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「現状分析と対抗戦略」討論欄

生活保護と社会保障基本法2011

2012/5/25 櫻井 智志

 お笑いコンビの芸人が25日、東京・新宿の吉本興業本社で母親の生活保護費受給問題についての会見を行った。それは謝罪会見である。
 しかし、「生活保護受給」は、国民の生活権に関わる基本的人権である。お母さんが高給を受給していて、なおかつ生活保護を支給されていたわけではない。しかもお母さんが生活保護を支給される頃に、その芸人は年収百万円に満たなかったことも会見で明らかにしている。

 新自由主義下の社会保障政策では、「自己責任」なるいかがわしい珍妙な屁理屈がまかり通っている。新自由主義から福祉社会への転換こそ、国民に求められている政治と政策の転換である。謝罪させて見せしめにする。なにか生活保護支給を恥ずかしいことのように見せかけるある種の謀略的なマスコミの動向と感じた。

 自民党の片山さつき議員が、大衆的に人気のある芸人の家族をとりあげる。その芸人が謝罪会見をテレビで拡大するように取り扱われる。畳みかけるように、その芸人の会見を受けて、今回の問題を「生活保護不正受給疑惑」として指摘してきた自民党の世耕弘成議員が以下のような趣旨のコメントをした。
 会見でその芸人は、母親の受給を認めて一部を返還する意向を示し、謝罪した。これを受け、世耕議員はさらに、「私は著名人が親の扶養義務を果たさずに生活保護を受給させることで『あの人もやってるから』と安易な受給が進むことを懸念し、問題を指摘してきた。彼の返納表明で『生活保護の前にまずは家族による扶養』という常識が浸透することを期待します」とコメントした。

 この騒動は、一部週刊誌の報道をきっかけに勃発。河本に高額の収入がありながら母親が生活保護費を受け取るのは不正受給であると、世耕、片山議員らがブログやツイッターで指摘し、ネットを中心に物議をかもしていた。
 さらに、共同通信によると厚労省が動いた。
☆生活保護支給引き下げ検討 厚労相、見直し表明
http://www.47news.jp/CN/201205/CN2012052501001911.html
生活保護の受給開始後、親族が扶養できると判明した場合は積極的に返還を求める意向も示した。

この一連のできごとは、二つの問題を私に感じさせた。
① 社会改革における情報戦の意味
 片山議員、世耕議員は、ツイッターやブログを使い、お笑い芸人という庶民に承けている人物の家族事情を扱い、巧妙に国民世論に働きかけた。
② 新自由主義か福祉政策か
 議員、ツイッター、世論と国民に話題が集まった段階で、新自由主義に基づく社会保障政策の見直しが政府厚労省から発表された。

①’このような最新のインターネットを利用した国民の世論への働きかけは、私に社会科学者加藤哲郎氏の最近の所論を思い起こした。加藤哲郎氏は、グラムシが提起した「機動戦から陣地戦」へとする社会改革戦略を承けてさらに主張する。「機動戦・陣地戦から情報戦へ」。21世紀に入って、インターネット、ツイッター、ブログ、フェィスブックなど相次ぐ全世界的な送信力をもつ情報機器の飛躍的発展をみる。加藤氏は、グローバルな規模に及ぶ情報の重要な役割に目を向ける。情報による世論の獲得が、いままでの機動戦や陣地戦にも負けず劣らぬほどの意義を帯びるようになった。
 自民党の世耕議員は、実は小泉純一郎総理の頃に、除法戦略を駆使して、「ワンフレーズ・ポリティクス」を小泉氏に伝授した。単純な短い言葉を何度も何度も繰り返して、国民の深層心理にくいこんでいく。このことは、小森陽一東大教授がちくま新書において詳細に論証している。

②’情報戦略をもとにして、自民党の政治家と民主党政権厚労省は、社会福祉における新自由主義政策の増進を図ろうとしている。では、民衆の側は、いかに対応すべきか。私は、二宮厚美、渡辺治、後藤道夫ら二十七名のメンバーが今までの社会保障政策を見直し、なにが現代日本の根本的改革の焦点かを見極めて打ち出した提言に注目する。【福祉国家と基本法研究会】と称するこの研究会は、2009年九月の「社会保障と雇用を守るための『基本法』の必要性について考えるシンポジウム」とその準備過程での議論をひきついで出発した。このシンポジウムは、京都府保険医協会が開催をよびかけ、作家の落合恵子さん、NPO法人もやいの湯浅誠さん、弁護士の竹下義樹さん、医師の本田宏さん、学者の後藤道夫さん・渡辺治さんがよびかけ人となって開かれた。手短に言えば、この研究会は、「社会保障基本法」「社会保障憲章」を制定して、社会保障の体系的根本的対抗戦略を地道に提起して、それにとどまらず、その基本法と憲章をそれぞれ社会保障基本法2011、社会保障憲章2011と名付けた。それは今後もさらに検討・協議しつつげていくからである。
 いま、新自由主義国家像に対して、日本でも民衆の側からの国家像の構想と具体的実践が動き始めている。