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「現状分析と対抗戦略」討論欄

政治的・実践的に考える その2

2011/12/16 人文学徒

 丸楠夫さんに反論する。こう語られた点について。

『(日本の)「現在の国家の支配の中核になっているのは、官僚機構である」、と言うことは、それぞれの観点から妥当性があるといえるでしょう。  しかしもし、「現在の国家の支配の中核になっているのは、官僚機構である」というのが、原仙作氏の「官僚主権国家」規定(原 同)を意味するのであれば、それは疑問と言わざるをえません。官僚機構の問題は、あくまで日本の危機・問題点の構成要因のうちの一つ、多面的な支配構造の一面、一角と捉えるべきであり、したがって官僚機構改革の取り組みは、日本改革ないし革命の過程における(重要ではあるがあくまで)多様な課題の内のひとつとして位置づけるべきと、私は考えます。』

反論というのは、丸さんのように官僚機構(もちろん、現在の日本のそれです)をば単に『日本の危機・問題点の構成要因のうちの一つ、多面的な支配構造の一面、一角』とのみ捉えるか、それ以上のものと捉えるべきかということについてです。これを原仙作さんが「官僚主権国家」と呼んだその意味に関わり、敢えて言えば、それに近い政治的現状があると僕も主張したいわけです。
 僕の10月20日投稿のこの部分を丸さんがどう捉えられたのか、その反論はありませんがと、まずお聞きしつつ、今回さらにそのやや詳しい論述をしたいと思います。

『日本政治を良くするための長期的・戦略的相手としては、財界、政界、官界、マスコミ界、そしてアメリカの産軍複合体など政財界や、IMF/世銀 体制などなどが存在することは自明でしょう。ですが、そういう「悪政全体を語り、解明し、告発する」だけでは、国民のための改善や政治的前進は作れるはずがないと思います。
 今は、その誰を、どこで批判し、押し込めていくべきか。従来の左翼は、その客観主義哲学理論も関わって、このような実践的観点が全く弱かったと言うしかありません。
実際に前進を作って初めて人々の政治意識も進んでいくという政治的・実践的観点としては、こんな考察が必要になるでしょう。
①日本の悪政全体は、どこが現在先頭に立って走っているのか。官僚・マスコミ連合軍だと思います。
②その「先頭」と国民との間で現在どんなトラブルが起こっており、特に広い国民の目に見えているのはどんな点か。「脱原発依存」・「原発新規建設 停止」、グローバリズム・超格差社会のこと、対アジア友好などへの反省は渦巻いており、民主党マニュフェストには体制内部にさえ一定の支持があります。
③その「先頭」とのトラブルを問題にしているのは誰と誰で、そのうち当面できるだけ広くかまえて、誰と誰が味方になり得るか。
 つまり、敵の最も突き出た細い部分を捉えて放さず、実際にこれを押し込めようとしてこそ「味方」を最も広くしうるから現状を前進させられるという、そうしてこそ国民の変革意欲、意識も前進させられるという、そういう実践的課題を捉えて動くということです。こういう考察がなければ、具体的な政治的実践ではありません。』

①について
 自民党が下野しても、その共犯者・官僚機構は民主党主流派を取り込んで、消費税策動、普天間などに見るように己の手下のように扱っている現実さえあります。財界との関係でも、マスコミを握っているせいか、長期的にはいざ知らず今はずいぶん支配的に振る舞っています。従来からの護送船団方式、経産省・東電の関係、税務調査と企業の関係などを見ると、世界経済が混乱を極めていることも関わってか、日本官僚機構の強権には一種独特のものが浮き彫りになっていると言えるはずです。
 さらに、官僚としては違法と言える越権行為の数々をあげることも出来ます。普天間問題では、内閣に抵抗してアメリカにスパイもどきの行為に及んでいました。原発事故処理でも内閣、閣僚の前進的発言を平気で批判していました。民主党マニュフェストさえ骨抜きにするという力をも示しました。
 こうして、法制上は政の方が上ではあるが、これは今や形式と化し、官僚が内閣を作っているとさえ言える情勢です。
 こうして現官僚機構は、民主党の中にも多くの批判者を抱え、その外交や原発を巡っては財界にも重大な批判が存在しています。こういう情勢がまた、国民が今どこからどう手を付けるべきかを教えてくれているのではないでしょうか。資本主義そのものに手を付けることなどは今は世界的な事業であり、遠い先の話だと考えます。敢えて言えばこういうことでしょう。敵の酷すぎる前衛部隊さえ退けられないで、どうしていつか本陣に迫ることが出来るでしょうか。

②③について
 現在、日本国家の官僚機構は、①のようなものであり、原発、アメリカべったり外交、超格差社会などで先頭に立って、国民との数々のトラブルを起こしてきたし、消費税ではまさに先頭に立って大々的に搾取を強めようとしています。天下りなどの利権の温存に必死なのでしょう。特に、マスコミ記者クラブとの結託、民主党マニュフェスト敵視、検察・裁判所の恣意的活用などにも、左右を問わず大きな反発があります。
 例えば今この時、官僚機構と財界主流が死守しようとしている原発体制に対して、民主党反主流派などとも手を組んで脱原発へと手を付けられないで、どうして日本の明日が望めると言うのでしょうか。今や、脱原発は旧左翼より遙かに広い人々の声になっているのです。
 そして政治とは、そのつまるところは「敵(の構造)を明らかにし、告発の演説を繰り広げること」ではないでしょう。支配機構のその都度の「先頭」が引き起こし、国民の意識に上った大事件などを事実うまく押し込めて見せ、その都度国民への最悪の害をなんらか取り除いてみせ、併せてもっと変えられるという確信と今後に向けてのそのやり方とを育てあっていくものではないでしょうか。この後者の方には、正しく「敵(の構造)を明らかにすること」が関わってきましょう。がそれにしても、正しくこれを捉えているか否かは、当面の先頭に立っている最悪の敵に対して広く味方を組織して事実なんらか押し込めてみせられなければ何の説得力もありません。政治的実践とは、そういうことのはずです。ここが分からなかったのが、従来左翼の左翼小児病、客観主義哲学であったと、僕は言いたいわけです。変革の意識は、改善、変革の実践と共にしか進まないはずです。

以上から明らかなように、僕は丸さんの以下の論述にこそ賛成できないということになります。

『もちろん、実際に原・人文学徒両氏が直接に、官僚機構改革・官僚主権打倒以外は後回しにするよう主張しているわけではありません。しかし一連の投稿において、両氏の、官僚機構の問題以外の政治的諸実践に対する考慮・考察の欠如も明らかであり、早くもその運動論上の弊害が現れている、ともいえます(注)。ですから、私は現在の運動の方向付け、規定としては、”日本の新自由主義化・帝国主義化に対する闘い”といった大まかなもので十分であり、民主主義と暮らしの権利・豊かさの実現・発展のための課題の一つとして官僚機構改革を位置づける――ことによって、民主主義と暮らしの権利・豊かさの実現・発展に反する政治(家・首長・議会内多数派)主導や新自由主義的な官僚機構改革(改悪)との差別化を図っていく――が妥当であると考えるのです。』

 当方が語る政治方針への討論なのですからこれは政治方針ということになりましょうが、だとすれば、やはり今までの左翼と同様のことを繰り返すだけに終わるだろうと考えます。より広い誰とも手を組めず、政治的に何かを実現してみせるということもなく、「敵はこれらだ。このように悪い」とただ演説、告発、少数者による散発的デモなどを繰り返しているだけに。これではまたまた「政治家=口舌の輩」という広い常識に飲み込まれ、十把一絡げにされる運命しかないと考えます。こういうのを左翼小児病と言い、やがて一挙にこの悪に対して人々が立ち上がる時が来ると信じているやの点では、窮乏革命論という客観主義哲学と観るほかはないことになると考えます。