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「日の丸・君が代」討論欄

『週刊金曜日』のある投稿について

1999/3/30 編集部S・T

 3月26日付『週刊金曜日』の投書欄に、「国旗も国歌もいらない!!」という投稿が掲載されている。筆者は横浜在住の51歳の大学教員で「匿名希望」となっている。
   「国旗・国歌の法制化をめぐって国民的に議論をつくさなければならないというが、はたして議論をつくしたからといって国民の大多数が納得できる国旗・国歌などというものが生まれるであろうか」と切りだし、ついで、「そもそも国旗や国歌がなぜ必要なのか、そこがよくわからない」と問題提起し、「国旗を振りかざし国歌を打ち鳴らすのは、おおかたは国威発揚に意図がある。これはナショナリズムそのものであり、そんなものはそろそろ過去のものにしてよいのではないだろうか。その点で、憲法第九条にうたっている戦争放棄の精神こそは、崇高な先進性があり、このような憲法を持つことは誇りである。ナショナリズムを抑制し武力を放棄するに、もっとも見合っているのが国旗・国歌を持たない国ではなかろうか」と結論づけている。
 引用しなかった部分には、オリンピックに対しいささか無批判な部分もあるが(ちなみに、オリンピックで掲揚されるのは国旗ではなく「選手団の旗」であり、流されるのも国歌ではなく「選手団の歌」である。オリンピック委員会の規定にそうなっている。ほとんどの選手団が国旗・国歌をその代用に使っているにすぎない)、基本的趣旨にわれわれは完全に同意する。
 しかし、奇妙なのは、筆者が「匿名希望」になっていることである。『週刊金曜日』は特別の事情がないかぎり「匿名希望」を認めていない。民間企業の労働者が自分の企業の内情を告発する場合や、現場の教師が自分の学校のことを取り上げるような場合など、ごく例外的な事例しかこれまで認められていない。この投書は、一般的な政治問題を扱っており、それ自体としてとくに自分の本名を隠さなければならないようなものではない。大学教員というのは最も安定した職業の一つであり、その政治的主張が原因で解雇になることは皆無といっていい。なぜ「匿名希望」にしたのだろうか?
 唯一考えられる理由は、この投書が、名指ししていないとはいえ、共産党の最近の見解に真っ向から反するものであり、筆者が党員であるため、そうした事情を考慮したからではないか、ということである。共産党の新見解は何の党内議論も党内決定も経たものではないから、本名で共産党を批判しても規約上まったく問題はないと思われるが、もしかしたら、筆者は党員学者としてそれなりに名前が通っているため、その政治的影響を配慮したのかもしれない。
 いずれにせよ、この投書は、この間の共産党指導部の目に余る右傾化に堪忍袋の緒が切れた党員研究者が勇気を出して批判の声を上げたものである可能性が高い。しかも、年齢からして典型的な団塊世代であり、この世代の知識人党員がこのような形で異論を出したのは、大いに注目すべき事実である。われわれはこのような動きを心から歓迎する。
 団塊世代の知識人党員のみなさん、そして、すべての党員のみなさん、この勇気ある発言にならって、党指導部の暴走に対し批判の声を上げよう。今、声を上げないとしたら、いつ上げるのか。勇気を出そう。本当に社会変革を志し、世の中をよくしたいと思うのなら、黙っているべきではない。

S・T(『さざ波通信』編集部)