いつもながらの抑制した論理で意見を言ってくれる原さんの【8/3 官邸前デモを大事にし、じっくり盛りあげていこう】に、全く同意です。
えてして、血気にはやる若者たちとは言っても、メクラな戦闘?では何も望んだ結果は出せません。世界を注目させているエジプトやシリアでさえ、諸党派統一のリーダーシップを取れずにいれば、旧政権倒した後でさえ混乱と内ゲバも起きて、新政権の運営さえうまくいかないでしょう。
まして、国会前抗議行動を「手ぬるい」「警察と協調」と批判する連中も居ますが、言わせておけば良い。もし警官への突撃をやりたいのであれば、わざわざ国会前でなく、伝統ある日比谷野音から銀座辺で”解放区”でも作ってアッピールすればいい。いつもこの国のこうした言動で思うのは、わざわざ他者の懐に割り入って文句ばかりつける(要するに、自らの行動を問うのでなく、他者のことばかり気になる心性なのだ。)国民性?が問題なのだ。それは左・右を問わない、ネット右翼「在特会」みたいな”妨害”そのものが目的な稚拙な連中だ、、、過って仏極左派の「旧LCR」だったら、それこそ正面から”撃退”部隊を編成して戦闘したほどだから、むしろ日本極左派は「在特会」の妨害行動に立ち上がるべきなのだ。(実際、70年初期の滞仏時の経験で、ある大学構内で「退役右翼軍人の講演会」が開催された時、10数人位の日本の全共闘学生と同じような武装?をした学生が乱入し演壇を占拠、閉会に追い込んだ行動を友人の仏学生と見にいった。外では、大学正門前を囲んだ警察が装甲車等で待機、門など無い正門だったけど、構内には決して入らなかった。懐かしい思い出だ。)
<現在の官邸前デモが50万、100万の巨大な規模に発展し、突出者の突撃ではなく、押し寄せる参集者の自然の圧力で警察の規制を全面決壊させることができるようになれば、60年安保を越える政治上で画期的な事態を夢見ることも可能になるのである。 それまでは、じっくりと。 「放射能は疲れを知らない」のだから、対抗する国民の側も「疲れを知らない」運動が必要なのである。>
それはともかく、「この国の権力(腐敗)構造」という問題は、僕の大きな関心事であることは間違いありません。それは、どうしても≪官僚=公僕≫という本来なら国民へのサービス業(行政)たる人間達が、実際には”お上”として君臨、無能でも有能でも一応国民に選挙で選ばれた国会(地方)議員=政治家をさえ実質”牛耳っている”という事実、実態を3年前の小沢秘書事件等を通して知らされたことなのです。
元来、旧知の友人達からすれば「お前は公務員向きだ」と言われたほど、高卒後に市役所に入って途中から労働組合運動に積極的に参加した経験はありますが、当時は(今にして思えば)能天気な左巻き活動家でしかなく、賃上げ・反合理化・戦争反対などのスローガンを唱和していたに過ぎません。せいぜい途中で運動的には反スタ派に加わった程度ですが、その柱を支えてくれた?のは、既に敬愛してた仏作家:アンドレ・ジッドでした。60代以降の方ならご存知でしょうか『ソ連旅行記及び修正』という世界の左翼内にあって賛否を巻き起こした”ロシア革命とは何か(だったのか)”というテーマを突きつけてくれたからなのです。50,60年代の学生なら『狭き門』はジッドの知られた恋愛?作品ですが、そんなストイックで若い頃はサンボリスト(象徴主義者)として振舞っていた、全く非政治的そうなジッドが中年・晩年にかけて(第二次大戦前後)政治的発言と行動を取っていく・・・・・今から思えば、ジッドという人生を思考する人間の中に入ろうとすると政治的発言を無視できず、労働運動に僕が目覚める接点が当時の60年安保と安保後の新左翼運動とが合致した社会状況に加えて「ロシア革命への疑問」「裏切られた革命」(ジッド作品では『ソ連旅行記及び修正』や『コンゴ紀行』=仏植民地批判、ドレフェス事件でのゾラ擁護等)が提起された時期だったように思います。ズーッと後で知ったことですが、サルトルがジッド追悼文で「1930年代のフランスは、ジッド無しでは語れない」と言わしめたほど、35年6月パリでの『反戦・反ファシズムと文化の擁護及び創造を目指して』という国際的に有名な作家・知識人を集めての議論(5日間)はジッド(開会宣言)とマルロー(閉会宣言)が主導して開催されたものでした。(ネットで、超満員の会場の様子と少しほどジッドの肉声を聞くことができます。)
ジッドに関しては、本当は穏やかな定年を迎えられたら「読書とジッド研究」で過ごしたいと思っていたので関連本は沢山ありますが、未読のままで多くを語れませんが、(政治的に興味あることは)1930年代のジッドは『NRF』(新フランス評論)という文芸評論雑誌をやはり主導していて、そこにトロッキー自身が寄稿!してることです。(古本持ってたが、今は所在不明)そして、1936年6月、ゴーリキーの危篤の報にソ連へ行き、赤の広場でスターリンと並んで演説(写真あります)です。但し、ゴーリキーの死に目には会えず、然も同行した友人の作家:ウジェーヌ・ダビが突然死!という悲運ですが、早稲田大の加藤哲郎氏らの研究によれば、両者の”毒殺”説まで出ています。まして、1937年の『スターリンの大粛清』が始まる1年前の訪問(ゴーリキーの危篤報がなければ、行かなかったでしょう。)で、既に67歳という高齢でした。僕は文学的感性?の方から労働組合活動の世界へ入っていったので、この辺≪ロシア革命期の文学運動≫に最も興味あり、全てがもはや”未完”のままですが、エセーニン、マヤコフスキー、メイエルホリドらの自殺や処刑に至る”革命後の闇”に悲しみと怒り、絶望を感じざるを得ない人間です。その支えが、アンドレ・ジッドなのですが。≪あるがままを見ること。タブーを設けないこと。全てを疑え!という思惟。若者への賛美≫などがジッドから教わった生き方ですが、もうあまり時間がありません。≪ここまで、僕の内奥の世界を少し語ってしまったので、皆さんの評価はともかく、過って68年頃の政治集会で故本多延嘉氏(当時の中核派書記長)が、スターリン主義批判の中で「世界の有名作家の中で、最初にソ連(スターリン)批判をしたのは、アンドレ・ジッドだった」と言ったのにはビックリでしたが、ジッドにそれほど関心ない新左翼活動家にはほとんど興味惹かない演説だったでしょう。≫
<日本の左翼のこの”偏狭さ”は、日本国民の「おとなしさ」とか「穏和さ」、「寛容性」、あるいは「和を持って尊しとなす」とか言われ、総じて物事を曖昧なままに受容する国民性への「罰」(レーニン風の言い方)、あるいはその国民性への本能的なまでの反発(不信)からくるのではないのかとさえ思われるところなのです。そうであればなおさらのこと、日本の左翼には国民の多くに受容され多数派を形成する能力がないままなのだということになるでしょう。>
長くなったので最後に、、、、、先日12日、反原発学者:小出裕章氏を招いて「労働者集会」が開かれたそうで、ネットで視聴しました。ここでの両者の発言(小出氏と『東水労』委員長)は、絶望する無責任政治に言論で刃向う一人の知識人と閉塞社会に絶望する若者達に無頓着(能天気)な労組左派?人の断絶ぶりが表されています。原さんが「日本の左翼には国民の多くに受容され多数派を形成する能力がないままなのだということ」と言えば、僕は「残された時間が少ない今、最後までこの国左派には革命を起こすことはできない」と。
◆下記の「小出裕章講演会」は、全労協他労組ユニオン系の集会でしたが、とても、今の労働運動の”権力と真に闘えない、言葉だけの”この国の左派の実態をかいま見せてくれました。
『東水労』委員長が小出氏の「反原発行動」の具体的提案を批判してます、この問題(間単に言えば、企業内組合=東電労組批判・放射能汚染食材を責任に順じて食べろ!という政治的怒りの小出氏をこの国の左翼(派)がどう向き合えるのか?! 全てがそうであるように、本当の論戦を一般国民だけでなくこの国左派は避けて、内ゲバ(自家撞着=自分だけが正しい、他者の存在を認めない)に今でも終始してるのです。
それは「国会前抗議行動」の”警察権力に大人しい批判”などに表れています。
①【放射能汚染の現実を超えて】 労働者集会 2012/08/12<labornet03>
http://www.ustream.tv/recorded/24651187 (*小出発言は、1時間35分50秒~)
②(続)【放射能汚染の現実を超えて】労働者集会 2012/08/12<labornet03>
http://www.ustream.tv/recorded/24653562 (*東水労発言は、7分25秒~)