君が代問題が騒がれていますが、いかにもせせこましい論議のように思えてなりません。国家が認められている以上国に国歌があっも不思議ではないと思います。
問題は、これまでなぜ君が代が正式に認められてこなかったのかということです。それは、君が代の文句が天皇制賛美になっていることにあります。天皇制は戦後憲法で認められていますので、理論的には君が代が国歌であってもおかしくはない。ところが、戦前の軍部独裁に至った歴史的経過と先の大戦の反省的総括がなされていない状況下での君が代の国家認定は危険であるというのがおおかたの気分であろうと思います。とすれば、共産党の任務は、唯一軍部とその戦争に抵抗した実績からして、君が代の国歌認定に先だち、この際先の戦争の史的総括を迫るというところにあるべきだと思われます。
不破さんのこのたびの犯罪的発言性の本質は、かっての戦争責任、戦争そのものの史的総括の問題と切り離して国歌問題を一般的に批評しているところにあります。まことに信じられない党執行部の堕落です。今日の党支持者の多くは、戦前の党の戦いぶりの支持を元手にしています。宮本ー不破体制を支持して党を支持しているのではありません。このあたりに上層部の腐敗をかぐことが、今回の教訓と思えます。
考えてみれば、現執行部は大衆運動の運動的経験の蓄積に対して何もしておりません。社会党が自民党の政策にけちつけする役割を果たしただけで終焉しようとしていますが、共産党もまた戦後政治体制の
修繕屋の役割のまま滅び行く運命かも。