まだ二十歳代の頃に、私は青木書店『現代と思想』誌が公募していた「戸坂潤賞」に応募しようと試みた。この受賞者の尾関周二、二宮厚美などは、後に立派な学問的貢献をなされていかれた。私は論文そのものを仕上げることができなかった。覚えていることは、「当面する日本の危機的状況と国民統一戦線結成上の諸課題」という表題である。この表題だけで、論文そのものが未完成なので、若気の至りとしかいいようがない。
ただ、国民統一戦線という概念に対するこだわりはその後も持ち続けてきた。一九六〇年の日米安保条約に対する国民共闘や一九七〇年前後の革新統一戦線による自治体誕生がその概念に近かった。
戦後直後に中国から帰国した野坂参三は、「民主人民戦線」を提 唱し日本共産党と野坂参三とは共同声明を発表した。なお、野坂参三は、のちに日本共産党から野坂がスパイだったという事柄で党を除名した。詳細な事実を精査した上での結論と思えるが、野坂がソ連で山本懸蔵をスパイとして密告したという事実については、山本自身が東大医学部の教師でドイツに留学しドイツ共産党員として活躍していた国崎定洞をソ連当局に密告して国崎は粛清されている。ソ連にいた日本人共産主義者が、ソ連政府からは全員スパイとして監視されていたこと、自分が密告しなければ他の日本人共産主義者から密告される恐怖にさいなまれていたことを立証した政治学者加藤哲郎の研究を重視したい。ここからは事実問題の検証を要求されるが、戦後日本社会で野坂参三を同時代人として 私は親近感をずっと野坂に感じてきた。ながらくスパイとして扱われて中国に幽閉に等しい扱いを受けてきた伊藤律の事例をとりあげても、かなり高度の政治的難問の範疇に属する。野坂がスパイであったかどうか考える時、以下の史実も重要である。たとえば、中国共産党員が獄中で偽装転向して獄から出て、反アァシズム闘争の隊列に参加するようにという中国共産党中枢司令部からの極秘指示に基づいて闘った実例がある。激動の第二次世界大戦中の政治的事件を、後付けして動乱の時代を生きた共産主義者について断定することは慎重さを要する。戦前の野坂を論評する用意も資格もない。ただ、百歳の年齢にある野坂参三がなんらいいわけもせずに、従容としてスパイ事実に対する除名勧告を受け入れ、翌 年に病没した事実に、人間が政治に関わることの厳しい現実社会の出来事に、粛然としてしばらく沈黙し思考にあけくれた記憶を想い出す。それらを踏まえつつ、共同声明を掲げる。
『共同声明
一、上は天皇から軍国主義者、官僚、さらに財閥及び寄生地主にいたるまでの一切の封建的専制的な帝国主義全体制が犯罪的戦争を強行し日本の国土、民族とその文化を破滅に陥れ、周辺の諸民族と連合諸国民とに加えた残虐と荒廃の責任者であり、これを存続すれば必ずや世界の恒久的平和の建設と日本民族の復興とを妨害する危険があるので、天皇制打倒といふ方針の正しさを認めることにわれわれの意見は完全に一致した。天皇制の廃止とは、これを国家の制度として排除することであり、その上で皇室の存続がいかになるかということは自ら別問題である。それは将来日本の民主主義化が達成されるとき日本国民の意志によつて決定されるべきものである。たゞ一切の反動分子は、天皇の 名を利用して国民を欺き、日本の民主主義化を阻止しようとしているから、かゝる陰謀に対する闘争は飽くまで精力的に行うベきである。
二、天皇制の支配者と上層階級とは、日本が当面する民族的危機を救済する任務について全く無能であり、たゞ自己の地位と特権とを多少形を変えただけで維持することに汲々としているのみである。日本共産党こそは、真に国を憂い、国民を愛するものであり、いたずらに暴力を弄ぶことをせず、人民の生活の安定と向上とに専心しつゝあるが、日本民族がこの苦難を克服し国際平和機構に參加しうる不屈の努力をなすべきことを確信し志を同じくする一切の民主主義者はこの際急速に民主主義的統一戦線を結成する必要のあることを茲に改めて強調する。
三、この 統一戦線は大体の申合せにおいて一致したプログラムによつて形成さるべきである。各党各派はこのプログラムに基いてその党派の立場を自由にとればよいのであり、必要な場合には友愛の精神により相互批判の自由を行使すべきであると共に決して一党派の立場のみを固執せず妥協すべきところは妥協すべきである。
一九四六年一月十四
日本共産党中央委員会
野坂 参三』
「民主人民戦線」は、日本共産党の陣営から提唱された。一方社会党の側からも、民主主義擁護同盟が提唱された。いずれも正式に樹立され運動するに至らなかった。労働運動史の専門的研究者塩田庄兵衛氏は、「戦後日本の統一戦線運動」(大原労働問題研究所所収)においてこう述べている。
『 平和・民族独立・民主主義・国民生活が危機にさらされ,あるいは侵されたとき,広範な人民の力を結集してこれを克服し,新しい局面を切りひらくことをめざす政治闘争としての統一戦線運動は,とりわけ1930年代いらいの現代史を特徴づげている。目本でも,天皇制軍部を中心とする侵略戦争とファシズム的抑圧に反対して,共産主義者や左翼杜会民主主義者を中心に統一戦線運動が企図さ れた。この力量は,当時の歴史的条件に制約されて,国際的レベルからみて決して強いとはいえたかったが,戦前の国際・国内の経験は,戦後目本の統一戦線運動の培養土として作用した。
さて,戦後40年の目本の杜会運動のなかで,統一戦線はたえず意識され,追求されてきた。その意味で第2次大戦後の目本の杜会運動を,“ 統一戦線運動の時代’’ という視角からとらえることが可能であると考える。そこで本稿では,統一戦線運動がなにを課題とし,どのようた組織化を追求し,次の歴史段階になにを遺産として残したかを,戦後史の情勢の変化・発展と対応させながら,いくつかの時期に区分してスケッチしてみたい。あらかじめ目次をかかげれぱ,,
(1)民主人民戦線運動
(2)民主主義擁護同盟
(3)60年安保閾争
(4)地域的統一戦線と革新自治体
(5)全国革新懇運動
(6)非核の政府を求める会 』
塩田が紹介する右記の六項目の内 1、5、6は主に共産党が中心になっている。2は社会党である。私は3と4に関心がある。とくに六〇年安保闘争は、日本史における抵抗運動として、歴史に残る重大な闘争であった。
現代、日本社会は、東日本大震災が明らかにした地震列島に張り巡らされた原子力発電所の異常きわまりない人間と自然に及ぼす壊滅的危機にさらされている。同時に、世界史的に意義をもつ非戦不戦の憲法を、自民党政権とそれを支持する亜流政党とによって、明文改憲・解釈改憲の総体によって改憲する現実的策謀に追い込まれている。
それらの危機を国民の側が意識していると同様に、この国の支配層は民衆がその危機を解決することを可能な限りの策略や陰謀で阻止しようとしている。革新統一戦線による太平 洋メガロポリスが燎原の火のように広がって、自治体から革新統一戦線政府へと国政の変革に及ぼうとするその瞬間に、日本の支配層は徹底的に日本共産党のウイークポイントを叩くとともに、社会党に公明党が政党合意を結び、社会党は共産党とは政治共闘を組まないようにさせた。東京都で参院選選挙区で見事当選した山本太郎に、テレビ放送局は政府批判の発言になると突然コマーシャルに切り替えるなど唖然とするような抑圧を行ったが、スキャンダル週刊誌は一斉に山本太郎の家庭スキャンダルや男女問題などあることないことを取り上げた。週刊新潮、週刊文春、週刊ポスト、週刊現代、アサヒ芸能、週刊大衆、フラッシュ、フライディ・・・・これらを皆体制側とは言わないし、内容によっては、反権 力支配層の記事も掲載している。山本太郎の発言を保障した上での批判やスキャンダル記事ならまだしも、彼が真剣に主張している正論を黙殺してしかもプライバシースキャンダルではやしたてる、これこそ子どもたちのいじめの構図そのものである。
いま自民党、連立を組む公明党、維新の会、みんなの党、地方自治体選挙ではほとんど自公と組む民主党などは体制側政党である。日本共産党、社民党、新社会党、生活の党、新党大地、社会大衆党、生活クラブ生協政治団体など体制批判の側に立つ野党も多い。なによりも衆院選でも参院選でもほぼ半分から40%は棄権層である。政党が大政翼賛会化するなら、大衆団体や市民団体、棄権層に働きかけて、発掘し、「まつり」のような国民参加の選挙運動、 政治運動があってもよいだろう。
参院選東京地方区の日本共産党吉良よし子は、首都圏脱原発再稼働反対行動に、笠井亮衆院議員らも伴って参加し続けた。大震災で東京から沖縄へ移住した三宅洋平は、音楽家てほあるが、音楽活動とともにスピーチし、緑の党比例区から参院選に出馬した。若者達は彼の真剣なスピーチに耳を傾けた。緑の党総体の得票が少なかったので、当選にはならなかったか゛、得票そのものは自民党の下位当選者たちよりもはるかに多く十五万票近く獲得した。新たな統一戦線運動は、このような草の根からわき出てきた民衆を視野にいれる必要がある。
革新統一戦線は社会党と共産党が主になって結成した。いまは中曽根政権の謀略的政治支配によって、国労など公労協は完 全に弱体化し、社会党の多くは民主党に移り、社会民主党はなかなか健闘しているが、国民の支持を集められず、二〇一二年総選挙では社共ともに惨敗。参院選で共産党が躍進したのに、社民党は二議席確保にとどまった。
元京都市長選候補者で京都府立大学総長だった広原盛明や神戸の元教師佐藤三郎らの「護憲円卓会議」は、護憲勢力の活性化を心がけて健闘している。私は、日本共産党はまず日本共産党として結束し発展すればよいと考えるようになった。革新統一戦線の時は社会党と共産党がほぼ互角か共産党が議席では劣る議席数だった。いま社会党にあたる勢力が、社民党、新社会党、緑の党、みどりの風、社会大衆党などの「護憲リベラル」結集勢力と思う。一党にまとまらなくとも、イタリ ア版オリーブの木形式でもよい。「護憲リベラル」として、結集すること。その上で日本共産党と提携したらどうか。その提携に一緒に戦える保守政党人なども結集していく。
政党政治がいまの日本の議会制民主主義の根幹だが、「議会制独裁主義」が広がっているいま、国民的規模での統一戦線を三つの段階を考えて構築したらどうだろうか。