学校教育において、学習指導要領の「日の丸・君が代」問題についての政府の方針が強化されてきたのは、とりわけ八○年代後半以降です。それから今日までの日本を特徴づけているのは、経済レベルでは巨大企業による急速な多国籍企業化でしょう。この本格的な日本の帝国主義化に対応して、政治的には大国主義的・新自由主義的政策がすすめられています。現在の政治状況を私はこのように受けとめています。
地方選をみても明らかなように、日本共産党指導部は、旧来の開発型政策に対する批判・闘争に重点を置き、新しい右傾化の動きに対しては一貫した批判的立場を確立しえていないとみえます。国旗・国歌の法制化や国民的討論という方針は、その一つの現れでしょう。ここに現在の弱点があります。
日本の帝国主義化という視点からみれば、「日の丸・君が代」は、まさしく日本の帝国主義化を支える国民的統合の手段以外の何物でもないでしょう。「日の丸・君が代」問題だけをとってみれば「入一」さんの言うとおり「天皇制問題」であり、「公教育に対する権力的支配」には違いないのですが、その現代的特徴を見極めなければなりません。
教育現場をみても、権力者でなく現場の教育者らも加わっている「新しい歴史教科書をつくる会」という新自由主義史観を広げる運動があります。これも、国民に大国主義的民族意識を植えつけるものであり、同じ流れでとらえられるのではないでしょうか。
「日の丸」は「ただのマーク」だという穀田議員の発言がこの『さざ波通信』でも取り上げられてますが、支配層にしてみれば、国民的統合の印になるならば天皇制うんぬんを抜きにして「ただのマーク」だと考えてもいいはずです。「れんだいじ」さんの言うように共産党が「史的総括」を迫り、それが行われたとしても、その結果として国民的統合の印が確立するのであれば、これまた支配層にとってはありがたいことでありましょう。「君が代」にしても、仮に反対意見が根強く、別の歌になったところで、それはそれで支配層も満足するはずです(その政治的代弁者である自民・自由にそれができるか、あるいはそれで一致するかどうかは別問題)。
「げじげじ」さんは、「従来のような方針を繰り返しているだけでは何の進歩もない」と言われていますが、支配層自身が従来とは異なる方針でくることを考慮に入れないとなりません。日本の帝国主義化に対抗する新しい軸を護憲・革新の側から打ち出しえていない現状では、法制化によって失うものはあっても得るものは何もないのではないでしょうか。
したがって、「日の丸・君が代」の法制化はもってのほか、それ以外のものであったとしても法制化論議~法制化自体が日本の帝国主義化を支える大国主義的国民統合の手段となるだけです。日本共産党は党として国旗・国歌における「きちんと決める=法制化」論を撤回すべきです。