外務省高官が朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の政府高官とモンゴルで実務折衝を重ねた。拉致被害者の調査について、進捗の気配を見せた。マスコミはトップニースで伝えた。集団的自衛権のゴリ押しで国民の支持率が大幅に落下した安倍自公政権にとって、「結果として」拉致折衝は、安倍晋三政権の支持率上昇に一定の効果が見られる。
横田夫妻をはじめ、拉致被害者の親族の長年のご心痛を思うと、実効的な拉致からの解放は切実な当然の願望であり当然の要求である。
しかし、最初に朝鮮民主主義人民共和国から拉致された人々が解放された時に、北朝鮮政府と日本政府の間では、日本に帰国した後に一定の期間を終えて、北朝鮮に戻ることが両政府間の公式の約束となっていたにもかかわらず、日本政府はそれを反故にして、北朝鮮政府高官を激昂させた。日本政府は外交約束を守らない、というこの事実については、日本マスコミはほとんど世間に報道をしていない。
今回の拉致問題についても、北朝鮮と日本は、それ以外のアメリカ、韓国、中国、ロシアなど諸外国の出方も見据えた駆け引きを行いながら、この問題を展開していくことだろう。
前回の拉致の実現は小泉純一郎首相当時で、安部晋三氏も政府の一員として拉致交渉に同行している。それだけに安倍晋三に対して拉致家族の支持は高いものと思える。だが安倍は、政治的マキャベリズムに北朝鮮拉致問題を利用しているのであり、原発、憲法、集団的自衛権、TPPなどすべての政治的課題に政治的信念も理念もうかがえない。福島原発からなんら事故が収束どころか、排水は流出し続け、爆発した原発炉の燃料棒や原子炉の実態などなんら解決はしていないまま、適当に福島県に入っては、県民の気持ちを静めるようなパフォーマンスはおこなって、「風評被害を防止して正確な情報を伝える」と再三再四発言している。原発事故当時の吉田昌郎所長の事故当時の詳細な調書ひとつをと っても、「本人が望んでいないから公表できない」として調書は闇に葬られようとしている。原発事故の放射能被曝を原因として疑われるがんによる死亡さえ、原発被曝はなんら関係ない、と断言している政府の言うことなど「なんら」信頼できない。そのことが日本以外のすべての諸外国に知れ渡っていて、安倍晋三の国際的存在感は極めて低い。日本のマスコミは、国民懐柔の重要な手段として、国民にマスコミ情報を流している。小泉純一郎当時、世耕弘成参院議員が黒幕として世論操作の宣伝戦略を行ったことを、憲法九条の会事務局長を務めている東大教授小森陽一氏は、『心脳コントロール社会』(2006年ちくま新書)で詳細に分析している。安倍内閣でも世耕議員は情報担当の要職を務めているが 、きょう2014年5月31日のテレビニュースを見ていて偶然、外国との交渉で出かけた安倍総理のすぐ左隣に氏が着席している。世耕議員は、国会でも大臣答弁などでメモを渡す黒子のひとりとしてNHK国会中継の画面で映った。
外交で北朝鮮は福田康夫総理を信頼していた。福田総理が辞任させられた時に、北朝鮮も交渉を打ち切った。政界の権力構造の中で、自民党にも様々な権力のせめぎ合いがある。政治的理念を確固として堅持している自民党幹部とそうではない自民党幹部とがいる。
安倍晋三氏の父親安倍晋太郎氏はがんのために外相を経験して総理にはならなかったけれど、実直な一面も感じられた。岸信介氏を祖父として仰ぎ、岸信介氏に先祖返りしたい安倍晋三だが、岸信介は、外務省国際情報局長などを歴任した孫崎享氏の『戦後史の正体』(2012年8月初版・創元社)『アメリカに潰された政治家たち』(2012年9月初版・小学館)で岸信介の別の視点が提起されている。私は岸信介を孫崎氏のようには思っていないけれども、しかし岸信介が多面的な視点を持たれるような政治家であることに比べて、安倍晋三が多面的な視点から評価されることは、まずあるまいと考えている。
安倍晋三が第一期総理になる前から、NHKに対して極めて横暴な圧力をかけた政治観は、第二期総理の現在も全く変わらない。
日本的世間は、支配者になった者が専制的ならば、庶民に至るまで媚びとへつらい、弾圧と懐柔のみの社会的体質に染まっていく。支配者の方針に疑義をさしはさむものは、取り巻きに近い体質をもつ官僚や小役人たちによって、支配者以上の残酷で容赦ない弾圧を受けていく。これは戦前の昭和前期に実際にあったことだ。
戦前に軍国主義をまじかに見た五味川純平は、小説『人間の条件』で若き技術者梶に形象化した。さらに進んでいく日本社会の反動化を目の当たりにした五味川純平は、大河小説『戦争と人間』で再び日本社会を形象化した。その頃の現実の五味川純平は、愛妻を喪ったことだけでなく、日本社会の現状に絶望的な言葉を読書系の新聞で吐露している。1970年前後のことである。
五味川は、『戦争と人間』で戦場に刈り取られていく兄が中学生の弟にしみじみと語る場面がある。
「いいか、ひとも思想も絶対に信ずるな、自分が絶対にこれだけはどこまでも信頼して後悔しないと思えるような人物や思想と出会うまでは、全てのひとも思想も疑え。」
映画でも小説でも、この場面で揺すぶられる思いに駆られた私は、その出会いから40年を過ぎた現在も、まさにそのとおりだとつくづく思う。
拉致問題が進捗することを望むとともに、楽観せずに安倍政権と北朝鮮の首脳部と諸外国の国際政治動静とを事実をしっかりと認識したいと考えている。