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「日の丸・君が代」討論欄

入一さんにあらためてご返信いたします

1999/5/25 れんだいじ、40代、会社経営

 5/23付のご投稿読ませていただきました。議論を噛みあわすということは難しいもんだという思いがしています。どうしても噛みあわないなら仕方ありません。もう一度ご返信させていただきます。
 私の「日教組」に対する認識がアナクロになっているようですので改めようと思います。お願いしたいのは、皮肉った書き方ではありますが、私の文章の内容について論議していただきたいのです。私は、不破さんが「日の丸・君が代」問題での国民的論議を呼びかけたことに対して(論議の呼びかけ自体について私は反対していません。どんな課題に対してももっともっと論議すれば良いのにと思っていますから)、「日の丸・君が代」問題の論議を国民的にするのなら、学校の中だけでも他にももっともっとしていただきたい事があると考えています。例えば、校則の民主化も大事。能力別編成の是非を問うことも大事。旧勤務評定問題も大事。内申書制度の問題も大事。教師からであれ生徒からであれ校内暴力問題も大事。教頭・校長職任命の民主化も大事。最近の学校または学級崩壊と言われている事態にいかに対応すべきかの論議も大事……等々。歴史教科書問題 もあったかな。
 今社会一般でも緊急に国民的論議をせねばならないものもいっぱいあります。ガイドラインしかり。国連軍派遣問題、財政赤字、規制緩和、入管法問題、外国人雇用問題、長期在日外国人の参政権問題、リストラ、能力給制度の動き、公的資金導入の是非、消費税、国民の政党離れ……等々。書けばキリがない。何ゆえに今までこのような問題はそれとしたままで「日の丸・君が代」問題だけを突出させるのかがわからない。国民的論議を呼びかけるのが悪いということはないでしょう。同じように大事な問題ばかりなのに、なぜ今まで他のことについての国民的論議を呼びかけようとしなかったのかが釈然としない。しかも、平素より法制化にうずうずしている政権与党の動きがある現在の政治的局面において、「日の丸・君が代」問題を呼びかけることは法制化に手を貸すようなものという心配が党内外に満ち満ちているこのおりに呼びかける無神経さは尋常ではない。
 また繰り返しになりますが、現場の「全教」組合員がこの問題で消耗しているからという理由でなされたというのであればいよいよおかしい。闘争すれば消耗するのは当たり前であり、消耗しない方法を見つけるなら何もしないこと、闘わなければ良いだけのことです。問題は、なぜ今まで戦ってきたのか、その闘いを裏付ける理論なりイデオロギーにおいての根拠が大事であり、その根拠の比重の移り変わりが大事なわけです。したがって、相変わらず強い根拠があるなら消耗しようがしまいが徹底抗戦すべきではないですか。
 不破さんの今回の国民的論議の呼びかけの重大欠陥に、「日の丸・君が代」問題を一般的な国歌・国旗の必要有無についての論議へのすり替えが為されているということは度々指摘してまいりました。ここではもう述べませんが、先の世界大戦に向けて果たした「日の丸・君が代」を同じような役割に利用させないという観点からの論議に持ちこむのが戦前戦中下に闘いぬいた共産党員同士たちへの思いやりであり、現執行部の責務でもあります。こういう観点からの呼びかけでないことに私は義憤を覚えるのです。不破さんの今回の国民的論議の呼びかけのもう一つの重大欠陥は、事前に党内論議を徹底して行なうという観点が欠落していることにあります。国民に呼びかけはするけど党内論議は後回しというのはおかしいでしょぉ。最近いろいろ新説をだしたり、それを党内外向けの大衆本で発表したりしているようですが、今までそんなことをして除名された党員はいなかったかなぁ。例えば黙って手記を発表したとかの理由で……。私は、そういう動きを押さえようとは思いません。中央委員会か政治局あたりのどこが担当するのかは知りませんがもっともっと自由にしても良いと思っています(統一と団結は、論議を得た上での当面の方針についてだけで充分と私は考えていますから)。ここでも問題は、他の党員が行なえば規律違反になったり除名されるのに、なぜ不破さんはオールマイティーなのかということを問題にしたいのです。おかしくないですか。
 以上のような欠陥を持つ異常な動きに対して誰も「殿、ご乱心」の意見が出されないとしたら、誰かが鈴をつける役割を担わねばならない。今回は主に教育界のことでしたから「日教組」さんにお願いしたのです。別に「全教組」さんでも意味は変わりません。その意味するところは、他のことでも国民的論議を呼びかけて欲しい、 党内論議もやって欲しいというところにあります。このセンテンスで論議していただければ、私の意見の未熟さの質的向上がもたらされることにもなり、弁証法的ならせん的発展へと向かうものと思われます。
 最後に。私は、「君が代・日の丸」が学校内の主要行事で歌わされたり、掲揚されることに反対ではありません。主要行事とは入学式・卒業式というふうに考えています。私の個人的経験において、厳粛にすべきときには厳粛さを演出するものがあっても良いと思うからです。「君が代・日の丸」に絶対こだわるという意味ではありませんが、別に天皇信者にさせられたようにも思っていませんから。ただし、法制化するのならきちんと論議をして欲しい、国会論議で済ますほど軽い問題ではないと考えています。ドイツの戦後処理を参考にしつつ、遅まきながらかっての戦争の史的総括を10年と言わず20年かけてでも本格的に論議することが肝要と考えています。なぜ、「日の丸・君が代」問題がそのような方向に向かわないのかが不思議でなりません。だから、この問題に関して私の実際的な解決は次のようになります。公権力により強制的に歌わされたり、掲揚されることに対しては断固反対して、その前になさねばならない史的総括があるだろうと迫る拮抗関係を維持し続けて欲しいのです。そういう局面について教えた上で公正に生徒または生徒会の論議に乗せて、入学式・卒業式が運営されたらご立派。そして、他にもいっぱいある大事な問題に対して時に国民的論議を交えながら解決を見出していって欲しい。学校がそんなふうに運営され出したらステキ。