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「現状分析と対抗戦略」討論欄

マスコミの宣伝が最大限国民意識を操作する自民・民主・維新の選挙の貧相

2012/9/16 櫻井智志

 福島原発の被害は、広島、長崎の悲劇に連なり、チェルノブイリやスリーマイル島に匹敵するかあるいはそれを上回る甚大な世界的人工災害である。
 その悲惨さに呼応して立ち上がった全国各地におよぶ市民運動の活性化は、東京都首都官邸や国会議事堂を取り巻く抗議行動や明治公園、代々木公園で十万人の規模を超える大集会に典型的なものだ。
 しかし、賢明な国民に比して、愚鈍な支配層代弁の政治家、とくに政権の周囲にたむろする保守政党の貧弱な政治屋としての行動は、見るに堪えない権力主義抗争として顕現した。

 思うに、自民党、民主党、日本維新の会の政治行動は、それが政治情報として重要だからではなく、権力にこびへつらうマスコミ業界の国民意識のコントロールと意識操作のために伝えられている。
 自民党は、野党として政権利権から隔たったわずかな期間の内に、幅広い派閥政党であったがゆえの右は右翼まがいの派閥から左はリベラル自由派まで許容範囲のあった過去の自民党から、新保守政党として、改憲を前面に押し出す右翼保守政党へと変貌した。
 かつてNHKに不当な介入をした超タカ派の安部晋三、軍事オタクの石破茂、かつての外相町村信孝、ウルトラ保守の石原慎太郎の七光りで報道されない失言がついに福島原発をとらえて、オウム真理教施設となぞらえて大問題となった石原 伸晃、目立たないがほとんど他の候補と同様発言しかしない林芳正。
 その誰もかつての自民党にいた良識派の政治家たちとは似ても似つかぬ右翼ゴロと同然の、政治的信念も国民への未来ある政治的展望も福島原発事故への現実的対応策も示せぬ連中ばかりである。
 自民党の悪しき権力抗争の習癖は、立候補の意欲のある党首谷垣禎一総裁を、石原伸晃を立候補させるために老害政治家森元首相、古賀元幹事長らが結託して引きずり下ろしたことに表れている。谷垣氏が権力政治の枠内でしか動けない政治家であったことは、明白だったけれども、少なくとも谷垣氏自身は単なる右翼ゴロではない。谷垣氏の引退と石原氏の立候補で、自民党は二世三世の右翼世襲候補者ばかりとなった。
 他方、民主 党は、国民的支持を集めた世代交代政権発足時と様相を一転変えた。なぜ鳩山由紀夫首相や小沢一郎幹事長らが、民主党首脳部から排除されたかは、アメリカ政府の強力な働きかけであることは、識者の分析が明らかにしている。
 人気だけはある細野豪志を引きずり下ろし、野田佳彦の再選はほぼ間違いあるまい。原口一博氏や赤松広隆氏、鹿野道彦氏ら野田氏以外の候補者は、少なくとも野田氏よりはまだましな候補である。野田総理は、国会が停止した状態で次々に議会制民主主義を無視した総理独裁を続けている。原発の基本的な運営にまで踏みこんでとんでもない「決められる」愚策を実行している。
 最大の政治的公害は、橋下維新の会の政党化による「日本維新の会」の大言壮語と中身の危険な 愚策である。今のままのマスコミ戦略に乗って、背景にいる堺屋太一を筆頭とする財界の意向は、着実に進行している。「維新の会」については、橋下徹のマキャベリズムとポピュリズムで謎の部分もあるように見えるが、本質は新タカ派経済人たちの傀儡に過ぎない。経済不況下で、財界の軍事的膨張政策で満州建国やアジア戦域への侵略を拡大した侵略的経済人たちの代弁者が日本を壊滅的に破壊させた戦前の悪弊を、再度蘇らせようとしている。自民党や民主党以上に、維新の会は、何をしでかすか予断を許さない。

 維新の会がマスコミの大量宣伝による国民への大規模な扇動がなかったら、これほど大化けはしなかったろう。すでに憲法を逸脱した教育条例や労働三法蹂躙の自治体行政の細かな悪政と暴 政のあいつぐ実行が、きちんと伝えられていたら、いまの「日本維新の会」などあり得ない。

 黒田清氏と争って読売新聞を牛耳った渡邉恒雄は、読売新聞を産経新聞並みのブラックペーパーとした。毎日新聞は印刷所を創価学会系の業界に牛耳られて、右傾化した。朝日新聞は、いまも「進歩的朝日文化人」の幻想はあっても、60年安保の時の六社協定のように、戦前・戦時中の紙面のように、いざとなると体制保守の新聞報道に変質してきたことを今回も繰り返している。朝日新聞の変貌を早くから予期し見抜いていた本多勝一氏は、月刊金曜日の実験を経て、週刊金曜日の継続的な発行による批判的ジャーナリズムを堅持している。同じく朝日新聞にいた村上義雄氏は、齋藤貴男など多くの良心的ジャーナリストたちを結集して、「越境するジャーナリスト集団」を結成して、本格的なマス媒体 を駆動させようとしている。
 また、フランス国営放送局が、毎週金曜日の大規模な官邸前抗議行動を日本のNHKがいささかも伝えないことを批判し、要請したことを受けて、NHKはようやく報道しはじめた。民営放送各局にも、報道各社首脳部の策謀を乗り越えて、真実を伝えようとするジーナリストは存在する。東京新聞、日刊ゲンダイ第一面政治欄、原発抗議行動を初期から報道し続けている「しんぶん赤旗日曜版」、原発に関する真実の報道を開始してきた大阪のラジオ番組「たね蒔きジャーナル」など散在する良心的ジャーナリズムを国民が後押ししたなら、真実を伝えるジャーナリストは健闘できる。現に「たね蒔きジャーナル」存続の要請行動は、一定の効果をあげつつある。

 いま、国民は市民運動を通じて、真実の言葉を直接的に間接的に獲得しつつある。真実の報道は、無力感や挫折感を乗り越えて、現在がどのような状況にあるのか、どうしたらその状況を乗り越えることができるのかを模索しつつある。局面は、総選挙を想定して党首選や代表選、結党セレモニーなどを使って大規模な広告行動によって自党のアピール効果を最大限におこなっている保守反動勢力の一大ムーブメントが巻き起こっている。その勢力は、中国や韓国、ロシアとの領土をめぐる紛争をも拝外的で偏狭なナショナリズムとも絡めようとしている。事態を冷静に見つめ、外交交渉を進めることと、かっとなって報復措置に走ろうとする政治屋の仕掛けの罠にはまってはいけない。自民党は誰が総裁に なっても、維新の会が勢力を拡大しても、その仕掛けの罠に率先してはまっていくことになろう。官僚制の傀儡となってしまった民主党政府も、混迷を解決する能力を持たない。

 こういった政治情勢で、対抗勢力が形成されていないことは残念なことである。けれど、原発に抵抗する市民運動の高まりは、国民の政治意識の覚醒を連想させる。1960年の日米安保闘争は、事前には失望的な観測も流れていたという。それがあれほど国民的な歴史に残る大闘争になったことは、民衆は事実を把握すれば、理性的側面が作動して利益を度外視してたちあがるものだ。広義の「倫理的」闘争は、損得や利害を超えて、世界史でも日本史でも何度も闘争の歴史を刻んできた。