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「現状分析と対抗戦略」討論欄

田村秋生氏への回答

2012/9/28 丸 楠夫

 現状分析と対抗戦略欄9月1日付けの私の投稿(『脱原発、政権交代、「官僚 支配・官僚主権」批判』)に関して、田村秋生さんよりご投稿いただきましたの で、お返事させていただきたいと思います。

1、当該の私の投稿(『脱原発、政権交代、「官僚支配・官僚主権」批判』)の 趣旨

・ 上からの新自由主義的改革(改悪)を推進する立場からの「官僚支配・官僚 主権」批判と、生活擁護(「生活が第一」)・民主主義の拡大という観点からの 「官僚支配・官僚主権」批判は本質的に「同床異夢」であること。

・ 現今の「官僚支配・官僚主権」批判の高まりは、もっぱら上からの新自由主 義的改革(改悪)を利することに帰結するであろうこと。

・ それを回避するためには、生活擁護(「生活が第一」)、民主主義の拡大と いう立場を明確化・前面化した上で、そのような立場・観点からの「官僚支配・ 官僚主権」批判(およびその代替案)を、上からの新自由主義的改革(改悪)を 推進する立場からの「官僚支配・官僚主権」批判(およびその代替案)に対置す る必要があるであろうこと。

・ そのためにも、「同床異夢」である、ということと、その「同床異夢」が、 どのような事態をもたらすかについて、もっと自覚的にならなければならない。

というのが、当該の私の投稿の趣旨です。

 原さんの投稿については上記趣旨の関連の中で部分的に触れたに過ぎないの で、原さんの回答文や、あたかも私の当該投稿の全体を原さんへの批判(と言う か攻撃)であるかのように見なす原さんの解釈だけを一方的に鵜呑みにすること なく、いずれの見解に対しても、田村さんご自身が批判的に検討・検証(この場 合の「批判」とは、もちろん単なる否定や攻撃などではありません。「史料批 判」等における「批判」、あるいは感覚的には「吟味」という言葉が近いかもし れませんが)されることを希望したいと思います。

2、脱原発運動・世論を取り上げた意図

 今回「同床異夢」という言葉で表現したような状態の例として、私は当該 の投稿で脱原発運動・世論と政権交代について言及しました。また、脱原発運 動・世論については、この「同床異夢」が必ずしもマイナスにならない、むしろ 強みにさえなり得る、そういう場合もある、という「一例として」取り上げまし た。ですから私は、脱原発運動・世論「だけが」そのような――さまざまな異なる 立場・論点によってひとつの政治課題が担われることによる――強みを持ってい る、とか、脱原発「以外の」政治課題ではそのようなことは起こり得ない、など とは一言一句たりとも言っていません。ですから私の当該投稿は、今回田村さん が挙げたTTPやACTA等の、多様な差異を内包しているが故の強みを発揮している 政治課題が脱原発問題以外にも存在することをなんら否定するものではありませ ん。

3、脱原発派と脱原発依存派

 脱原発という政治課題において、脱原発派と脱原発依存派との対立はすで に深刻な問題となっている(したがって丸の言う脱原発運動・世論内の「相違」 が共存できる状況は今や成り立たなくなりつつある)、という見解を、田村さん は示されているようです。これについては、私の当該の投稿でそもそも、脱原発 派の範囲や定義について線引きを示すようなことをしていなかったので、ここか ら先は以前の投稿の内容を離れて、私の考えを述べていきたいと思います。

 まず私が田村さんの見解を読んで単純に思いついたことは、そもそも田村 さんが言うところの脱原発依存派を、脱原発運動・世論内の相違という範疇で捉 える必要があるのか?そこにまず無理があるのではないか?ということです。

 そうではなく、(田村さんが言うところの)脱原発依存派イコール「可能 な限り原発を存続させようとしている派」、と捉えた方が、事態をより明確にす るのではないでしょうか。

 このような見方を、私は今回、田村さんに逆提案したいと思います。

 (田村さんが言うところの)脱原発依存派(イコール可能な限り原発を存続さ せようとしている派)は、おおむねこれまで原発を推進してきた勢力とも重なり ます。その、従来原発を推進してきた勢力が、今や世論と運動の力によって、か つてのように「原発推進」とは言えなくなっている。せめて脱原発依存と言うこ とで、可能な限りの原発存続を図るより他ない状況にまで(今後はまだまだ予断 を許さないものの、少なくとも今のところは)追い込まれている。あるいは、脱 原発の世論と運動に対しなお、「脱原発依存」などと言って抵抗を繰り広げてい る。それが、(田村さんが言うところの)脱原発依存派の実態なのではないで しょうか。そのような(田村さんが言うところの)脱原発依存派を、 脱原発運 動・世論を担う人々や団体の論点や立場の相違と同列に論じることが、そもそも 妥当性を欠いているように私は思います。

追記1

 孫崎享氏とその著書『戦後史の正体』について、田村さんは熱心に紹介・推薦 されているようです。私自身は『戦後史の正体』につて未読なので直接的に言及 できるだけの準備がないのですが、次のような書評を見つけたので、ご紹介して おきます。

Valdegamas侯日常 過剰に大きな星条旗―孫崎亨『戦後史の正体』を読む
http://d.hatena.ne.jp/Donoso/touch/20120811/1344673761

 田村さんのようにすでに孫崎氏の著作を読まれた方にとっても、これから読ま れる方にとっても、孫崎氏の見解や提起をより深く理解・検討する上で不可欠で あろう、(単なる礼賛でも攻撃でもない)実証的、多角的な視点を提供してくれ ているかと思います。

追記2

 孫崎亨氏は、田中角栄を(対米従属に抗する)「自主派」の首相・政治家と位 置づけているようですね。一方、一般投稿欄8月24日付け投稿で田村さんは、 日本の原発拡大政策もまたアメリカの意向の反映であることを示唆(ないしその ような見方・分析を肯定的に紹介)されているように受け取れます。しかしなが ら、原発立地(予定地)自治体の懐柔・原発依存体質化を通じて原発建増設の強 力な推進力となった電源三法を成立させたのは、他ならぬ田中角栄内閣でした。 この辺りについては、田村さんはどのように整理されていらっしゃるのでしょう か?

 ぜひ、ご意見、お考えをお聞かせください。