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「現状分析と対抗戦略」討論欄

官邸前20万人の大きなうねり~21世紀の戦略としての情報戦

2012/6/30 櫻井智志

 6月に入り、野田総理は「消費税増税法案」を自民党公明党と三党協議による合意を経て、国会に上程した。野田総理は、消費税増税案とともに、停止中の原発再稼働の強い意思を示して、福井県大飯原発を再稼働に踏み切った。国会衆議院では、消費増税法案に、民主党から57人が反対票を投じた。 鳩山元総理は、民主党内に残って自分がつくった民主党を再建する意向のもとに反対票を投じた。小沢一郎氏を支持する57人の民主党員が反対の意思を示したことは大きい。54議席の移動で民主党与党の過半数にかかわるからだ。 57人のほかに棄権・欠席の民主党議員が13人いたという。小沢一郎氏は、7月2日月曜日の輿石民主党幹事長の数回目の会談によって、離党して新党設立するかなどの最終決断を示すという。

このような政治的経緯に対して、国民の反応はどうだったか。
結論から言えば、原発再稼働に踏み出した野田政権の政治に大きな不安と懸念をいだき、それをなんとしてもとどめようという多くの国民の声なき声が、しだいにさざ波からうねりをおこして大きな波となりつつある。グラムシが提起した「陣地戦」、石堂清倫や加藤哲郎が喚起した「情報戦」という文脈でこの問題について考えたい。

 どんな立場でもどんな参加のしかたでも、民衆がまさに時代に参加しているという実感。光州事態のような「機動戦」の抵抗運動は、いまの日本ではないように見える。しかし、「情報戦」の論理からいえば、新聞や雑誌、テレビ、インターネットなどを通じた過酷な闘いは現代も日本で繰り広げられている。
「情報戦」は「機動線」「陣地戦」におくれて、現代の新たな革命の重要な要素として注目されている。高度にマスコミ情報などが国民の頭の上をとびかっている時代に、「情報」をどのように扱うかはきわめて現代的な変革の形態てあり、それをどう扱うかで、社会の前進にとって対極的な様相を示すこととなる。

ここ何年間かの「情報戦」にまつわる実例を箇条書きすると-。
●宮本顕冶日本共産党委員長の網走刑務所身分帳違法持ち出しによる新聞、週刊誌、月刊 誌と一体となった国会春日民社党委員長質問事件
●小泉純一郎元総理の政治行動と一体化した心理的刷り込み戦術
●小沢一郎氏の東京地検特捜部捜査からの政治的流れと新聞や週刊文春掲載の小沢夫人の 手紙の大量コピーによる怪文書としての配布事件
●朝日新聞、毎日新聞、読売新聞など三大紙の新聞社が戦時中の大政翼賛会報道のような 国民操作の報道に転化したこと。
●福島原発事故に対する国民的結集と抗議運動の徹底的な黙殺事件
これらの「情報」操作をもとに、国民のやわらかな抑圧・弾圧が併行して進められている側面が現代日本を特徴づけている。抵抗戦略は、それらにどうたちむかうか無視しがたい要素と考えねばたちゆかないだろう。そのような背景を踏まえて、3月の頃から毎週金曜日に官邸周辺をデモ行進していた市民たちのうねりがしだいに増えてきて、ついに6月29日金曜日には、なんと20万人が官邸周辺のデモ行進に参加した。

 テレビ朝日の『報道ステーション』は、ニュースの途中で、首相官邸国会周辺の大勢のデモを本格的に扱った。さらに少し時間があとのTBSの『ニュース23』では、番組のトップで、大量の参加者がデモに集まっているのはなぜかを特集のように詳しく紹介していた。どちらも、三月から毎週金曜日にこのデモは続き、今週は一気に二十万人規模に至ったと伝えた。
 TBSのほうが丁寧に扱っていた。デモに参加できない主婦達が横浜でひとりの家に集まりテレビ画面にインターネットから伝えられる動画を通して大型画面でデモの詳しい様子に見入っていた。テレビ朝日では、新党日本の田中康夫さんや民主党から離党して新党大地・真民主の松木謙公さんも参加している様子を紹介した。
 市民 がなんらの旗やプラカードもなく、数万人も首相官邸前に集まり整然としたパレードを続けていることに、テレビ朝日では鳥越俊太郎さんが共感を寄せていた。TBSでも高崎経済大学の國分准教授がデモを高く評価していた。

 いままでも地道に街頭活動や国会前ハンガーストライキなど続けられてきた先駆的な皆さんの苦労が、ついに国民の意識操作につとめていたマスコミの側にも報道せざるを得ない情勢をつくりだした。感銘をもってテレビ画面を見ていた。大きく全国的なテレビ報道へとひろがっていくだろう。 脱原発を、意欲的に現実の悲惨さを見て動いているのは、市民団体である。
 平和運動に積極的な日本共産党の原発政策は、福島原発事故から「安全な原子力行政」「危険でない原発対策を」というものだった。核兵器の廃絶をめざす運動では、共産党は先駆的だった。しかし、原発については、福島の実態から出発しているというよりも、核の安全で平和的な利用という視点があるために、選挙でも一貫した脱原発、原発ゼロを打ち出せていない。志位委員長が選挙に向けての街頭演説で「原発ゼロを」と打ち出してもそれは党全体のものとなっていないという状況がうかがえた。その後共産党は、脱原発にむけて政策が大きく動いたと聞く。

 共産党や社民党を、国民の立場に立ち、民衆の幸福のた めに健闘してきた政治集団と私は思う。民主党や自民党よりも、私は肯定的に感じている。けれども、資本主義が融通無碍に、よく言えば柔軟に社会主義政策も吸収しつつ、ありていに言えば奇っ怪な化け物のように、初期の資本主義やマルクスが生きていた頃の資本主義とは大きく変貌しながら生きのびているのも事実である。私は己自らが生きているあいだに、ソ連が崩壊して、東欧の社会主義国が解体するとは思っていなかった。しかし、それは歴史的現実である。科学的社会主義やマルクス・レーニン主義の体系書に現実の根拠を私は求めることは、問題があることにやっと気づいた。本質が変化しなくとも、実態や現象は大きく変貌しているのであるから、理論的対象として現実を直視して、その現実を分 析することを通じて、論理や理論を研鑽すべきなのだ。実態を無視して、はるか以前の「理論」を金科玉条の宗教的聖典と仰ぐことでは21世紀の荒野を開拓する前に密林で遭難してしまうことだろう。

 日本社会の実情にあった政治行動を社民党や共産党が、タイムリーに打ち出していかないかぎり、脱原発が世論の七割にもかかわらず、国民は本来は民衆の立場にあった社共両党を支持しないだろう。前衛や前衛政党不在のなかで、問題意識をもった市民たちが自発的によびかける。あいついで原発問題で集会をもったり、国会周辺や首相官邸前で抗議行動をおこなっている若者や市民、民衆達。インターネットでの情報を見て、自ら共感した民衆が自発的に行動する。数万人という人々が自発的に集 まっている。国民は圧政に対してどうあるべきかを、実感的に感じ取っている民衆はたくさんいる。かれらを信頼し、かれらに依拠して闘いを組む、それが日本の左翼政党が復活する必要十分条件である、と私は考える。