どうもこのまま行くと「国旗・国歌」法案は参議院でも通過しそうだから結局法案成立ということになるのでしょうか。この間プロ野球のオールスター戦のニュースを見ていたら、選手一同を前にして若手の女性歌手が「君が代」を歌っていました。今までも行事化されていたのか今回が初めてなのかよく分かりませんが、こうして社会の隅々に一般化されていくことになるのかと思うとやり切れない気持ちになりました。大相撲の千秋楽の賜杯授与の前後のどちらかに「君が代」が歌われることは承知していますが、大相撲の場合には国技だからふさわしいのかなという受け止め方をしてまいりました。もっともちょっと考えれば、「君が代」の歴史は明治以降と新しく大相撲の歴史は古来よりのことですから、「君が代」なしに大相撲が興行されてきた時代の方がずっと長いことが判ります。しかし、いつも聞かされていると、何だか大相撲には「君が代」が似合いだなという気分になるから不思議です。恐らく、プロ野球でもサッカーでも競輪でもボートでもこれからは何でもかんでも初めと終わりには「日の丸」と「君が代」が掲揚され歌われる時代がやってくるのでしょうね。
今までは慣習でしかなかったから、右翼は自分たちだけのアイデンティティとして納めてきた。これからは一人のお調子者が出てきて法制化されているものを無視するとはけしからんと主張すれば、それも道理ということになるのでしょうね。歌わない自由があるからと言うけれど、聞かされたくない自由はどうなるのでしょう。自分は歌わなくても周りが歌えば否応なく耳に入ってくる。これを聞きたくないと言っても防ぐ手だてはない。私は、日本人の情緒性からしてお調子者が突出してくると、和気あいあいのうちになし崩しで同調していくことになる危険を感じています。戦前の軍部の歩みはそういう勇ましい者にどんどん引きずられていった歴史ではないかと思っています。そしてそのお調子者を上手に利用する国際的勢力がいたと認識しています。そういう思いからすれば、慣習で良いものをこの時期わざわざ法制化を急ぐ必要が判りません。お調子者に対するブレーキを持たないままにこの法案を通しても良いのか心配しています。
党がかってない議席増だとかいっている一方でどんどん社会のナショナリズム化が整備されつつあります。ナショナリズム自体が悪いかどうかは議論が百出しますので置いといたとして、戦前のような二の舞つまり国民総動員の道具に使われないような保障についての論議をしておかないといけないのではないかと心配しています。国際化の波が否応なく押し寄せてきていますので国家主義者の台頭は無理とも思いますが、何かにつけマスコミの袋叩きの様相とか新聞各紙の同じ論調ぶりとかを思うとき我々日本人の勤勉一途の情緒性は役に立たないのではないかと心配しています。天照らすなむなむアーメンの心境です。