粗雑な紹介で申し訳ありません。『季刊教育法』の質問は「日の丸」「君が代」についてのもので、回答の「いずれも」は「日の丸」「君が代」を指します。したがっていわゆる「民主的国旗」「民主的国歌」については判断を留保しており、現在の見解と矛盾しないという解釈もありえます。しかし論理的には「法制化されれば『法的』強制力をともなって国民のさまざまな意向を無視して掲揚・斉唱などが国民に押しつけられる」ということは「民主的国旗」「民主的国歌」についても当てはまるでしょう。けだし、私のような国旗国歌をそもそも認めない者や、「日の丸」「君が代」を国旗国歌として肯定する者などの「国民のさまざまな意向を無視」することは同様だからです。「国民的討論」を経たとしても同じことです。
抽象的可能性としては「押し付けを弱める国旗国歌法制化」をあげつらうこともできますが、現実的には法制化されればむしろ押し付けは強まるのではないか、というのが素朴な疑問でしょう。これに対し党中央は説得力ある反論をしていません。この1985年見解はかつての共産党が「法制化は押し付けを強め、危険である」という健全な感覚を有していた、ということを示すものとして紹介した次第です。
他の時点での共産党の見解についても調べる必要があると思いますが、国旗国歌法制化問題についてはその他にまだまだ解明すべき論点が残っています。例えば、今の党中央が(出典は忘れましたが )「国旗国歌の法的位置付けが曖昧だから押し付けが行われる」ということを言っていますが、こうした「曖昧論」こそ曖昧ではないのか、押し付けの根拠となっている学習指導要領や職務命令が教師の教育的裁量や学校自治、さらには思想信条の自由や憲法の国民主権・戦争放棄の精神に照らしてどのように制限されるべきで、共産党は教育現場や裁判闘争や議会でそうした学習指導要領や職務命令の制限づけに対しどのような理論的実践的貢献ができるのかを緻密に考えるべきではないのか、また「国民的討論」についても、そんなことを経て国旗国家を法制化した国が果たしてあるのか、逆にいえば一定の既成事実の上に法制化を行うという今の自民党のやり方こそ「世界の常識」に合致しているのではないか、など暇を見つけては勉強して、また投稿したいと思います。