投稿する トップページ ヘルプ

「日の丸・君が代」討論欄

「日の丸・君が代」問題をめぐる共産党の呼びかけについて

S・T(『さざ波通信』編集部)

 国旗・国歌の法制化を積極的に容認する共産党の新見解をきっかけに、政府・自民党の側から急速に「日の丸・君が代」の法制化の動きが強まったことは、すでに『さざ波通信』号外で明らかにした。指導部のこうした明らかな政治的失策に対する党内外からの厳しい批判にさらされて、党指導部は、何らかの対応をせざるをえなくなった。それが、3月17日に不破委員長が記者会見して発表した、「日の丸・君が代問題に関する国民的討論の呼びかけ」である。
 このときの不破委員長の記者会見、および、翌日の赤旗に2面ぶち抜きで発表された「号外」を見るかぎりでは、国旗・国歌を法制化するべきだという議論は多少なりとも後景にしりぞき、「日の丸・君が代の法制化反対」と「押しつけ反対」がより前面に出る構成になっている(不破委員長の甘い見通しに反して、自民党が「日の丸・君が代」の法制化に乗り出したのだから、当然といえば当然であるが)。
 たとえば、『論座』のアンケートに対する回答や『しんぶん赤旗』での解説においては、国旗・国歌を法制化することが「世界の常識」と言われていたのが、国旗・国歌を教育現場などに押しつけないのが「世界の常識」というふうに言いかえられており、「法制化=世界の常識」論はいつのまにか姿を消している。
 また、自民党が国民的討論抜きに「日の丸・君が代」の法制化に乗り出したことを「事態をもっと悪くする最悪の暴挙」だと極めて強い言葉で批判している。
 このような強調点の変化は明らかに、この間の党内外の批判を配慮したものであろう。しかしながら、これはあくまでも「強調点の変化」にすぎず、今回の事態を招いたことに対する「政治責任」あるいは「結果責任」を認める言葉は一つもないし、また、国旗・国歌の法制化を進めるという根本的に誤った立場は今回の場合もやはり無批判に繰り返されている。たとえば、会見の中で、不破氏は次のように述べている。

 「一つは、国旗・国歌をどうするかについて国民的な討論をおこない、国民の合意をふまえてこれをきちんと決める。きちんと決めるというのが『法制化』です」。

 あるいはまた、号外でも次のように言われている。

 「私たちは、国旗・国歌はだいじな問題だから、問答無用の押しつけではなく、国民みんなで議論をつくし、そのうえで国としてきちんときめること(法制化)を提唱しています」。

 このように、国旗・国歌の法制化論はそのまま維持されている。
 それどころか、朝日ニュースターでのインタビューにおいて、不破委員長は、次のような発言をしている。

 「この討論をじっくりやっていったら、かならず、ああこれならと、みんなが思えるような歌が、それからまた旗が、そういうなかから、でてくると思いますね」。

 この議論では、「国民的討論」の結果として、何らかの特定のマークや歌を国旗・国歌として法制化するのはやめようという結論になる可能性が、最初から排除されている。今回の号外の中に紹介されているブルジョア新聞の社説の中にすら、「法制化を前提にしない議論」が主張されているというのに。また、この間の新聞の投書――不破委員長も得意げに引用しているが――の中にも、法制化しないという選択肢を主張しているものもすでにいくつか存在している。あるいはまた、社会民主党は、「日の丸・君が代」を容認しつつも、法制化という決着の仕方には今も反対している。不破委員長は「国民的討論」をあれほど金科玉条にしながら、法制化以外の結論をはなから排除しているのである。
 しかも、本格的に帝国主義化しつつあるこの日本において、国民みんなが「ああこれなら」と思えるような「旗」や「歌」とはいったい何か。そんなものはありえないし、ありえたとしたら、それこそおぞましい!
 このインタビューを見るかぎり、不破委員長には反省のかけらもなく、それどころか、国民的議論をする機会が生まれたからよかったと言わんばかりに開き直りさえしている。たとえばインタビュアーが正当にも、共産党の新見解が今回の法制化の動きを作り出すきっかけになったんではないかと質問したことに対し、不破氏は以下のように答えている。

 「ただね、私たちは、これは、国民的討論のレールに切り替えないと、もう既成事実で問答無用でのおしつけがじわじわすすめられて、(それにたいする)一人ひとりの良心的抵抗の問題のようになってしまうんですね。ですから、もっと大きい舞台でおおいに国民的に議論しあえる明るい問題にしないと(笑い)いけないと思って、このことを提唱したんですけれども、だいたいそういう機運になってきたんじゃないですか」。

 「明るい問題」とはよくぞ言ったものだ。しかも、「笑い」つきである。彼には、日の丸・君が代のもと侵略され、虐殺され、強姦され、土地も財産も奪われた数千万のアジア民衆のことなどまったくどうでもいいのだろう。だからこそ、今回のような事態になっても笑っていられるし、「明るい問題」などという信じられないようなとんちんかんなセリフが出てくるのだ。
 さらに朝日ニュースターのインタビュアーは、今回のような指導部の独走に対して、「党内的にはどうなんですか」と質問しているが、それに対しても不破委員長は、あたかも党内に批判の声などまるでないかのように、質問と無関係な話を延々としている。
 インタビュアーがさらに食い下がって、都道府県委員長会議に関し「原則維持派っていうか、そんなにふみだしてなんだっていう声もあるでしょう」と質問をしているが、それに対しても不破委員長は「いやそうはないですね」と一蹴している。本当に都道府県委員長会議においてただの一つも批判の声が上がらなかったとすれば、それは実に深刻な問題であるが、不破委員長は当然と言わんばかりである。
 共産党は、この問題に関し、しつこいほど国民的議論、国民的討論が必要だと繰り返している。そして、国民的討論抜きに問答無用で国民に日の丸・君が代を押しつけている政府自民党を口を極めて批判している。だが、ちょっと待て。国民的議論をこれほどまでに重視する共産党指導部は、今回の新見解を出すにあたって、ただの一度でも全党討論を組織したのか。いやそもそも、ブルジョア・マスコミに対して新見解を出す前に、その内容をわれわれ党員に公表したことがあるのか。ただの一度もない。都道府県委員長会議はたしかに、新見解を出して一ヶ月もしてから召集された。しかし、一部の高級官僚を集めた場所での討論が「国民的討論」におよそ遠いのは、誰の目にも明らかである。いったい共産党指導部、とりわけ不破委員長に、自民党の「押しつけ」を批判する資格があるのか。
 指導部は今回、4600万の全世帯に今回の号外を配布するという方針を打ち出した。いったい誰が配るのか。不破か? 志位か? 穀田か? いや、違う。われわれ末端の党員である。われわれが配るのである。彼らは平然と、選挙中でたいへんだが文字通りの全戸配布をやりきると豪語している。休む間も惜しんでその任務を果たすのは、われわれ末端党員である。ただの一度も、今回の新見解について相談されず、ただの一度も討論を呼びかけられず、ただの一度も発言する機会を与えられなかった、われわれ末端党員である。何と党員を愚弄した話だろうか! 一度も討論を呼びかけられなかった党員が、国民に討論を呼びかけるビラを配布するのだ。
 不破委員長、あなたは、われわれ末端党員のことをいったいどう思っているのか。「お前らは、党の方針や見解について口出しせず、ただ黙々とビラを配布していればいい」とでも言うつもりか? 
 われわれは、国民的討論の前に党内討論を呼びかける。だが、「日の丸・君が代」が法制化されようとしているときに、そんな悠長なことはしてられないではないか、と善意の党員は言うかもしれない。もちろん、われわれは、政府自民党の動きに手をこまねいたまま党内討論にふけるべきだと言うつもりはない。この場合に必要なのは、一致点における闘争である。
 国旗・国歌をそもそも法律で決めるべきかどうかに関しては、いかなる党内の討論もされていないし、したがっていかなる党内の合意もない。したがって、国旗・国歌の法制化を前提にした「日の丸・君が代」反対運動を党全体に「押しつける」べきではない。しかし、「日の丸・君が代」の法制化に反対するという点では、これまでの立場の延長であるから、その面に関しては完全な一致点がある。したがって、国旗・国歌の法制化は是か非かを含めた党内討論を組織しつつ、日の丸・君が代の法制化に反対する運動は組織できるし、組織するべきである。われわれは、国旗・国歌の法制化そのものに反対だという立場を党内においても、党外においても表明するが、それを全党に押しつけはしない。われわれは党内討論を通じて、自分たちの意見が多数になるための努力をするし、指導部は指導部で国旗・国歌の法制化を容認する立場を党内討論で主張すればよい。これが党内民主主義である。共産党指導部は、政府自民党に対してしている要求を、まずもって自分たちに当てはめるべきである。