民主党の小沢グループの離党という動きを中心に政局は激動の様相を呈している。マスコミ報道からすると、鳩山や興石は党分裂回避を求めて動いているようである。 ネット上の議論では離党支持が優勢のようだが、離党はじり貧だという意見も多いようだ。取り急ぎ、私の思うところを述べてみよう。
結論から先に言うと、党執行部の対応如何(造反処分の程度)がどうであれ、断固として離党し新党を形成するべきだろう。その理由は次のとおり。大げさに言うと60年安保以来の国民の本格的な政治行動が始まっているからである。
東日本大震災と福島原発の重大事故が起きたところに野田政権の消費税増税と自・公・民談合、あからさまなマニフェスト詐欺が強行され、国民の怒りに火をつけた。23日に起きた総理官邸前の4万人と言われる抗議デモはその現れであろう。
ここ数十年来とはまったく異なった政治情勢が展開されている。
政治変革にむけて、国民の本格的な政治行動が起きているという判断は、理屈の問題ではなく、それこそ、長い政治経験で養われた政治感覚の問題であり、政治現象の諸要因を総合的に判断する能力が問われ、その感覚こそ余人をもってしては得られない政治指導者の重要な資質にほかならない。小沢が「最後のご奉公」と言う時、この感覚、判断の如何が決め手になるであろう。
国民の本格的な政治行動が起きている兆候を列挙してみよう。その直接の出発点は09年の政権交代であるが、菅が突然言いだした消費税増税と参議院選挙の敗北、敗北の責任を回避する民主党の呆れた政治対応、原発事故をめぐる右往左往と住民の生命をおろそかにする官僚主導の行政、原発事故情報の隠蔽とねつ造、野田の消費税増税へののめり込みと社会保障改革の棚上げ、マニフェスト詐欺、安全無視の原発再稼働の強行等々、政権運営に不慣れな故にあからさまになった官僚主導と自己保身の政権運営という政治背景が先ずある。
その結果として、諸選挙における民主党の敗北が起こっている。今年に入ってからの事例を挙げれば、大阪府知事・市長選における民主党の敗北が上げられる。とりわけ市長選では自・民・共連合という、言わば最強の布陣をもってしても橋下に23万票もの差で破れている。
「キャラ」が光る橋下という候補者の個性にだけ敗因を求めることはできないであろう。6月の沖縄県議選では前回の4議席から1議席に激減しており、県連幹事長が落選している。
最近の時事通信の世論調査(6月8~11日)では民主党の支持率は8%、「支持政党なし」が69.7%(!)となっている。これらの数字からわかることは、政権交代で一票を投じた民主党支持者はむろんのこと、09年に一票を投じた無党派層も民主党を全く見放しているということである。
すでに政権交代を訴えた民主党は死んでしまった、と国民の大半が認識している。
政権交代以来の国民の政治意識の高揚は新たな局面を迎えており、それゆえに、政権交代の原点に返ると主張し、消費税増税反対、脱原発、行政機構改革(脱官僚政治)を新党の旗幟に掲げれば、多くの国民の支持を獲得できる可能性が非常に高い。
他方、すでに死んでしまったと思われる民主党を復活させる可能性はあるのか?という問題を考えてみよう。可能性はほとんどない、というのが素人にすぎない私の判断である。
以上に列挙したことがその判断のベースにある。それに加えて野田政権の増税派のほとんどが、3年にわたる政権与党の『うまみ』に酔いしれて、あまりにも容易に腐ってしまったということがあげられる。
一例は「ミスター年金」と呼ばれ、政権交代のエンジンともなった長妻昭である。彼は厚労大臣として律儀にマニフェストの実行を進め厚労官僚に総スカンを食うほどであったが、その長妻が豹変したのである。他の議員は推して知るべしであり、これからは政権の誘惑を振り切り、国家官僚とわたりあえる信念のある人間、政治家でなければ国民の負託に応える政治を実行できないことが国民的レベルで明らかとなった。
さて、最後に共産党であるが、社会と政治の事態がここまで危機的になっても復活の兆しがみえない。共産党がかねてから主張してきたように、民主党が自民党と「同じ穴のムジナ」であったという姿をさらしているのに復活の芽が育っていないのはどうしてか、党執行部は胸に手を当ててよく考えてみるべきであろう。
政治家は評論家ではないのだから、その「本質」を言い当てれば済むというわけではなく、「本質」を見抜き、事態を国民本位の方向へ切り開くべく事態に働きかけるすべを『創造的』に考案しなければならなかったのだ。それこそ、政治家の真骨頂であり、古典の講釈では養えない能力なのである。
09総選挙で、政権交代支持の国民に「ムジナ」論を説いて水をかけ、小沢の国策捜査では偽造報告書を書く検察の尻馬に乗って小沢の「政治とカネ」と騒いだことが致命傷なのである。