もう一度、考えよう、奇怪な落とし穴。
軍国主義に対する、強烈なアイロニーをだれでもが、どこででも自由に表現を出来る間は、軍国主義が台頭しにくいし、そのアイロニーによって、ひそかに芽生えたとしてもつぶされてしまうものだ。
天皇陛下万歳という、叫びあげは、敗戦後長い間強烈な、反天皇主義のアイロニー的な旗印であった(右翼とりまき陣営はべつとして)。
したがって、酒をのむと、しくじりをやらかすと処罰てきな、恥かきペナルテイーとして「天皇陛下万歳を、大声で三唱しろ!」ということで、相場がきまっていた。
もちろん大衆の「あいつ、とうとう、おかしくなったか!」という憐憫、軽蔑、顰蹙と嘲笑をさそうことが、目的であった。
たち小便をしながら、「天皇陛下ばんざーい。」とか「天皇陛下に対して、捧げ筒!」などと、逸物を銃にみたてて液体をほとばしらせながら、大声でさけぶサラリーマンの、おやじ連を、渋谷や新宿の小便横町で、よく見たものである。
こういう人たちが、天皇などを崇拝していた、はずがない。
そういうものが消え失せ、日の丸ぐらい国旗として当然だ、君が代くらいあたりまえだという、なんの根拠ももたないものがいつのまにか、表通りを当然のごとく走り廻っている。
いま、天皇と日の丸に対するアイロニーを堂々と表現できるマスコミがあるだろうか? かつては、反骨の代名詞でありそのアイロニーによって笑いにより大衆の支持を受けていた’漫才’さえこれにまったく触れることが出来ないでいる。
のこされた道が、かろうじてギャグとアイロニーによって大衆のなかに浸透するしか、ないとするならば、大衆に、親しまれてだれでもしっている平和の象徴?パチンコ屋をとおしてだれをも引き立たせるうた、軍艦マーチを国歌として、推薦したい。君が代なんぞはまちがっても、くちにしたくない。このアイロニーこそが、たち小便をしながら”天皇に向けた捧げ筒”にほかならない。