今回は、新日本新書として1990年に刊行された仲俣義孝著『日の丸・君が代と学校教育』(赤旗の連載が元になっている )に挙げられている資料を紹介したいと思います。1989年に「『日の丸・君が代』の掲揚、斉唱の義務づけに対しどうお考えですか」との雑誌の質問に対し共産党は次のように回答しています。
義務づけなどとんでもないことです。そもそも「日の丸」「君が代」を日本の国旗、国歌とする法的根拠は存在しませんし、そのことについて自民党政府さえ認めていることです。自民党政府が唯一根拠にしているのは、「慣習として定着している」というものですが、これも明治以来の絶対主義的天皇制権力が国民支配のため上から強制してきたものであって、国民自らの自由な意思によって形成された慣習とは言えません。しかも「君が代」の歌詞の内容は天皇と天皇制を賛美しその永続化を願望したものであって、国民主権の憲法に反します。「日の丸」は、戦前、侵略戦争の道具として利用されてきたことから、その扱いをめぐって意見が分かれています。
このように、国旗・国歌と言えないものを学校教育の場に一律に強制することは憲法違反であり、教育基本法が否定している偏向教育の押しつけにあたり断じて認めることができません。(同書143頁 )
要約すると、義務づけを拒否する根拠は法的根拠がないこと+内容・来歴の反動性です。つまり「法的根拠がない」ことは押しつける側にとっては致命的な弱点であり、片や押しつけと闘う人々にとってはそれは重要な武器ということです。この見地は1984年6月21日衆議院内閣委員会での共産党の三浦久議員の質問も同様に貫かれています。これも引用しておきます。
三浦(久 )「君が代」が国歌だということ、このことは何か法律上の根拠でもある のですか。人に歌うことを強制するというのであれば、何らかの法律上の根拠がなけ ればできないことだと思うのですよね。大臣、どうですか。(同書36頁 )
三浦議員はもちろん「法律上の根拠がない」ことをもって政府の弱点を攻めているのであって、吉野傍さんの言う「法的整合性優先論」はここには存在しません。繰り返すと、「法制化されていないこと」は押しつけと闘う人々の重要な武器なのであり、かつての共産党も当然そのことを認めていたのです。今の党中央の言う「法制化は世界の常識」という見解は――いろいろ条件をつけたとしても――その武器を自ら放棄することであり、押しつけと闘うための正当性を掘り崩すものである、ということになります。このことは強調されねばなりません。
ただ、こうした一連の見解において国旗国歌一般について、端的に言えば「民主的国旗」「民主的国歌」についての批判的検討が行なわれてこなかったことは一つの弱点だったと言わなければなりません。例えば1977年7月1日『国民の期待にこたえる教育改革への提言』では、「民主主義の日本にふさわしい国歌は、名実ともに主権在民の原則をいかした日本を国民の手でつくりあげていく歴史的事業のなかで、国民のなかからかならず生みだされるであろう。」(同書14頁 )とあります。これは「君が代」の反動性を批判した上でのいわば修辞的文句ではありますが、戦後の日本共産党にほぼ一貫して流れている「ナショナリズムに対する無邪気さ」というものの現れと言えます。
しかし、何にせよ、「日の丸」「君が代」が国旗国歌と見なされてきた既成事実の重さと昨今の大国主義的意識の顕在化を踏まえるなら、今日「日の丸」「君が代」以外の「民主的国旗」「民主的国歌」が国民の中から生まれてくると考えるのは、まったく非現実的なことです。このような「現実にはありえない抽象的可能性を持ち出して現実の判断を下す」という思考は例の『新日本共産党宣言』における「異常な状況があった場合は戦力を認める」という議論にも通ずるもので、観念的な「理論家」はえてしてそうした道に陥りやすいのですが、共産党の指導者がそうなってしまうと、重大な害悪をもたらします。
同書は他にも重要なことが書かれています。例えば国旗ないし国歌の法制化は戦後少なくとも3回試みられたということ――1961年の公式制度連絡調査会議設置、1974年の「『日の丸』『君が代』は法制化される時期にきている」との田中首相発言を受けての総理府世論調査、1985年の自民党による「祝日国旗掲揚法」制定の企て――(もちろんいずれも挫折 )が紹介されています(同書20頁および100頁以)。この事実は党中央の「自民党は法制化を嫌がっていた」論への雄弁な反論となるでしょう(この間の政治過程によって既に破綻しているとも言えますが )
国旗国歌新見解が発表されて以来私の頭の中にずっとあるのは、一日も早く党が面子を捨てて自己批判をしてほしいという思いです。昔、党員拡大対象者に「共産党は誤りを犯さないのか」と聞かれ、私は「確かに人間の集まりである以上、誤りは犯す。問題は誤りを犯したとき自己批判し修正できるかどうかだ。僕は共産党はそれができる集団だと確信するから党に入り党員を続けている」と答えました。その答えが本当に正しいのかどうかが今試されていると思っています。