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「現状分析と対抗戦略」討論欄

「地の群れ」から「草の根」へ

2013/10/20 櫻井智志

 台風が多い今年。伊豆大島を襲った大型の台風は、土石流となって住宅街を激甚な速度で襲い、その死者被害者は通常の台風の概念を超えた被害となった。台風が去った後に、現地の住民には警戒警報が伝えられていないこと。伊豆大島には、東京都から警報を「伝えたらしい」が、それが「確実に伝わった」かを確認する作業を怠ったため、実際には現地に十分なニュアンスで確実には伝わっていないこともわかった。

 国会で2020年に東京都にオリンピックを誘致することに、ただひとりの議員を除いては、全会一致で賛成可決された。ただひとりの反対者は、今年の参院選から東京選挙区で脱原発一点を掲げて当選した山本太郎氏である。私はそのニュースを知った時、不思議な感慨を覚えた。思い起こしてみれば、戦前憲法復古主義からナショナリズムを高め士気を鼓舞しようと、前都知事石原慎太郎氏がオリンピックを誘致し実際の行動に出ながらも、都民の支持率が他都市に比べて極めて低いことから2016年オリンピックの誘致に結果としては失敗したのが発端である。副知事だった猪瀬直樹氏が、石原氏の後継指名を受けて都知事選に立候補し、予想外の高得票で当選したことで、猪瀬氏はオリンピック一 途に走り出した。トルコ・イスタンブールを誹謗する発言で、世界の顰蹙をかったのも記憶に新しい。

 IOC総会で、誘致スタッフの見事なパフォーマンスと安倍首相の「福島原発は絶対に安全で太平洋に漏水している汚染水は完全にストップされている」というほとんど愕然とするような事実と反する発言で強引に強行突破し、会場の海外記者からも疑問の発言が出たが、押し切ったかたちとなった。
 東京都の東京湾を中心とする近距離内にすべての会場と宿舎などをつくるという構想だが、そのために幕張海浜公園の自然植生を壊し、ボートレース関係の競技場をつくったり、代々木陸上競技場を大々的に改修し、その陣容はあまりに巨大で事後にはほとんど使うことのないほどの巨大規模である。
 そういった東京都の植生、自然、住民感情、住宅事情、都市問題などをひっくるめて、全てを五輪一色で染め上げる。この誘致で安倍総理の支持率は跳ね上がったという。
 私はスポーツは好きだし、1964年の東京オリンピックでは中学一年だった。最終日の男子マラソンでは「エチオピアの超人」と言われたアベベの快走と日本の円谷・君原・寺沢トリオの走る場面をどうしても見たくて、一日登校をさぼったほどである。
 では今回、2020年の東京オリンピック開催にはどう考えているか。「2020年」に反対である。IOC総会後に、福島原発の漏水につぐ漏水や強い圧力のもとでの現地労働者は、休む場所もなく毎日人体に危ない放射能被曝限度を超える労働環境下で、疲れ切った心 身で「単純ミスは今の労働環境のなかで起きている。政府からの圧力がこれ以上強まると、取り返しのつかない大事故につながりかねない状態にいる」という。
民主党野田政権は、2012年12月前後に、福島原発収束宣言を出した。自民党安倍政権は、「福島原発の事実と違う風評による被害が現場を混乱させている、放射能はどこも基準値を大幅に下回って安全なのに、風評被害が福島県民を苦しめている」と言説を重ねて、福島県相馬市漁港を訪れ、魚介類のさしみを食べて「おいしい」とテレビカメラの前で話した。安倍総理に聞きたい。福島原発事故後に漏水や放射能値など少しでも問題点を事実を発言することは風評なのか。それらの発言が「風評被害」なのか。時が過ぎ去ってしまえば、放射 能値が減少するものもあろうが、取り返しのつかない原爆症などで苦しむ広島・長崎・スリーマイル島・チェルノブイリなどの放射能による後遺症は、風評被害のせいなのか?
 これらの脈絡から、私は今までなかば支持しなかば懸念も感じていた山本太郎氏の行動に感動を覚えた。オリンピックは見る者も競技する者にとっても、たくさんの感動と連帯感とスポーツのもつ人間の努力と共同性と限界への挑戦する姿に胸をうつ。それは1964年東京五輪を経験した私もそうだ、しかし、なぜ2020年なのか?福島原発に政府と東電と日本国家の総力を傾けて、原発処理と東日本大震災被災地の対策をかなり完全にチャレンジすることがまず第一だろう。国外のジャーナリズムさえそのことを指摘してくれている。それらのことを、日本の国会では、山本太郎氏と彼に共鳴する青年を筆頭に明確に意思表示する政治家はいないのか。
 東京オリンピックにフイーバーしている内に、今回の大型台風の連続に、足元の東京都下でかなりの死傷者、被害者が出ている。もっと普通の自然体の政治で当たり前の暮らしを国民に保障するのが政治、なかでも国政の役割だろう。国政のトップが、なぜIOC総会まで外交先から出向いて、フィーバーしているのか。近代オリンピックは、都市が開催主催であって、国家は援助の側である。日本という国は、国政のトップと開催要望地のトップが二人もそろって、浮かれている場合ではあるまい。世界中が、原子力発電所事故とその被害を、日本国民以上によく知り心配しているのだ。
 安倍首相や猪瀬知事らは、「福島原発の影響は東京都まで及ばないから安全です」と公的に発言している。この発言はよく吟味すると、(たとえ福島はどうなろうと東京が安全安心ならば、後はあまりかまわないのだ。)という内言をあからさまに透かしてしまっている。東京都でも、冒頭に述べた伊豆の大島は含まれていないようである。いったい彼らは東京のどこを重要と考えているのか。少なくとも東京偏重主義は、明確であろう。
 私は学生時代に小田急沿線に下宿し、『日本の貧困地帯』上・下を目にして購入した。その中に「川崎」が貧困地帯として上げられている。その堀江正規氏という経済学者が執筆したのは、少し前の頃だった。その本を読んだ当時北部は山間部や農地を巨大資本が宅地開発して、住宅地帯として私鉄沿線が東西に何本も伸びて、沿線は宅地化されていた。その後革新統一市政が誕生し、福祉・保育・教育・公害・生活保護などに対する住民自治の施策は次々に実現していった。「住むのなら川崎」「子育てするなら川崎」と人々に伝わっていった。しかし、今から十二年前から川崎は、新自由主義政策に転換した。保育・福祉・住民自治は相次いで後退していった。長崎が生んだ小説家井上光晴の作品『地の群 れ』を想い出す。
 伊豆大島も東京都も川崎も福島も、どこもが「地の群れ」が形容した生存競争弱肉強食の土地になってはいけない。そのためには、とんでもない政治を進める安倍政権とその亜流の地方自治体をそのまま何もしないで、指をくわえたままで変わるはずがない。
 アメリカの政界が激震して、主体性のうすい日本外交はますますぐらぐらしている。偏狭な排外主義は必ず世界と友好関係を築けない。私たちが自ら実行できる手の届く範囲から改良していこう。「地の群れ」から「草の根」が育ち、「一粒の麦」が育つように、この国と世界の中期的展望と短期的課題とを見据えて、私たちは失望せず、着々と育ちつつある若い世代と提携しつつ、私たち個々が土に帰るまで、できることをできる範囲でも着実に 取り組んでいこう。