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「現状分析と対抗戦略」討論欄

いま小沢一郎をどう見るか

2012/3/9 櫻井智志

 下記の文章は、1993年の私の文章である。

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小沢一郎氏の政治行動を危惧する
櫻井 智志
 腐敗政治の担い手から、未来を開拓する展望が出てくるわけがあるまい。小沢一郎―稀代の謀略政治家。このような政治家に、一時でも幻想を抱き続けるならば、日本の国民は、世界の良識ある民衆や志ある政治家たちから、この程度の政治家にこの程度の国民、と嘲笑をうけても仕方があるまい。
 小沢本人の書物をきっかけとして、いわゆる小沢本が軒並みベストセラーに近い売れ行きという。小沢を批判する浅井基文氏の『新保守主義』(柏書房)のようなしっかりした視点で取り組んでいる労作は、それほどハイペースの売れ行きでなく、提灯もち記事満載の本が売れているとは、それはそれで、国民の今の意識を反映しているのだろう。
 小沢の野望は確かに新しい衣をまとっており、それで うけているのだろうが、衣の下にあるものは、戦時中の亡霊とも似通った強権政治である。もっともこのごろ、そのような権力志向の出世主義者が、保守革新問わず、ごろごろしているいやな時世となっている。
 宗教を離れ、生き神様を指向している池田大作と野合し、創価学会の組織票と財力を抵当に、新党の基盤はできた。おそらく、スキャンダルをもみけしにする位の裏取り引きは、とっくにできていよう。細川新党を前面に押し出して、利用するだけ利用しているが、その本心は、ずばり社会党潰しである。閣僚の椅子と、連立政権保守のためにと、次々に社会党の戦後反戦平和の運動の趣旨を換骨奪胎して、気づいた時には、社会党は社会党でなく、戦前の大政翼賛会に吸収された勢力の二の舞となる 可能性すらある。小選挙区比例代表並立制などという、わけのわからぬ制度をもって、政治改革の実現だなどと、小学生ですら見抜けるような虚言である。
 おまけにその結果、社会党を見捨て、鯨岡兵輔氏らハト派を切り捨てた自民党と連携して、新・新連立政権を組んで、憲法改悪、徴兵制施行するのが小沢の本心であろう。そうやって変質しかけた国連の常任理事国に入っても、多国籍企業化した財界の莫大な利益で世界に君臨しても、国際社会の名誉ある地位など占めるどころか、陰で軽蔑と非難を浴びることは自明である。
 そのような世紀末国家に日本を陥らせぬためにも、「危険な超権力主義者」の虚像に惑わされず、まともな政治家を保守革新問わず、推挙し続ける義務が大人にはあろう。自 由民権から大正デモクラシー、「戦後民主主義」、へと続く歴史を次代の世紀を担う世代に継承させていくことが、私達、中・高年世代の責任でもあるのだ。
(『週刊金曜日』創刊第3号1993年11月19日号投書欄)
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 上記の文章は、ちょうど20年前の小沢批判である。それから自民党政治は、小泉純一郎の「改革?」によって、大きく変わった。歴史の進行とともに明らかになっていったことは、反動政治の担い手は小沢一郎でなく、小泉純一郎だった。小泉の新自由主義以降、自民党公明党の連立政権は、まともな政治家能力もない安倍晋三や麻生太郎らの政権によって、めちゃめちゃな行政となり、民主党鳩山・小沢政権へと交代した。鳩山政権は、対米隷属を離れて独立外交を志向してアメリカの逆鱗に触れた。強力な権力介入によって、鳩山由起夫氏は総理の座を手放さざるを得なくなった。民主党政権は菅直人・野田佳彦へと変わっていった。小泉の新自由主義から民主党野田・前原の新自由主義政策を経て 、日本社会はめちゃくちゃな内政外交の様相を呈して国民の失望をかった。しかし、その後に待ち構えていた自公政権は安倍晋三を再び総理の座に据えた。安倍政権に至り、とうとう戦前の亡霊的「平成維新」+「新自由主義」+軍国主義を一体化した現在の政権に変わっている。
 自らの二十年間の見通しの未熟さは批判するが、なぜ小澤支持が生まれてくるかの背景を知ってほしいと思い、恥をさらすようだがあえて古い文章を再掲したしだいである。
 しかし、今も尚、日本共産党は小沢一郎を金権政治家と見る基本的スタンスを変えていない。週刊金曜日の中心を担っている佐高信氏は、よく喩えとして「クリーンな鷹とダーティな鳩」を引用される。クリーン、ダーティは金権政治との距離感である。鷹、鳩は軍国主義と平和主義のたとえである。小沢一郎氏は改憲論者であるから、ハト派とまでは言えない。けれど安倍晋三のようなヨーロッパのジャーナリズムから見た極右と、小沢一郎の政治観は同一線上にはない。国民に再び戦前の軍国主義をもたらす政治家が小沢一郎の正体とは思えない。民主党政権交代の時に、小沢はアメリカに対して一定の距離を保ちつつアジア外交を重視する路線をとった。中国への距離感や東南アジアへの対応など、対 米隷属路線とは一線を画して、そのことが小沢氏の政治的失墜の原因となったことは、これまでの経緯を見てきた識者の多くが指摘するところである。
 クリーンな鷹とは、金権と無縁な保守主義者軍国主義者を指すが、現在の安倍政権の自民党閣僚の中には、ダーティな鷹がかなりいると見受けられる。
 小沢一郎氏は、三月七日に集会を開催した。そのことを植草一秀氏が紹介していることを私の加入しているメーリングリストのメールで知った。集会そのものは終わったけれど、内容は以下のとおりである。

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植草一秀氏の視点ー(2013/03/06)ー(1/2)
「主権者連合」が主権者政治勢力の結集を主導する

 生活の党の「三宅雪子前衆議院議員を励ます会」が3月5日、ホテルニューオータニで開催された。会場を埋め尽くす支持者が参集し、盛況裏に会は執り行われた。冒頭、生活の党党首の小沢一郎衆議院議員があいさつに立った。生活の党所属の現職および前職の国会議員が参集し、本年夏の参院選に向けて、勝利を勝ち取る渾身の覚悟が示された。司会を担当したのは、橋本久美前衆院選公認候補者だった。司会者のバイタリティーのある進行によって、励ます会は大いなる盛り上がりを示した。この勢いを7月参院選の結果に結び付けてゆかなくてはならない。4年前の3月3日、巨大政治謀略が禁断の領域に足を踏み入れた。爾来、4年間にわたる「人物破壊工作」によって、日本の政治は根底から転 覆されてしまった。主権者国民の政治は雲散霧消してしまった。日本の主権者国民が決して忘れてはならない日になることだろう。3月5日は、三宅雪子議員の誕生日でもある。励ます会では大きな誕生日ケーキが用意され、三宅雪子氏がローソクにともされた炎を吹き消した。
 生活の党が躍進を遂げるため、大いなるエネルギーの結集が必要である。
 さらに、3月7日には、東京池袋の豊島公会堂で、小沢一郎議員を支援する会が主催する国民大集会が開催される。会の正式名称は、「小沢一郎議員の無罪判決確定報告と石川知裕、大久保隆規、池田光智元秘書の無罪を勝ちとる国民大集会」開催概要は以下の通り。
http://minshushugi.net/activity/index.Cgi
●日時 平成25年3月7日(木) 午後6時00分開場 午後6時30分開演
●場所 豊島公会堂
〒170-0013 東京都豊島区東池袋1-19-1TEL.03-3984-7601
●会費 お1人 1,000円(含資料代)
●受付方法 当日、会場入口受付にて(事前申込不要、定員数に達し次第終了)
●出席者
生活の党代表 小沢一郎 氏(衆議院議員)東 祥三 氏(前衆議院議員)川内博史 氏(前衆議院議員)鈴木宗男 氏(元衆議院議員)辻  惠 氏(前衆議院議員)中村哲治 氏(前参議院議員)はたともこ 氏(参議院議員)姫井由美子 氏(前参議院議員)平野貞夫 氏(日本一新の会代表・元参議院議員)二見伸明 氏(元衆議院議員)三宅雪子 氏(前衆議院議員)森 ゆうこ 氏(参議院議員)植草一秀 氏(経済評論家、経済学者)鈴木邦男 氏(一水会顧問)仙波敏郎 氏(元愛媛県警巡査部長・元阿久根市副市長)三井 環 氏(元大阪高検公安部長)宮崎 学 氏(評論家)山崎行太郎 氏(文藝評論家)(50音順)
●主催
小沢一郎議員を支援する会
●協賛
日本一新の会 火の玉応援団 「生活の党」を支援する市民の会 国民の生活が第一の政治を実現する会 市民連帯の会 なにわ市民セミナー団 小沢一郎支援デモ実行委員会 陸山会事件国策捜査・不当裁判糾弾デモ実行委員会 (順不同)
 この会を成功させ、ストップ・ザ・ファシズムを推進してゆかなくてはならない。私たちは忘れやすい。すぐに流され、妥協し、長いものに巻かれてしまう。この行動様式を変えない限り、日本政治を主権者国民のものにすることはできないだろう。闘うということは、強烈なエネルギーを必要とすることでもある。強大なエネルギーを注ぎ続けることなしに、大きな勝利を勝ち取ることはできない。主権者国民が一度は手中に収めた国家の権力。しかし、これを守ろうとするエネルギーは、これを奪い返そうとする既得権益のエネルギーよりも弱かったのだ。政権は転覆され、権力は再び既得権益の側に移行してしまった。このまま、日本の主権者が腰砕けになれば、日本の主権者が権力を奪還することは 、恐らく二度となくなるだろう。日本は永遠に米国の植民地として生きてゆくことになる。
 日本国首相は植民地日本の総統である。国民に対しては居丈高に振る舞うが、宗主国米国に対しては、最敬礼、土下座の対応を続けることになるのだ。この現状を変えるには、主権者国民が覚醒するほかはない。国民が覚醒し、政治勢力の結集を図る。「生活の党」は否応なく、中核的な働きを示さざるを得ないだろう。この3月を、新たな闘いに向けての大いなる第一歩にしなければならない。安倍晋三氏が選挙中に口にした「日本を取り戻す」の主語は「米国」だった。米国が日本を取り戻したのである。
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植草一秀氏の視点ー(2013 /03/06)ー(2/2)
「主権者連合」が主権者政治勢力の結集を主導する(続)
 2009年9月に誕生した主権者国民の政権。これを破壊したのは誰か。明白である。日本の既得権益である。日本の既得権益とは、米・官・業である。2009年9月の政権交代とは、これらの既得権益、米・官・業支配の構造からの訣別であった。普天間移設先を米国が求める辺野古海岸ではなく、県外ないし国外にする。官僚の天下りとわたりという官僚利権を根絶する。すなわち、シロアリを駆除する。そして、大資本が政治を支配する構造を断ち切ることとは、企業献金を全面禁止することだった。まさに、画期的な方針が示されたのである。逆に言えば、画期的な方針が示されたがゆえに、小沢-鳩山ラインは完全せん滅攻撃の対象とされたのである。野田佳彦氏は主権者国民を裏切った。
 「シロアリ退治なき消費税増税を断固阻止する」との方針が、「シロアリを培養する方針」にすり替えられた。これほどの欺瞞行為はない。そして、菅直人氏は、辺野古移設で鳩山元首相が辞任に追い込まれたにもかかわらず、辺野古移設の日米合意を堅持する方針を真っ先に示した。そして、菅政権発足以来、企業団体献金の全面禁止提案は闇に葬られたのである。「米官業のための政治」が「主権者国民のための政治」に書き換えられることは、日本の既得権益=米・官・業にとっては、絶対に許されないことであった。主権者国民の政治を破壊して、米官業既得権益のための政治を奪還する。この大方針の下で展開されたのが、小沢一郎氏に対する人物破壊工作あった。同様に人物破壊工作に遭遇したのが鳩山 由紀夫元首相であり、そして私自身だ。この大方針の下で、小沢一郎氏に対する、空前絶後の人物破壊工作が展開された。それが、西松事件と陸山会事件である。この人物破壊工作で、日本の歴史は三度塗り替えられた。
 一度目が2009年9月。この年の3月3日の大久保氏不当逮捕がなければ、小沢一郎氏が民主党代表を辞任する必要はなかった。つまり、小沢一郎政権が2009年に誕生していたのである。2009年、一度目の小沢一郎政権誕生阻止が実行された。
 第二は、2010年9月14日の民主党代表選。公正な選挙が行われたなら、小沢一郎氏が代表職に復帰して、小沢一郎政権が樹立されていた。これを不正選挙によって転覆した。検察審査会の不正な小沢氏起訴議決も代表選での小 沢氏選出を阻止するために創作されたものである。2010年、二度目の小沢一郎政権誕生阻止が実行されたのである。
 2011年8月29日の民主党代表選。野田佳彦氏が代表に選出された。本来は小沢一郎氏が新代表に選出されるべきであった。ところが、小沢氏は冤罪事案によって党員資格停止の処分を受けていたのだ。これほどの理不尽、不条理は存在しない。このために、財務省に魂を売り渡したペテン師宰相野田佳彦氏が生み出されたのである。三たび、小沢一郎政権の誕生は阻止されたのだ。
 だから私たちはいま、「歴史を取り戻さ」ねばならない。「歴史を取り戻す!」これが、7月参院選に向けての主権者国民の合言葉である。そのためには、まずは主権者が覚醒しなければならない。 起きているのか眠っているのか分からないような、半催眠状態で現実に対応するなら、主権者は必ず既得権益の食いものにされる。すべての主権者が覚醒する必要もない。昨年12月の衆院選の現実を踏まえるなら、主権者の16%の支持を集めるだけで、議会の圧倒的多数を握ってしまうことができる。つまり、全主権者の2割を覚醒させ、この覚醒した主権者を一つの旗の下に集結させることができれば、主権者が政権を奪還することが可能になる。同時に不可欠なことは、政治勢力の側が党利党略、個利個略に走ることを抑制し、「小異を残して大同につく」ことを実践することだ。米官業の既得権益の政治を目指す政治勢力が、自公+みんな維新だ。この勢力は基本的に「同じ穴のムジナ」である。自公+み んな維新以外の政治勢力の集結が求められている。この政治勢力が利害と打算で敵対し合う限り、既得権益の政治打破は起こりえない。主権者国民のための政治を確立するとの「原点」への回帰が求められている。これまでのような政治勢力主導の合従連衡では、どうしても、政治勢力同士の縄張り争いになってしまう。この弊害を取り除くには、政治勢力が主導するのではなく、主権者国民が主導して、この政治運動に政治勢力が合流するプロセスを踏むことが有効であると考える。その政治運動を「国民連合」の名称で表現することを提案した。ところが、この提案に対して、メルマガ読者から、「主権者連合」の名称の方が優れているとのご意見を頂戴した。「国民」の名は、政治勢力にすでに使い古された感 が強いことをメルマガ読書は指摘された。たしかにその通りである。そして、「民」の文字には、暗く重い意味が込められているとの見方がある。
 「民」の解字については、「憲文録-別冊」さまサイト、「目に針を刺す」
http://blogs.dion.ne.jp/kenbunroku/archives/5133785.htmlが詳しい。
 その一部を転載すると、「諸橋轍次先生は、『大漢和辞典』(大修館書店)で語源について次のように解説されています。「片目を針で刺した形に象り、その奴隷・被支配民族などの意を表はす」。そして、藤堂明保先生が編集した『新漢和大字典』(学研)では、さらに詳しく次のように書かれています。「ひとみのない目を針でさすさまを描いたもので、目を針で突いて目を見えなくした奴隷をあらわす。のち、目の見えない人のように物のわからない多くの人々、支配下におかれる人々の意になる」。金石文時代の象形文字を見ると、なるほどと思わされます。」「民」という言葉には、どうも、「奴隷」の意味が付きまとうのだ。したがって、メルマガ読者様の意見を尊重して、「主権者 連合」とさせていただきたい。二転三転については深くお詫び申し上げたい。「主権者連合」が主導する主権者国民勢力の結集を急がねばならない。3月7日大集会は、「主権者連合」が闘いの火ぶたを切るためのイベントにしてゆかねばならないと痛感する。
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 私は植草一秀氏の政治評論や経済理論をすべて肯定しているわけではない。検察審査会による数度の小沢氏に対する冤罪や大手マスコミによる「人物破壊」に対する植草氏の義憤に共感をもっている。植草氏が言う「主権者連合」のような共闘組織を立ち上げて、安倍自公・維新の会に対して結束して、参院選に取り組むことには賛成である。
 昨年の衆院選における選挙制度を、各地の高裁が連続して「憲法違反」としている。しかし支配者はいつでも自分の利益に合致するような行政を行う。裁判所の勧告をもとに、かりに選挙制度を変えるにしても、現政権が不利な結果を予測される制度には変えないとみる。それに対して、選挙共闘で参院選選挙区にのぞもうとする現実の動きも見られる。

 政党はそのままで、選挙協定を結んだ選挙時のゆるやかな組織づくりを提案する動きもある。社民党、日本共産党、緑の党、新社会党、生活クラブ生協の政治組織、新党大地、新党きづな、緑の風、そして生活の党、未来の党など中小政党が、政党を解散せず選挙協定を結びゆるやかな共闘をつくって参院選に臨むべきである。その時に、小沢氏の主宰する生活の党と左派政党などが共闘しうるかどうかは、大きな課題である。
 三月十日には、東京以外にも全国各地で続々と脱原発護憲1000万人アクション集会が開催される。その民意の結集を政治に反映させるためにも、政党や政治家は民衆の声を活かす政治的行動の選択を願うものである。