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「イラク戦争」討論欄

アメリカの民主主義と真の民主主義の区別のために

2003/4/1 菅井 良、40代、自由業

 アメリカの民主主義はよいが、それを押しつけるのはいけない、という議論を考え直すためにいくつかの論点を順不同に出します。
1 イラクの非民主主義については、政治的自由はきわめて低いが、それ以外なら、むしろ、日本より自由であると言われたりする。その非民主主義は自明だというわけだ。だが、イラクは選挙で任期7年の大統領(人民代表)を選出する共和国であり、形式的にはアメリカと同一である。さらに、部族社会であるため、人々の中のさまざまな不満、問題点は、族長を通じて政治に反映されるようになっているとのこと、(自民党治下の少し前の日本に類似?)これは民主主義といえるかどうかはともかくとして、民意の反映のしくみはあるといえる。

2 一方アメリカ、日本とちがう点は、異なる民族(クルド人)と宗教(シーア派とスンニー派、キリスト教、たぶんそれに無神論)があって、相互にいがみあったり、弾圧してきたが、なお絶滅されずに分かれて生活している歴史があり、容易にまとまりにくい事情がある。(アメリカはネイティブと黒人を、日本もアイヌの、民族としてのまとまりを破壊してしまったし、朝鮮人、台湾の中国人は独立を回復したので、それが今ないだけとも言える)フセインの「悪事」の中の大きなものは、こういう事情と結びついている。フセインのような独裁カリスマでなければイラクはまとめられないのだ、米英日が占領したところで、米英日もそれとちがうことはできないだろうという、論者の言う理由はそれだ。

3 フセインが恐怖による政治を続ける限り、個々のイラクの人々は自分たちをイラク人(国民)として自覚する必要はないかもしれない。フセイン一人がその事を考え、やってくれているからだ。個々人はシーア派だ、スンニー派だ、クルドだ、あるいは政治のことなどあまり頭にない庶民として生きることができる。
 今のヨーロッパやアメリカや日本が、民族国家を形成していく段階もそんなものだった。当時イギリスの一部であった東部13州がアメリカ人としての自覚をもったのは、独立戦争を通してだろうし、そのアメリカの黒船が来襲して以降、天皇というシンボルが日本民族の統合の象徴として広がって行く前は、長州だ、水戸だ、と日本もなっていた。
 だが、たとえば31日付け読売朝刊1面には、イギリス軍の占領によって、かえって治安が悪化してしまったイラクのバスラという都市のあるイラク人技師の「泥棒も怖いが、イギリス軍も怖い。こんな状態が7日も続けば我々もイギリス軍と戦う。こいつ(自分の8歳の子供をさして)も戦う。イラク人だからな。」という言葉をのせている。この「イラク人だからな」に国民意識の生成を僕は感じる。

5 毒ガス、生物兵器、核兵器等は第二次世界大戦やベトナム戦争までなら、アメリカも日本もドイツもつかったことがある。使って、その被害に対する批判が高まって、ようやく禁止されただけである。通常兵器とは違う大量破壊虐殺兵器という区別は、最初から自明であったわけではない。今でも、まぎれもない核兵器である劣化ウラン弾をアメリカは通常兵器のように使用しているし、「爆弾の母」という、きのこ雲を伴う、広島型原爆にも匹敵するどうみても大量虐殺兵器の使用のタイミングを待っている。
 日本のように一切の武力を放棄した国なら、この通常兵器と大量虐殺兵器という区別だては要するに持たなければいいのだから必要ないわけだが、軍隊を持つこと自体は憲法違反でもない正常なことである国がたくさんある今の世界では、この区別は重要で、大量破壊=虐殺兵器がその非人道性からして、特別に持っても使ってもならない兵器であることを(アメリカ、イスラエル、ロシア、フランス、インドを含めて世界中に)周知、徹底していかなければならない。イラクは国連査察を受けるという形で、それを受け入れてきたわけだが、朝鮮はそのことをまだ理解していない。アメリカが持っているのに、なぜわが国は持っていけないのか、と言っている状態だ。

6 社会の多様化が進行している。
 主として、人間が村落共同体や、地域の人間として生きている社会だったなら、地域ごとに代表を選出して、議会を構成すればいい。
 資本主義の進展によって、人々が資本に雇われることでばらばらな個人となり、市民なんてほめられて、アパートに住むのなら、一人1票の代表制でよいかもしれない。
 アメリカと日本が行なっている議会制民主主義は、これである。議会が二院制で、地域代表制と全国区があるけれども。
 だが、今僕らは農村共同体に埋没した一人でもなければ、ばらばらにされた賃労働者でもない(団結した賃労働者である、とも言いえないのだが)。しかも、複数の地域ないしは領域的共同体に属せるような時代を生きている。大企業や企業組合や労働組合、国家機構(省庁、地方自治体)だけでなく、NGО(非国家機関)やインターネットのメーリングリストのコミュニケーションで生み出される組織もまた、社会を構成しうることが証明されつつある。さまざまな社会組織があり、各人はそれに重複して参加している。今の日米の政治制度は一人一票の地域代表制であって、実質的に社会を構成している組織や個人を直接に反映しない。
 これは、今となっては、基本的人権をきちっと守っていくために必要な機敏で行動的な国家機構には向かない代表方式ではないだろうか。

 まとまらない発言ですみません。いいたいことももしかしたら、うまく伝わらないかもしれませんが、これから、継続して観察しつつ考えていきたいと思います。同様な方向での研究をしようという方がいらっしゃるとうれしいです。