宇都宮健児氏を支持する意見も批判する意見も、両方ともいまひとつすっきりとしない。それが何なのかをずうっと考えている。
私が高校・大学生の頃に、美濃部亮吉氏が大内兵衛氏を黒幕として、社会党と共産党と市民団体とが統一協定を結び「明るい革新都政をつくる会」を結成した。そして大学経済学部教授の経験のある美濃部氏が立候補して、画期的な革新都政を実現した。やはり都知事選を考えるときに、ここが原点となるだろう。
あれから時代も世情も変わった。
宇都宮健児氏の選挙陣営にいれば、宇都宮氏の政策や行動のすべてに共感し納得させられることが多い。無償で選挙活動を支え続けた市民の尽力は画期的である。それを吸収しつづけた宇都宮氏を支持することはきわめて自然なことだろう。
細川護煕氏と彼を支えた小泉純一郎氏。脱原発を政策と掲げた二人は、首長選挙というよりは、国会議員選挙に立候補する雰囲気がある。宇都宮氏の脱原発と細川氏の脱原発とでは、政策としての位置づけも価値観も異なっていた。保守政権を担ってきた首相が、在任当時に推進ないしは認可し続けてきた原発政策が、とんでもない実体であることに気付いた細川氏の念慮は、転回的なものがあっただろう。日本国民を滅亡の淵に追いやってはならない。その決心が都知事選立候補へと連なっている。よく国民から出る批判に、細川氏や小泉氏の過去の総理在任中のあきらかに国民無視の政策の酷さを告発する厳しさが秘められている。国民がその当時に我慢していた批判が鬱積して吹き出すことを、細川陣 営は過小評価していたのかも知れない。さらに細川・小泉在任中にも、同時代に的確な批判を行い続けてきた日本共産党などの政党や市民運動からも、とても反原発一本化できる相手ではないとの思いが感じられた。
同時に、細川氏を徹底的に批判したのは、安倍自公与党だった。安倍政権は、選挙期間中にNHKなどのテレビで反原発の報道を徹底して押さえ込んだ。安倍首相は、祖父岸信介父親安倍晋太郎といった血統を継いだとは言っても、自民党派閥にあっては、小泉氏よりも弟分というか下位に位置していた。小泉氏が反原発を主張しはじめて、政権を継続できぬかも知れぬという危機感に駆られた。細川都知事で小泉氏が参謀では、安倍晋三は首相を交代させられる現実性があった。結果を見ると、なんのこはない、細川氏は宇都宮氏よりも低く三位じゃないか、という声が多かった。あの投票結果は、安倍自公政権が徹底的に報道のコントロールや組織総動員したことの結果の数字である。46%という投票 率で都民をけなすひともいるが、あの大雪のなかでお年寄りや障がいをもったかたが投票所まで行くことを考慮したら、その中の46%は決して都民以外が考えるよりは低くはない。同日に埼玉県の都市で市長選もあったが、そちらは20%台であったと後で知った。
宇都宮健児陣営は、あきらかに一回目の出馬と異なった。一期目に中途挫折感があったであろう宇都宮氏は、積極的に選挙に取り組んだ。大雪の日の街頭フィナーレも、他の候補者が屋内で済ませたのと異なり、吹雪が顔に吹き付けても毅然とした風貌には視聴者を感動させるものがあった。さらに在日の辛淑玉さんが宇都宮氏との出会いと感銘とを受けて応援した演説は、宇都宮氏に強く支持を集めた。緑の党の若手三宅洋平さんが日本共産党の吉良よし子さんや無所属の山本太郎さんと一緒に参院選を東京で闘い、宇都宮さんを支持したことも、広く若者たちに広がっていった。ヒップホップ音楽のメッカで最終日の八時以降十二時直前まで政治に無関心な層との交流もよかった。
さらに、宇都宮氏 は「東京レボリューション東京デモクラシイ」と名付けた。選挙後に総括文書を広く提案し意見を求めて、さらに市民集会を大規模な会場でおこない、都知事選後も盛り上がりを民主主義運動として続ける意向を明確にした。
こういった一連の概観を見てくると、宇都宮氏の選挙戦はまっとうなものであったと思うし、選挙後の総括のしかたも日本共産党がかなりあいまいな印象的観念的なケースを批判されるのとは様相が異なる。宇都宮健児はなにかするのじゃないか?という期待を感じさせる。現実に京都府にとび四月六日の京都府知事選の候補者尾崎望氏を激励している。
だが、反原発運動の側面から見ると、都知事選はどうであったろうか。
日本共産党や宇都宮健児氏らの側では、細川護煕氏出馬と反原発運動の発展との関連において、どのような把握をされたであろうか。
事実の経過として、福島原発が起きてから、すぐに官邸前に立ち再稼働反対要請行動に出た市民運動の数十人の皆さんがいらっしゃった。その年と次の年の内に代々木公園と明治公園で数万人の反原発集会を開いた。こちらは中心にいた有名人はさらに広がっていき、大江健三郎、鎌田慧、落合惠子、澤地久枝、佐高信、本多勝一、宇都宮健児、瀬戸内寂聴などの諸氏である。さらに河合弘之、海渡雄一氏らの弁護士が事務局をつとめた。
ここで読者の皆さんに考えてほしい。まだ世間では混乱が続いている時に反原発運動をリードした鎌田氏、澤地氏、瀬戸内氏、河合氏らが、反原発候補一本化が実現しないとわかった段階で、なぜ細川氏支援に回ったのかを。彼らの認識は、原発事故が起きてまもなく立ち上がるほどものごとが見えている人々である。河合弁護士は『世界』2014年4月号で「対談 河合弘之×海渡雄一 都知事選後の脱原発運動をめぐって」で語っている。細川陣営に入っても、選対事務局にはほとんど立ち入れなかったことを。そして、河合氏も海渡氏も、それぞれふたたび反原発運動に一緒に取り組んでいる。
実際の気持ちはつらいこともあったろうに、運動の再統一に難なく取り組んだ河合氏と海渡氏の姿は、日本の民衆運動が「統一体質」「分裂体質」(故人・作家思想家出版人・小宮山量平氏の著作中の言葉)のどちらになりやすいかを改めて考えさせられる。革命と前衛の伝統をもつ日本共産党は、どちらかといえば、「分裂体質」と小宮山氏が表現した側面があった。軍国主義体制を着々と進める安倍首相に対して、かなりの相違はあっても共闘して自公推薦の桝添候補と闘うことはではきなかったろうか。二人がそれぞれ立候補するのは当たり前で、一本化を無理強いすることはない。そうではなくて、「反原発政策」について細川氏と宇都宮氏が対話するくらいのこともできなかったろうか。細川氏は 一度権力を上り詰めて、宇都宮氏のように柔軟な姿勢をとれない欠陥をもっている。細川氏待ちでなく、宇都宮氏の側から、反原発を対話することもできないくらいお互いが交流できずに、安倍=桝添体制を打破などできるわけがない。
雑誌『創』四月号で雨宮処凛さんが連載『ドキュメント雨宮☆革命』で「いろいろありすぎた都知事選」を執筆している。
そしてもうひとつ強調したいのは、「多様な意見」を認め合い、自分と違う考え方の人を安易にディスったり排除したりしない、ということは、「民主主義の基本であるということだ。(中略)「競争に勝たないと生き抜けない」「成長か、それとも死か」を突きつけ、自殺者を生み出し、人を過労死に追い込み、脱落したり人を貧困にたたき落とすような新自由主義批判をしているのに、「勝ち負け」や「競争」に過剰に熱くなるなんて本末転倒というのか、どうも性に合わないのだ。ということで、やっと終わった都知事選。投票前日から一週間後には、「脱原発DEMO」も開催され、駆けつけた。今、「敵」はさらに強大になって私たちの前に立ちはだかっている。やっぱ゛、仲間割れし てる場合じゃないようである。
この雨宮さんの言葉に、日本に新たに芽生えた反原発市民運動が、「統一体質」に根ざすことが私には感じられる。そうして、細川護煕氏の出馬にエールを送った鎌田慧氏や澤地久枝さんたちは、政治における統一体質の問題を見抜いていたから、保革問わずに「原発」の人類生存の危機の前の危機感をバネとしてできることがあるんじゃないかと期待したのだろう。その期待が幻想であったか、権力によってつぶされた期待だったか、その把握まで一本に統制する必要はない。
最後に。私は日本共産党が推薦する尾崎望さんが立候補している京都府知事選に関心をひかれている。都知事選の結果をぐずぐすこねくりまわしている内に、あと二週間もきりそうな京都府知事選は終わっちゃうよぉ!!もしも民主府政を奪還できるとしたら、今回はそうとうなチャンスである。