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「現状分析と対抗戦略」討論欄

2012年東京都知事選の探求と国政選挙の課題

2012/12/22 櫻井智志


 東京都知事選は、同日に行われた衆院選の投票率が最低であったことと比べると、62.6パーセントとかなり高かった。それだけ都民が都知事選に期待したと見受けられる。
有力な四名の候補者の得票・得票率は、以下のとおりである。 猪瀬 直樹   無 新 66歳 4,338,936 票  得票率  67.3% 自民維新公明支援
宇都宮健児   無 新 66歳 968,960 票  得票率 15.0% 共.社.未.緑生活ネ
松沢 成文   無 新 54歳 621,278 票  得票率  9.6% 民主都議会支援
笹川  堯  諸派 新 77歳 179,180 票  得票率  2.8% (元自民党代議士)

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戦後の都知事選を◎当選者と◇上位得票獲得者、○有力な民衆派候補の得票を、時間をさかのぼるかたちで見ていこう。資料はインターネットのウィキペディアから検索した。

■2011年(平成23年) (得票率)
◎石原慎太郎  261万5120票 43.40% 自民都議会・公明都議会支援
◇東国原英夫  169万0669票 28.06% 無所属
 ◇わたなべ美樹 101万3132票 16.81% 無所属
○小池あきら   62万3913票 10.35% 共産党推薦
■2007年(平成19年)
◎石原慎太郎  281万1486票  51.06% 自民・公明支援
○浅野 史郎 169万3323票  30.75% 民主・社民支援
 ○吉田 万三   62万9549票  11.43% 共産党推薦
■2003年(平成15年)
 ◎石原慎太郎  308万7190票 70.21% 自民公明実質支援
 ○樋口 恵子  81万7146票 18.58% 民主社民ネットみどり支持
 ○若林 義春 36万4007票  8.28% 日本共産党公認
■1999年(平成11年)
◎石原慎太郎  166万4558票  30.47% 自民都連一部支持
◇はとやま邦夫  85万1130票  15.58% 民主推薦ネット支持
◇ますぞえ要一  83万6104票  15.30% 自民都連一部支持
 ◇明石 康 69.0308票  12.63% 自民本部・公明推薦
 ○三上 満    66万1881票  12.11% 共産推薦
 ◇柿沢こうじ   63万2054票  11.37% 自民都連一部支持
■1995年(平成7年)
◎青島 幸男  170万0993票 無所属
 ◇石原 信雄  123万5498票 自民公明社会民社推薦
 ◇岩國 哲人   82万4385票 東京都民党推薦
 ◇大前 研一   42万2609票 平成都民リーグ
 ○黒木 三郎 28万4387票 共産・社会の一部支持
 ○上田  哲   16万2710票 社会の一部支持
■1991年(平成3年)
 ◎鈴木俊一   229万2846票 自民都連・民社都県
◇磯村尚徳   143万7233票 自民本部・公明・民社・スポーツ平和
○畑田 重夫   42万1775票 日本共産党
 ○大原みつのり  29万0435票 日本社会党
■1987年(昭和62年)
◎鈴木 俊一 212万8476票         自民・民社・公明
 ○和田 静夫   74万9659票 日本社会党
 ○畑田 重夫   69万8919票 日本共産党
■1983年(昭和58年)
 ◎鈴木 俊一 235万5348票 自民・公明・民社
 ○松岡 英夫  148万2169票 社会・共産
■1979年(昭和54年)
 ◎鈴木 俊一  190万0210票 自民・公明
 ○太田 薫   154万1594票 社会党・共産党
 ◇麻生 良方 91万1825票 民社党
■1975年(昭和50年)
 ◎みのべ亮吉  268万8566票 社会・共産・公明推薦
 ◇石原慎太郎  233万6359票 自民推薦
 ◇松下 正寿   27万3574票 民社推薦
■1971年(昭和46年)  ◎みのべ亮吉  361万5299票 社会党・共産党
 ◇はたの 章  193万5694票 自民党
■1967年(昭和42年)
 ◎みのべ亮吉  220万0389票 社会、共産推薦
 ◇松下 正寿  206万3752票 自民、民社推薦
 ◇阿部 憲一 60万1527票 公明推薦
■1963年(昭和38年)
 ◎東竜太郎   229万8616票 自民
 ○坂本 勝   163万4634票 社会・民社・共産
■1959年(昭和34年)
 ◎東竜太郎   182万1346票 無所属
 ○有田 八郎 165万2189票 社会党
■1955年(昭和30年)
 ◎安井誠一郎  130万9481票 民主、自由
 ○有田 八郎  119万1608票 社会党
■1951年(昭和26年)
 ◎安井誠一郎  143万3246票 無所属
 ○加藤 勘十   81万1616票 社会党
○出 隆      4万4349票         無所属
  *出隆氏は東大哲学科教授である。日本共産党員だったが、ソ連派の行動が党規違反として除籍された。この都知事選立候補の頃は共産党に所属していたと思われる。
■1947年(昭和22年)
 ◎安井誠一郎   70万5040票 無所属
 ○田川大吉郎   61万5622票 社会党
この選挙が執行されたのは、地方自治法公布(1947年4月17日)よりも前である。1946年に改正された東京都制に基づき東京都長官を選挙するものとして執行された。5月3日の地方自治法施行により、東京都知事に移行した。以上ウィキペディアに拠る。

 以上のように戦後直後から俯瞰すると、数百万票台の当選者は、第二回都知事選以来の伝統である。巨大な人口を抱える東京都では首位を占めるのにそれだけの有権者の票を獲得しなければならない。社会党が初期から革新陣営の中核的存在だった。革新統一戦線が東京都に樹立されたのは、美濃部亮吉氏いらいである。


 今回の都知事選では、宇都宮健児氏を候補者として闘われた選挙戦は、革新統一戦線を超えている。単に社民党と共産党の共闘ではない。宇都宮氏を支援した政党は、ほかに未来の党、新社会党、みどりの風、生活者ネットワークなど今までの革新統一候補の場合とは異なる。かなり広範囲な政党の共闘があった。
 そして何よりも顕著なのは、宇都宮氏の確認団体でもあった「人にやさしい東京をつくる会」の存在である。この会を立ち上げたのは、文化人だけではないのだが、この会に参加した文化人は以下の多数に及ぶ。
赤石千衣子 雨宮処凛 池田香代子 稲葉剛 上原公子 内田雅敏 内橋克人 宇都宮健児  大江健三郎 岡本厚 荻原博子 奥平康弘 海渡雄一 鎌田慧 河添誠 北村肇 木村結 小森陽一 斎藤駿  斎藤貴男 早乙女勝元 佐高信 佐藤学 澤田猛 澤藤統一郎 柴田徳衛 品川正治 杉原泰雄 高田健 俵義文 崔善愛 辻井喬 暉崚淑子 寺西俊一 中山武敏 西谷修 堀尾輝久 前田哲男 山口二郎 渡辺治
広範なメンバーには、作家や弁護士、大学人など多彩である。
 ひとつ気付いたのは、脱原発運動で実践に関わった知識人たちの存在である。鎌田慧氏や大江健三郎氏にすぐ気付いた。週刊金曜日の編集委員や『世界』の元編集長、九条の会の指導者、民主的な企業人、弁護士、教育学者、ジャーナリスト。四十名の方々を見て、都知事選において知識人が果たした有益な歴史的意義を今回もさらに向上させた力量で取り組まれていた。
 選挙に入る前に、候補者選びがある。「人にやさし い東京をつくる会」が候補擁立する前にこんな動きもあった。全国に原発投票をよびかける会の事務局長を務められている今井一氏が、個人的に都知事擁立の呼びかけを行った。その呼びかけに呼応して、都知事に擁立したいひとを自由に発表して、その三日後に立候補する意思の有無を知らせ、意思のある立候補者を連れてくるということになった。そして団体の名前をグループ「私が東京を変える」と相談の上に決めた。この動きは東京新聞、朝日新聞、読売新聞、産経新聞などで報道された。推薦された候補者は、湯浅誠、宇都宮健児、上原公子さん、今井一さん、坂本龍一、菅直人、猪瀬直樹、山本太郎、山台真司など。私は友人大津留公彦氏が立ち上げた「湯浅誠さんらを都知事にする会」に賛同して、別 の友人太田光征氏と3人で会場に出向いた。湯浅さんは、事情があって出馬はできなかった。自らも推薦された国立市長のご経験もある上原公子さんが宇都宮健児さんを推薦された。上原さんは、投票日直前の新宿西口の宣伝カーからの最後のフィナーレの司会まで裏方に徹し、今回実に見事な応援団リーダーだった。「人にやさしい東京をつくる会」のメンバーでもある海渡雄一氏は、事務局長として、選対の中心となった。気付いたのは、脱原発基本法制定ネットワークのメンバーである。代々木公園に17万人を集めた脱原発1000万人アクション10万人集会で中枢を担った大江さん以下の知識人・実践家が、宇都宮さんを応援してこの都知事選に臨んでいる。
 まさに2012東京都知事選は、今まで の革新統一式の闘いを超えていた。
1983年(昭和58年)
 ◎鈴木 俊一 235万5348票 自民・公明・民社
 ○松岡 英夫  148万2169票 社会・共産
この年の知事選を境に社共統一の知事選は後に見られない。松岡氏の前の選挙でも総評議長の経験をもつ太田薫氏でも、敗北している。革新統一戦線は、宇都宮けんじさん候補の今回の都知事選においては、脱原発で立ち上がった全国の市民派を背景に、市民が動きそれを政党や知識人たちが支えるという形態の現代的な統一戦線の形態へと変化した。
 そして、日本共産党はこの「新しい統一戦線」に協力的だった。投票日前夜のフィナーレで田村智子国会議員は、節度ある抑制のきいた内容を、わかりやすい言葉で演説して、宇都宮けんじさんこそ都知事にふさわしい困ったひと、弱った人にも優しいお人柄であり宇都宮氏こそ弱い立場の都民を苦しめる権力に毅然とした強い政治家です、と挨拶した。日本共産党もこのような人物が広く国民にアピールすると、広範な共感を得ることができよう。


 安倍自民党総裁は、総選挙勝利後に、今後の国政選挙でインターネット選挙を解禁する方向性を示した。これからの選挙は、四年後の都知事選では、ほぼ間違いなくインターネットを駆使したやりかたが導入されるだろう。今回でも宇都宮けんじ候補は、ツイッターやフェイスブック、メルマガなど導入した選挙を行った。公職選挙法の制限で、告示以降には更新できなかったが、告示以降もインターネットを使用できるのならば、広く市民は、自分の思考や思想をわかりやすく共鳴を得られるような表現力が求められる。いわば、インターネット・リテラシーである。いつどこでなにがある、といった情報だけではなく、宇都宮さんが貧困問題やサラ金問題で取り組んできた弁護士としてのすぐれて人間的 なヒューマニティにあふれた公民としてのすぐれた資質がいかに都知事にふさわしかったことか。
 形態が変わっても、内容のない権力者的発想のインターネット情報では意義がうすい。インターネットを駆使して、外在的に効果的な情報と印象操作とは別にである。ひとびとの心にどれだけ響く発信をできるかが、インターネット選挙に求められている。その点でも、宇都宮健児氏のすぐれた政治家にふさわしい民主的な人格を、インターネットで発信するための習熟も四年後に向けて備えるべきであろう。
 さらに、円卓方式のフォーラム型統一戦線は、かなり前から加藤哲郎氏などからも提起されているが、原発事故の悲劇を二度と起こさぬために立ち上がった脱原発の民衆のこえを生かす統一戦線こそ 現代いっそう求められている。
 本稿は東京都知事選を主題としているが、あえて国政選挙に敷衍すると、各政党が民衆の要求を生かした闘い方が必須である。反軍国主義の政党が、統一名簿方式で円卓について、ゆるい最低限の公約で、決定的な一点においては共闘して、反軍国主義行動をとることが東京都で芽生えた新たな統一戦線を国政選挙でも発展させるべきである。同日に行われた都知事選ではこれだけの健闘がなされた。総選挙では、未来、共産、社民と議席数ではどこも後退している。「共同、共闘、統一戦線」。関係各位が再考し、来年の参院選に間に合わせてほしい。それが宇都宮けんじ都知事候補の善戦に政党人が応えるべき課題である。