたび見られたかと思います。ではその左派・革新陣営に対して勝ってきた、国民に広い支持を得てきたのは誰だったのか?それは保守陣営であり、身もふたも無い言い方をすればかつての自民党・保守系政治家たちです。この点に触れた投稿というのはあまりなかったのではないでしょうか。しかしこれは厳然たる事実です。もちろん、戦後日本のあり方全体を射程に入れた分析は、”開発主義”や”企業主義的統合”といった言葉をキーワードにした学者による研究はいくつもすでにあるわけですが、ここではもっと卑近な話し、かつての自民党系議員の選挙の強さについて再確認しましょう。
「戸別訪問三万件、街頭演説二千回」
「選挙は白兵戦」
かつての自民党系議員の選挙の強さの、少なくとも一つが、フェイス・トゥ・フェイスで積み上げられた支持の強靭さではなかったでしょうか。我々が小沢一郎に学ぶことがあるとすれば、それは彼の政治主導論や官僚機構改革論ではなく、地元の選挙ではほとんど負けない、一過性のムードやマスコミに依存した空中戦に左右されない、田中角栄・竹下登流の地域密着型の支持というものの強靭さ、ではないでしょうか(もちろんそんな奇麗事だけではなく、彼らは与党政治家としての利権・利益誘導もフル活用してそれを築き上げたであろう点も十分批判的に留意しなければなりません)。もちろんこれは非常に手間隙のかかる効率の悪い手法です(あの小泉純一郎でさえ、世襲候補だったにもかかわらず、最初の選挙では落選しています)。しかし”メディアを巧みに活用する”とか”無党派層の心をつかむ”とかの方が、具体策がいまいち分からない、雲をつかむような話ではないでしょうか。
我々はそろそろ、「無党派層」や「反独裁」「反ファシズム」といった実態をつかみきれない大雑把な語りや、「政治改革」「」政権交代」「政治主導」等の時流に乗って、その一点突破を全面展開につなげよう、といった空中戦的発想は考え直すべきではないでしょうか。個々の政治課題、社会問題、暮らしや雇用の各分野、地域・職場・日常の生活により近い領域等々のそれぞれに立脚した、ゲリラ戦的、パルチザン闘争的あり方が求められるときではないでしょうか。
もちろん、全土開放(日本、ひいては世界の改革、革命)という展望を持ちながら。