4、「戦後日本的」対米従属の限界
・アメリカと中国のアジアをめぐる競合の構図――『米国の太平洋の世紀』
アメリカ・オバマ政権の国務長官、ヒラリー・クリントンは次のように述べる。
「今後10年間は、米国の指導力の維持、国益の確保、米国の価値観の推進のため最 も有利な立場に立てるように、時間とエネルギーの投資先を賢明かつ体系的に判断す る必要がある。従って今後10年間の米国の国政における最も重要な目的のひとつは、 外交、経済、戦略などの面でアジア太平洋地域への投資の大幅な増加を確実にするこ とである。」
「アジア太平洋地域が安定と繁栄の促進に向け、より成熟した安全保障と経済の枠組 みを構築しようとしている今、この地域への米国の深い関与が不可欠である。……こ れはバラク・オバマ大統領が政権発足当初に定めた戦略的方針であり、すでに成果を 上げている。」
「もはや米国には世界に関与する余裕がないと言う人は、事実を全く逆にとらえてい る。米国は世界に関与しないわけにはいかないのである。米国企業のための新規市場 の開拓から、核拡散の抑制、通商と航行のためのシーレーンの確保まで、米国の国外 での取り組みが国内の繁栄と安全の鍵を握っている。」
「アジアの成長と活力の利用は米国の経済・戦略的利益にとって重要であり、……ア ジアにおける開かれた市場は投資、貿易、さらには最先端技術へのアクセスという点 でかつてない機会を米国に提供する。米国内の景気回復は輸出と、アジアの拡大する 巨大な消費者基盤を米国企業が活用できるかにかかっている。」
「この地域への戦略的方向転換は、米国の国際的指導力の確保と維持に向けた全世界 での取り組みに論理的に合致する。」
「米国の現在の課題は、……さまざまなパートナーシップや機関で構成される、米国 の国益や価値観に合った持続的なネットワークを太平洋を越えて築くことである。」 (アメリカ大使館ホームページ、『米国の太平洋の世紀』-ヒラリー・クリントン国 務長官のフォーリン・ポリシー誌(2011年11月号)への寄稿(参考のための仮 翻訳)。以下『ヒラリー論文』)
論文のタイトルは『米国の太平洋の世紀』だが、ここでヒラリーが(つまりアメリ
カが)目を向けているのは主に「アジア」(「の成長と活力」「巨大な消費者基盤」)
である。「太平洋の世紀」という語は、冷戦期(20世紀)、アメリカにとっての最
大の焦点がヨーロッパ=大西洋側であったことに対照させての、アジア=太平洋側と
いうことのようである(『ヒラリー論文』参照。ただし「アジア太平洋地域」という
呼び名も使われているので、地域としての太平洋がまったく視野の外に置かれている
わけではなく、また、論文でいう「アジア」はインド洋一帯までも見据えたもののよ
うである)。
それさておき、国際的な「米国の指導力の維持、国益の確保、米国の価値観の推進」
を賭けて、アジアへの「深い関与」や「米国の国益や価値観に合った持続的なネット
ワーク」作り――つまりは、アジアにおけるアメリカ覇権のゆるぎない確立――にア
メリカが並々ならぬ決意を持って臨んでいることを、『ヒラリー論文』は明け透けに
語っている。そして、「米国の国際的指導力の確保と維持に向けた」最重要課題たる
その“アジアにおけるアメリカ覇権のゆるぎない確立”において、アメリカが競合相
手として見なすのは、どうやら中国のようである。
「これらの新たなパートナー(「中国、インド、インドネシア、シンガポール、ニュー ジーランド、マレーシア、モンゴル、ベトナム、ブルネイ、そして太平洋諸島の国々」 ――引用者注)の中でも最も際立つ存在のひとつは、言うまでもなく中国である。」
「対中関係は現在、米国がこれまでに対処しなければならなかった2国間関係の中で 最も困難で重要なもののひとつである。」(『ヒラリー論文』)
そして、「米国も中国も、対立より協力からはるかに多くを得られる。しかし願望 だけでは関係を構築できない」、(中国に対して)「われわれは協力して取り組むべ き緊急の仕事を進めるに当たり、意見の相違に毅然(きぜん)と断固たる態度で対処 する。非現実的な期待は避けなければならない」として、中国に対する要求・方針を 挙げていく。
「米国と国際社会は中国による軍の近代化および拡張の取り組みに注目し、中国の意 図を明らかにしようとしてきた。透明性を高めるような継続的・実質的な軍隊間の関 与は、双方にとって有益である。従ってわれわれは中国政府が時には不本意な気持ち を抑え、米国と共に永続的な軍隊間の対話を構築していくことを期待する。」
「米国企業は成長する中国市場への公平な輸出機会を求めている。」
「中国は今もなお改革に向け重要な措置をとる必要がある。特にわれわれは、米国を はじめとする外国企業とのその革新的技術に対する不公平な差別の撤廃、国内企業優 遇策の廃止、外国の知的財産権に損害を与えたり盗用したりする措置の廃止」
「中国が自国通貨の切り下げを加速する措置を取ること」
「人権に関する深刻な懸念」(『ヒラリー論文』)
だが、中国に対するに当たってのアメリカの理論は、冷戦時代のソ連・東側陣営に 対するそれとは異なるもののようである。もちろん人権や民主主義、自由市場につい ての言及がないわけではないが、それらはかつてのような反共の文脈で語られている わけではない。体系的な思想や理論、価値観としても語られない。もっぱら個別的な 課題のひとつひとつとしてとして並列的に言及されている。しかも『ヒラリー論文』 全体の比重としてはわずかと言っていい分量である。そもそも共産主義か自由(資本) 主義かといった基本的な体制選択をまったく問題にしていない(言及がない)。そし て何より、アメリカにとって中国は、かつての東側陣営のような封じ込めるべき対象 ではない。ましてや崩壊させ たり消滅させるべき対象でもない。なぜなら中国自体 が、「米国の経済・戦略的利益にとって重要」な「アジアの成長と活力」を構成する 大きな一部だからである。
「米国企業は成長する中国市場への公平な輸出機会を求めている。これは米国内で雇 用を生み出す重要な要因となるとともに、中国に投資された500億ドルの米国資本 が世界的な競争力を支える新しい市場と投資機会の強固な基盤を作る保障にもなりう る。」(『ヒラリー論文』)
アメリカは現状すでに、経済的にかなりの程度中国に依存しており、「米国の指導 力の維持、国益の確保、米国の価値観の推進のため」今後ますます、中国を含むアジ アに依存(「アジアの成長と活力の利用は米国の経済・戦略的利益にとって重要」 「米国内の景気回復は輸出と、アジアの拡大する巨大な消費者基盤を米国企業が活用 できるかにかかっている」)しようとしている。だが、それは決してアメリカの一方 的な依存でもなく、
「一方中国企業は、米国からのハイテク製品の輸入や対米投資を増やし、市場経済が 享受するのと同じアクセス条件の付与を望んでいる。」(『ヒラリー論文』)
この、相互依存と対立・競合が並存する状況が、米中関係を「米国がこれまでに対 処しなければならなかった2国間関係の中で最も困難で重要なもののひとつ」にする。 「周知の通り、太平洋の両側には今も恐怖心と誤解が残っている。米国には中国の進 歩を米国への脅威と見る人がいる。中国には米国が中国の成長を抑圧しようとしてい ると懸念する人がいる」。そしてアメリカは中国に対し、「意見の相違に毅然(きぜ ん)と断固たる態度で対処」しなければならない一方で、「米国は中国と協力し、地 域および世界におけるきわめて重要な安全保障上の問題に取り組む決意」さえしなけ ればならない。また実際に、
「過去2年半の私の最優先事項は、共通の利害のある分野を見極め拡大すること、中 国と協力して相互の信頼を築くこと、そして世界的な問題解決に積極的に取り組むよ う中国を促すことであった。」
「私は頻繁に、しばしば非公式の場で、中国側の戴秉国国務委員および楊潔?外相と 会い、北朝鮮、アフガニスタン、パキスタン、イラン、そして南シナ海の情勢などの 重要課題について率直な話し合いをしてきた。」(『ヒラリー論文』)
と、ヒラリー・クリントン国務長官自身、述べるのである。アメリカは中国との決定 的対立を意図しておらず、むしろ積極的に協調を求めている。しかしだからと言って、 アメリカは決して“米中同盟論”といったわかりやすいストーリーへも向かおうとし ない。
「願望だけでは関係を構築できない」
「それぞれの国際的な責任と義務を果たせるかどうかは、米中両国次第である」
「意見の相違に毅然(きぜん)と断固たる態度で対処する。非現実的な期待は避けな ければならない」
「究極的には、進化する米中関係の指針となる手引書はない」(『ヒラリー論文』)
アメリカの対中関係もまた、その時々や各々の課題ごとで対立と協調、競合が錯綜 する、――冷戦時代のような、固定的な敵対関係、固定的な同盟・駐留関係とは違う ――より不確定性の高いものとなった。「しかし、われわれにとって失敗するにはリ スクが高すぎる」、とヒラリーは言う(『ヒラリー論文』)。もちろんここでヒラリー の言う「われわれ」は“アメリカ”であるのだが、この対立と協調・競合が錯綜する 米中関係に如何なる立場で臨むのか?という問題は、日本にとっても「失敗するには リスクが高すぎる」判断を迫るのである。
・「戦後日本的」対米従属の現在
2010年9月24日、ニューヨークで行われた前原外務大臣・クリントン国務長 官による会談の席で、クリントン国務長官は「尖閣諸島には日米安保条約第5条が適 用される」と明言した。この発言を受け、仙石官房長官は24日午前の記者会見で、 「「条約締結の時点からの当然の前提だと考えている」と述べ、歓迎する考えを示し た。北沢防衛相も「長官自らが発言されたことで、高く評価したい。日米同盟の観点 から極めて適切な発言をしていただいた」と述べた。」(読売新聞2010,9,2 4付 夕刊)。またこの時、国務省次官補のキャンベルも、読売新聞との単独記者会 見で、尖閣諸島への安保条約の適用について「前提条件を付けずに「イエスだ」と明 言」したと言う(読売新聞2 010,9,24付)。この、尖閣諸島への安保条約 適用をめぐる問題については、つい最近(2012年7月)も国会で取り上げられて いる(注10)。
(注10)(川上義博)「日米安保条約の五条に、尖閣が有事の場合に、これはやは り対象になりますか、日本防衛の。」(玄葉光一郎外務大臣)「それは対象になるか という問いでございますから、結論から申し上げれば、対象になります。そのことに つきましては、私とヒラリー・クリントン国務長官との間でも確認をされております 。」(川上)「ところが、領土問題は同盟国であっても紛争には不介入、中立の立場 を取るという、片一方またアメリカが言っておるんですよね。だから、それは本当に どうなんだろうかと思うんですね。その辺りはどうお考えですか。」(玄葉外務大臣) 「領有権の問題と、この五条、これ施政区域の問題とこれはまったく一緒というわけ ではございませんので、い ずれにしても五条適用はあるということは累次確認をし てきているところでございます。」――2012年7月24日、参議院予算委員会 (議事録)参照。
日本政府が、日米安保体制(安保条約と在日米軍)に依拠することで、尖閣諸島の 領有を確かなものにしようとしているのは、明らかであろう。
「……かつて96年に当時のモンテール駐日大使による「尖閣は安保の適用外」との 発言で“揺さ振り”をかけられたというトラウマもあり、とにかく米国が尖閣諸島を 「安保の適用対象」と言明するか否かをめぐって一喜一憂するという「構図」の中に、 日本はものの見事に嵌めこまれてしまったのである。かくして、政界もメディアもこ うした「構図」に翻弄される中で、国際政治の「専門家」と称する人たちからは、 「尖閣は安保の対象」との発言をクリントン国務長官から引き出したことを「前原外 交の最大の成果」などと評論する声さえ聞かれる……」(豊下楢彦・関西学院大学法 学部教授『安保条約と「脅威論」の展開』立命館平和研究第12号(2011.3))
日本政府が、専守防衛の理念に沿って一定の防衛力を保持することによる「抑止効
果を重視した、従来の「基盤的防衛力構想」」を放棄し、「動的防衛力」という、攻
勢的・攻撃的方針への転換を打ち出した(『平成23年度以降に係る防衛計画の大綱
について』2010年12月17日安全保障会議・閣議決定)のも、日本独力での対
応としてではなく、アメリカの「協力」を当て込んでのものであろう。そしてアメリ
カも、そんな日本側の期待に一見応えているかのように見える。
もっとも、アメリカの言う尖閣諸島への安保条約(第5条)の適用が具体的にどこ
までの行動を予定したものなのかも定かではないのだが、それはひとまず措くとして
も、少なくとも現状の尖閣諸島に対する日本の施政権については、確かにアメリカも
追認していると言えるかもしれない。
だが、そもそも、「「第十一管区海上保安本部」が2010年7月に作成した「管
内在日アメリカ合衆国海上訓練区域一覧表」によれば、日本が米国海軍訓練区域とし
て提供している区域の中に、「射爆撃場」として黄尾嶼と赤尾嶼という尖閣諸島の二
つの島嶼が挙げられている。前者は久場島、後者は大正島であるが、なぜか明の時代
の文献に登場する中国名が使われている。これらの射爆場における米軍の訓練は、実
際は79年以来実施されていないと言われているが、しかし、08年10月の麻生内
閣の答弁書によれば、「空対地射爆訓練」などを行うために「使用しているものと認
識している」とのことである」。しかも、「2010年10月22日付の菅政権の答
弁書によれば、これらの区域に 「地方公共団体の職員等」が立ち入るためには「米
軍の許可を得ることが必要である」とのことである。つまりは、事実上米軍の管理下
におかれ、「日本人が行けない日本領土」となっているのである」。つまり普通に考
えれば、クリントン国務長官をはじめとするアメリカ政府(高官)からの「明言」や
「確認」など待つまでもなく、「これら島嶼の防衛は米軍の担当であろう」と言うこ
とになりそうなものである。ところが、「それでは、久場島の領海内で起こった今回
の事件(海上保安庁巡視船への中国漁船衝突事件――引用者注)の際に米軍はいかな
る対応を取ったのであろうか。膨大な情報が流れる中で、この問題だけはタブーにお
かれているようである」。そして、「今回の事件が発生して以来、菅政権 は米政権
に対し、尖閣諸島が安保条約5条の適用対象になるか否かについて「お伺い」を立て
「イエス」の発言を獲得することに奔走してきた。かくして、クリントン国務長官が
前原外相に「尖閣は安保の適用対象である」と明言すると、同外相が「勇気づけられ
た」と感謝の意を表明する事態にまで至った。しかも米国側はこうした立場を明らか
にする前提として日本に対し、イランのアザデガン油田からの撤退、思いやり予算の
増額、牛肉の輸入制限の緩和、普天間基地へのオスプレイ配備問題の「決着」等々の
要求を突きつけてきたのである」(以上、豊下楢彦『安保条約と「脅威論」の展開』
参照)。
アメリカが、日本政府から尖閣諸島の一部を訓練場として提供され、またその区域
を米軍が管理下においているという事実があるにもかかわらず、アメリカが尖閣諸島
を日米安保条約の適用対象とするかどうかをいちいち確認しなければならないという
ことに、尖閣諸島への安保条約の適用のそもそもの“不確かさ”が逆説的に浮き彫り
にされている、と言えるのではないだろうか?日本政府が表向き「条約締結の時点か
らの当然の前提」としているのとは裏腹に、尖閣諸島への安保条約の適用は、アメリ
カにとっては実はそれほど「当然」のことでもなければ、「前提」となることでもな
いのかもしれない。
前述の読売新聞との単独記者会見で、尖閣諸島への安保条約の適用に「前提条件を
付けずに「イエスだ」と明言」したキャンベル国務次官補は、同時に、「米国は、日
本との非常に強固な安全保障の協力関係を持っているが、同時に中国とも緊密に協力
している。両国には、問題解決のために最大限の外交努力を行うよう求めている」と
も、同じインタビューの中で答えていた(読売新聞2010,9,24付)。また、
アメリカ国家安全保障会議のベーダー・アジア上級部長も、ニューヨークでの記者会
見で、安保条約第5条について、「日本の施政下にあるすべての地域を対象にしてお
り、尖閣諸島は日本の施政下に含まれる」とする一方、尖閣諸島の領有権問題そのも
のについては、「米国は仲裁し ていないし、その役割を果たすつもりもない。この
問題は外交上の議論を通じ、早期に解決されることが重要だ」と述べている(朝日新
聞2010,9,24付 夕刊)。同じく、クローリー国務次官補も、尖閣諸島の領
有権問題ついて、「仲介の役割を果たすつもりはない」(読売新聞2010,9,2
4付 夕刊)とも、それぞれ「明言」してもいる。以上の公然発言からも、そもそも
尖閣諸島を日中どちらが領有するかということ自体について、アメリカにさしたるこ
だわりがあるようには見えない。せいぜい、“とにかく日中2国間で穏便に済ませて
欲しい”というニュアンスを感じさせる(「米国は、日本との非常に強固な安全保障
の協力関係を持っているが、同時に中国とも緊密に協力している。両国に は、問題
解決のために最大限の外交努力を行うよう求めている」「この問題は外交上の議論を
通じ、早期に解決されることが重要だ」)だけである。日本とアメリカとでは、尖閣
諸島に対する利害や関心が根本において一致していないのではないだろうか?
沖縄返還当時の、アメリカの尖閣諸島に対する利害と関心について、豊下楢彦・関
西学院大学法学部教授の『安保条約と「脅威論」の展開』は次のように述べる。
「さて問題は、この沖縄返還を前にして、尖閣諸島の帰属について当時のニクソン政 権がいかなる立場をとったか、ということである。実はそれまで米政府内では、「尖 閣は沖縄の一部」という明確な理解があった。ところが、68年に近海で石油の埋蔵 が確認され台湾や中国が領有権を主張し始めるに伴い、米政府は次第に「あいまいな 立場」に移り始めたのである。これに対し71年3月、国防省は国務省あての覚書に おいて、「陸軍地図サービス地名索引」では44年以来「尖閣諸島は沖縄の一部」と して記載されてきたことは「日本の主張に尊厳を与えており」、何よりも「米国は尖 閣諸島を沖縄の一部として施政した」のであって、尖閣諸島の帰属に関して「米国が 採っている中立の立場」はこ うした経緯に相反している、と指摘したのである。こ のような軍部の主張には、長期にわたり米軍が尖閣諸島を射爆場として使用してきた という背景があった。」「ところがニクソン政権は、こうした軍部の批判にもかかわ らず、「沖縄と一緒に尖閣諸島の施政権は返還するが、主権問題に関しては立場を表 明しない」との方針を決めたのである。その背景には、沖縄返還協定が調印された翌 7月のニクソン声明で明らかとなる劇的な「米中和解」を前にした中国への「配慮」 とともに、何よりも沖縄の近辺において日中間で領土紛争が存在すれば「日本の防衛」 のための「米軍の沖縄駐留はより正当化される」との思惑があったのである。(原貴 美恵『サンフランシスコ平和条約の盲点』渓水社、2005年)つま り、尖閣諸島 の帰属に関するニクソン政権の「中立の立場」は、沖縄の返還に際して日中間にあえ て火種を残し、紛争に対処する在日米軍の存在を正当化させる、という狙いがあった のである。」(豊下楢彦『安保条約と「脅威論」の展開』)
すでに触れたように、今日アメリカは、その国際的な「指導力の維持、国益の確保、
米国の価値観の推進」を賭け、アジアにおける「成長と活力の利用」と「米国の国益
や価値観に合った持続的なネットワーク」構築をめぐり、地域大国・中国との相互依
存と対立、錯綜する協調と競合のただ中にある。アメリカの外交・安保政策は、ニク
ソン政権時代にも増して否応もなく一層中国を意識したものとならざるを得ない。そ
れに対して、これもすでに触れたように、今日アメリカにとっての「米軍の沖縄駐留」
や「在日米軍の存在」、さらにそれらを“日本に対していちいち「正当化」しなけれ
ばならない理由”は、ニクソン政権時代に比してすでに低下しているのである。軍事
技術における長距離攻撃能 力と機動力の向上は、中国への軍事的対処に当たって米
軍の中核的軍事拠点を沖縄のような近場に置く必要性を減じさせた。米軍の大規模な
再編計画は、アジア重視の軍事シフトと財政問題との兼ね合いの中で、グアム―オー
ストラリアのラインを軸に展開されている。沖縄の抵抗で辺野古への新基地建設に事
実上進展の可能性がないと見て取るや、アメリカは沖縄駐留海兵隊と辺野古基地建設
のリンケージを外す方向へと舵を切った。もちろん、すぐにでも在日・在沖縄米軍が
撤退するという展開はないであろうが、アメリカの新たな対中国・対アジア軍事シフ
トにおける日本・沖縄の位置付けに、かつての冷戦時代ほどの(アメリカにとっての)
“重み”を期待することはできないだろう。「日本が米国の基地保 有を欲しなくなっ
た日から、1日といえども長くいるべきではない」「米国と政治的関係で共同しつつ、
軍事面にもこれを及ぼすことに日本が賛成なら沖縄にとどまるが、そうでなければ引
き揚げる」(67年3月のマクナマラ国防長官発言)可能性が、少なくとも(当時の
丸っきりの“ハッタリ”とは異なり)、アメリカにとってかつてなくリアリティーの
ある選択の一つとなったことを、日本は意識せざるを得ない。アメリカに見捨てられ
る不安(少なくとも、アメリカにとって冷戦時代に比べれば日本を見捨てることが容
易にはなった)が、日本政府・保守勢力をして、アメリカ政府高官から尖閣諸島が
「安保の適用対象」との言明を引き出すことに奔走させる。冷戦時代において日本政
府・保守勢力の一定の 対米交渉力基盤を成した、“アメリカにとっての”日米安保
体制(安保条約と在日・在沖縄米軍)の「死活的」な重要性がすでに大きく損なわれ
た今日、尖閣諸島問題をはじめとする日本の個別利益・独自利益を、日米安保体制へ
の依拠、戦後日本国家成立以来のアメリカの世界戦略への同調・(自己)同一化によっ
て実現しようとするなら、それは、アメリカへの一方的な懇願と際限のない忠誠の差
し出し、交渉を自ら放棄するにも等しいアメリカへの“すがりつき”以外に、日本が
採り得る行動の余地は極めて少ない。それが、対米従属のこれまでにも比してなお一
層の深化を、今日の日本にもたらしている。今となってはアメリカよりも日本政府・
(本土)保守勢力の方が、辺野古への新基地建設に固執してい るようにさえ見える
(注11)。日本政府・(本土)保守勢力は、これまで通り(もしくはこれまで以上
に)沖縄を米軍にとって使い勝手のいい軍事拠点として差し出すことで、あるいは米
軍の手足のようにかいがいしく働く新たな自衛隊を提供することで、アメリカの歓心
を買い、アメリカにとっての日本の有用性を強調・確認させ、それによってアメリカ
を日本に繋ぎ止めようとしているかのようである。
しかし、ニクソン政権以来のアメリカの尖閣諸島への対応からも明らかなように、
もともとアメリカと共有されない日本の個別利益・独自利益の追求・確保を、アメリ
カへの依存・従属によって達成しようとすることに本質的な無理があるのである。ア
ジアをめぐる米中両大国の、相互依存と対立、協調と競合の錯綜する覇権争いにおい
て、どちらか一方の勝利にすべてを賭けたり、どちらか一方に全面的に依拠・依存す
ることで個別利益・独自利益を確保しようとする日本政府・(本土)保守勢力の方針・
方向性は、果たして今日、どれほど現実的なものといえるのだろう?アメリカも中国
もそのどちらもが自己利益から駆け引きを繰り広げている。両国の自己利益と日本の
自己利益・個別利益とは必ず しも一致するものではない。米中両国いずれへの同調・
(自己)同一化も、日本の個別利益・独自利益をその時々の両大国間関係によってど
うとでも“処理”されてしまう危険にさらす、日本にとって「リスクが高すぎる」選
択となるのではないだろうか。
(注11)鳩山(由紀夫)内閣が打ち出した沖縄普天間基地の辺野古移設中止・(最
低でも)県外移設の方針・動向において、なぜか最大の焦点となったのは(辺野古に
替わる)新たな移設先探しであった。だが、そもそもどうして、米軍が使用する軍事
基地の候補地を日本国政府が探さなければならないのだろう?もし仮にアメリカの方
から、日本国内に(普天間・辺野古に替わる)新基地建設候補地を提示してきたのな
らば、確かにその当否の判断に日本としても関わらないわけにはいかないだろう。だ
が、日本政府にとって、単純に、一方的に、普天間に基地があっては困る、辺野古も
(他の沖縄県内も)新基地建設は民意が許さない、というだけであれば、日本政府の
方から進んで、米軍のために わざわざ新たな移転候補地を探してやる必要まではな
いはずであり、どこかに新たな基地を作るにしてもそれをどこに作るかは、まずは
(実際に新基地を管理・運用しなければならない都合上からも)アメリカが考えるべ
き問題であろう。しかし現実には、鳩山は普天間基地撤去・辺野古新基地撤回をアメ
リカに対して交渉議題として提示することもないまま、さながら、まずは日本政府の
方から移設先を提示する事が交渉のスタート地点とでも言わんばかりに、自ら進んで
“移設先探し”という迷路に入り込んでいった。
――鳩山は、普天間や辺野古といった基地の提供に代わり、移設先探しという日本
政府の“働き”によって、アジア太平洋におけるアメリカの軍事プレゼンスとの提携
を保持できる・保持しようとした――これが、鳩山の不可解な行動の唯一合理的な理
由として挙げ得るものではないだろうか?
だが、日米安保体制への依存、アジア太平洋におけるアメリカの軍事プレゼンスと
の提携、を前提とするのであれば、引き続き沖縄を使い勝手のよい軍事拠点としてア
メリカに差し出し続ける方が合目的的であろう。だからこそ、(外務・防衛両省や民
主党・鳩山内閣主流も含む)戦後日本保守勢力にとって、普天間基地の辺野古移設中
止・(最低でも)県外移設の方針は、鳩山の主観的意図(日米安保体制、アジア太平
洋におけるアメリカの軍事プレゼンスとの提携保持)にもかかわらず、その前提を損
ねかねない逸脱行為として妨害の対象となったのである。また、鳩山もその前提を共
有していたからこそ、移設先探しに行き詰った後は、普天間基地の辺野古移設中止・
(最低でも)県外移設方針が戦 後日本保守勢力としての前提に照らして非合目的的
であることを認識し、辺野古移設という元の木阿弥に舞い戻ったのである。
・自主外交と多対一での対抗に向けて
中国と、フィリピンやベトナム等東南アジア諸国との間で領有権が争われている南
シナ海問題について、紛争回避のための法的拘束力のある「行動規範」の草案を、イ
ンドネシア政府が東南アジア諸国連合(ASEAN)各国に非公式に提示していたことが、
今年10月、明らかになった。東南アジア各国は、強権的に振舞う中国に臨むに当たっ
て、対抗するアメリカ一国に過度に依拠・依存するのではなく、ASEANという多国間
の枠組みを介することで多対一の構図作りを模索している。これまで、対中国強硬派
のフィリピンやベトナムと親中派のカンボジアとの対立を見越して、中国は行動規範
策定への正式な交渉開始に合意してこなかった。多対一の構図作りも、決して言うほ
ど簡単な道ではない。だが今回、インドネシアは域内大国として、独自に作成した草
案を示して協議の停滞を打開しようと動いている。本来であれば、日本もまた、アジ
アの大国として、そして何より中国との領有権問題を抱える当事国の一員として(注
12)、ASEAN内での多対一の構図作りに積極的に参加し、仲介に尽力すべき立場に
あるのではないだろうか。日本の姿勢はあまりにもアメリカ一国への依存・従属に偏
重しすぎているとは言えまいか。だが、そもそも戦後日本国家は、もっぱらアメリカ
を介してアジア諸国と向き合い、それによって戦争責任や植民地支配責任を忌避して
きた。しかしそのような対米従属的あり方こそが、日本がアジア諸国と真摯に向き合
うことを困難にし、また例えば、日本の領有権問題等を(戦争責任や植民地支配責任
と関連付けられることで)複雑にし、さらにはそもそもの領有権問題の発生にもかか
わっているのである(本稿『2、戦後日本の二重の免責――戦争責任者・戦争指導者
たちの復権と、戦後日本国家の国際社会への復帰の構造』参照)。これからの日本が
目指すべき自主外交と多対一の構図作りのためには、日本人自身の手による主体的な、
国内外における大日本帝国の負の遺産の清算を伴う戦後日本国家的な外交路線の転換
が不可欠なのではないだろうか。
またそのような転換は、決して不可能ではない。
(注12)現在、南シナ海で中国と東南アジア各国間で領有権が争われている南沙諸 島・西沙諸島もまた、日本がサンフランシスコ平和条約で領有権を放棄した地域のひ とつである。ここでも日本(とその引き起こした戦争の影響)は決して無関係とは言 えないのである。
野田内閣は今年9月14日、2030年代の原発ゼロを目指すとする「革新的エネ
ルギー・環境戦略」を決定した。正式決定直前の9月12日、長島昭久首相補佐官と
大串博志内閣府政務官が「新戦略」を携え、アメリカ政府への事前説明のためにワシ
ントンへ派遣された。だが、アメリカ側は長島らの訪米目的を(たんなる事前「説明」
ではなく、あくまで)事前「相談」だと思っていたという。故に、対応したフロマン
大統領副補佐官は、「本当にもう決めてしまったのか…」と絶句することになる。だ
が、さらにアメリカを困惑させたのが「新戦略」におけるプルトニウム問題だった。
日本の「新戦略」は、原発ゼロを目指すとしながら使用済み核燃料の再処理=プルト
ニウム生産は継続するという ものだった。プルトニウムを再利用する高速増殖炉も
廃止するものとされているため、つまりはプルトニウムだけがひたすら積み増されて
いくことになるのだった。しかも日本は、すでに保有する分だけでも単純計算で核兵
器5千発分相当ともされるプルトニウムを保有していた。アメリカはプルトニウム保
有量の最小化と「新戦略」の閣議決定見送りを求め、野田内閣も「革新的エネルギー・
環境戦略」を閣議決定とはしなかった。
政府の新たなエネルギー政策決定過程を混乱・動揺させ、さらにその混乱と動揺の
中でまがりなりにも政府に2030年代の原発ゼロを打ち出させたことは、まぎれも
なく脱原発の世論と運動のひとつの成果であろう。また、再処理路線の継続が「新戦
略」に盛り込まれたのは、青森県が、再処理工場を動かさなければ使用済み核燃料の
県内貯蔵を今後認めない、と政府に強硬に迫ったためであったという。とすれば、ア
メリカにとってもはなはだ不本意な日本政府の政策決定をリードしたのは、(脱原発
の)世論と運動の力と、(再処理路線の継続を迫る)一地方自治体の意向だったとい
うことになる(注13)。そして、その不本意な日本政府の政策決定に対してアメリ
カが実現できたのは、今のとこ ろせいぜい、「新戦略」を閣議決定事項とはさせな
かった、ことぐらいなのである。
(注13)私の考えは「再処理路線にも反対」であるが、本稿の目的は原子力政策問 題について詳述することではないので、ここで「革新的エネルギー・環境戦略」や青 森県の再処理路線継続論それ自体の是非についてこれ以上は立ち入らない。
日本国内の世論と運動の力、国内政治状況の動向は、今日においても、日米関係に
おける無視し得ないファクターとなり得るのであり、日本政府の政策決定に(結果的
にせよ)一定の対米自主性を付与し得る(あるいは強いる)だけの力を発揮している
のである。もちろん、さらにそこから一歩進んで、本格的に対米従属からの脱却を図
るには、このような世論と運動の力をより自覚的に対米交渉力として変換し外交に当
たることを政権に強いる、あるいはそのような外交を行うことができる政権を、私た
ち国民・有権者が自覚的に作っていくことが必要だろう。そのような方向は――対米
従属と政権中枢における戦前支配勢力の温存という下にあっても、戦後日本が一定の
対米交渉力を発揮し得たという歴史的事実に照らしても――十分に実現可能な事のは
ずある。
だが、そのような展望は、「頭脳はアメリカであり、日本社会の神経中枢がはしる
背骨が官僚機構、その腕が万年与党の自民党や野田政権で、独占資本はその足にすぎ
ません。アメリカの支配は主にその背骨である日本の官僚機構を通じて貫徹されるの
だということです。」「サンフランシスコ条約の締結による日本の形式的独立と占領
軍の撤退以降、日本の主権を掌握してきたのは国民(その代理人としての政治家)で
はなく官僚機構であったということになります。日本における擬制的民主主義の根源
がここにあります。」「日本が「従属的に同盟」しているとはいえ、その「従属」は
20世紀初頭の植民地全盛時代の「植民地的従属」とは違いますが、それに近いと言っ
たほうが実態をより良く表現するものだと思われます。」「日本の官僚機構は国内主
権を握っているとはいえ、その主権はアメリカから任命された「現地支配人」ほどの
ものにすぎず、アメリカの意向を斟酌して自国の総理大臣を放り出す画策をするので
すから、売国性は露骨なもので植民地を彷彿させるに十分で、……」「限りなくアメ
リカの一重支配に近い支配が現在の日本で行われている」(日本の官僚機構は)「無
答責の「主権」を行使する存在」「無答責でありながら主権(独裁)を掌握する」等々
(原『特質』)の、“支配者・悪役として万能の”――あまりに万能すぎる――「ア
メリカ」や「日本の官僚機構」を思い描き、戦後日本民主主義を「擬制」として貶め
る、倒錯した日米関係認識・日本の国内体制認識からは切り開きようがないだろう
(注14)。
(注14) 戦後日本の民主主義の諸原理・諸制度が、その役割を十全に発揮し得なかっ
た事について本気で考える気があるのなら、国民・有権者のあり方・動向にもその原
因の一端がなかったか、という視点も含めた自省的な検証も避けて通れないだろう。
またそれが、私たちが今後民主主義の諸原理・諸制度を行使し、力を発揮させていく
上での糧にもなることだろう。
ところで、原仙作氏は、鳩山(由紀夫)内閣による沖縄普天間基地の辺野古移設中
止・(最低でも)県外移設の方針・動向とその頓挫について、「ポイントは官僚が政
府の意向を妨害する秘密電報を米政府に送っていたことです」「日本の官僚機構は…
…アメリカの意向を斟酌して自国の総理大臣を放り出す画策をするのです……」とし、
そこから(「この事実を知って、これまで知り得ていた日米関係の諸事実を私の頭の
中でいっぺんに整理することができるようになりました」)、上記のような“支配者・
悪役として万能の”「アメリカ」像や「日本の官僚機構」像を展開していく。だがそ
の一方で、そもそも鳩山(内閣)が公式にせよ非公式にせよ、アメリカ政府高官に対
してやその他外交ルートを通して、普天間基地の辺野古移設中止・(最低でも)県外
移設方針をアメリカに対しまともに提起したことがあったのか?といった、鳩山の無
為無策、(対米)行動の欠如には一切触れようとしない(原『特質』その他、原仙作
氏の一連の投稿参照)。これでは鳩山に対する擁護・免責ありきのご都合主義的主張
の域を出ないと言わざるを得ないだろう。
ここからは個人的推測の域を出ないが、このような不整合を無視してまで鳩山を擁
護・免責するのは、鳩山や鳩山民主党を支持したり期待した自分自身を、(結果とし
ての鳩山や民主党の期待外れぶりから)免責したい意識(本人の自覚としては無意識
かもしれないが)によるもの――鳩山を免責することでその鳩山に期待・支持した自
分自身も免責される(されたい)――なのではなかろうか?だが、意識的なものにせ
よ無意識的なものにせよ、“支配者・独裁者として万能の”「アメリカ」や「日本の
官僚機構」を思い描き、戦後民主主義を「擬制」と貶めることで自己免責感に浸ろう
とすることと、そこから現実逃避と政治的退廃に到るまではわずかな一歩だろう。事
実は事実としてすべて認識した上で、自省もいとわず教訓を汲み上げようとする方が、
有意義なことであろう。