産経に次いで、読売新聞4月21日朝刊 佐瀬昌盛「『侵攻』と表現した責任」も、イラク侵略を「侵攻」とした新聞にかみつき、「進攻」(産経)、「制圧」(読売)をたたえている。
ここでは主敵は朝日新聞であり、朝日が3月22日朝刊ですでに「侵攻」と使ったことを述べ、その後もつかっていることを述べている。「『毎日』も「侵攻」説をとるにはとった。だが、『朝日』には到底かなわない」(佐瀬)と。
毎日びいきの僕が毎日のことしか語らず、僕の書いたものがあたかも朝日はアメリカが「侵攻」したという表現を使わなかったような文になっていたことは全く僕の責任です。朝日がともすれば、自ら土俵を設定せず、敵の設定している土俵にのってしまってその中で「左」翼的な批判をする傾向が強い、民主主義的な人脈、文化とのつながりに甘えて、反対運動が元気な時は威勢がいいが、弱ってくると一貫しない、そんな偏見を持っているものですから、ついこう書いてしまいました。不明を恥じます。
佐瀬氏は、朝日が「侵攻」と表記したことについて、「国連安保理決議がなかったからだろう」が、「字面だけからすれば、この用語は親サダムだ。同政権は、米英はイラクを「侵略した」と叫んだのだから。」という。安保理決議があろうとなかろうと、フセイン政権が言おうと言うまいと、3月20日に米英軍が行ったことはイラク共和国への「侵攻」であり、「侵略」だったのだが。今ではナジャフのシーア派聖職者も「我々は米国を占領者と見なしている」、ORHAとは接触しない、と言っているのだ。したがって、この用語は親シーア派ということにもなる。
その後が佐瀬氏の自身の主張ということになる。ちょっと紹介します。
朝日・毎日は世論に追髄する言論である。
彼らは、「「侵攻」した米国は泥沼にはまり、500万都市バクダッド攻防戦があれば一般住民と自軍将兵に多大の犠牲を出す」と思った。「だから、世界と日本の反米、反戦、平和の世論に期待し、世論に従え、と繰り返した」、「米英支持を言明した小泉は非難された。」
結果は、世論は勝てなかった。戦争を阻止できなかったし、戦争は短時日で英米の勝利におわった。朝日、毎日の読みは大筋で間違ってしまった。 仏・独の政権も世論に追随した。彼らは後悔し、国際政治の奥行きを見つめなおしつつある。朝日・毎日はどうするのだ。
それに対して、読売・産経は世論という「表層」を基準にした言論ではなく、国際政治の「奥行き」を冷静に判断しての言論だ。
これを読むと、唯物論者菅井としては、読売・産経のほうが唯物論的、科学的だと書いてあるみたいだな、という気になったりします。唯物論とは、世論であれなんであれ、意識より存在をおおもとと考える立場ですから。
でも、侵攻した米国が電子戦により圧倒的に勝てるというラムズフェルドドクトリンは、パウエル米国務長官も反対したような一つの仮説だったのであり、一時はイラク共和国軍の攻撃と砂あらしで米軍が苦戦したことも本当であり、内部からのさしたる叛乱でもない限り、バグダッド市街戦が本格的には戦われないという予想など、全くありませんでした。
それに、市街戦は無かったわけではありません。市民の犠牲がなかったわけでもありません。今でも掃討戦があります。米軍従軍記者も死んでいます。ただ、市街戦になる直前、フセイン政権の役人たち、兵士たちがバクダッドから大挙していなくなってしまったことは事実のようで、その結果犠牲者は本来想像されたより、ずっと少なくてすみました。
だから、これらのことを表層ではなくて、国際政治、軍事実力、相手の出方から天候・気象の深みまで判断した予想どおりのことだと言うのは、とんでもない間違いです。たまたまこうなったという方が本当です。市街戦でもっと多くの犠牲がでることは十分ありえたのです。その可能性を考えて、戦争を止めようとすることに何の世論追随があるのでしょうか。平和主義の日本国の国是の上にまっすぐ立っている言説ではあると言われることはあっても。
また、読みについて言えば、戦争は防げなかったが、アメリカは、ブッシュがネオコン政権となってから、アメリカに従わない国家をならず者国家として、国連の話し合いのもとではなく、軍事力により、先制攻撃、破壊し、、世界の平和秩序を狂わせようとしていること、世界協調と平和を求めるそれに反対する運動が世界各地で起ころうとしていること、という大筋はまったくその通りなのではないでしょうか。国際世論はまだ勝てないでいるとはいえ。
実は、アメリカの立場、そして、それを支持する読売新聞・主張提言の佐瀬氏の見解の方こそ、不安におののくアメリカ世論に迎合したものであるように僕には思われます。
アメリカは、一国主義が好きなのだそうですのに、西欧文明の先輩にあたる古い文明を持つアラブ地域へ、湾岸戦争をきっかけにして、軍隊を大量に送り出しました。これはまあ、どう見ても、アラブ世界への一種の侵略です。アメリカ人は、もし自国にこんなに軍隊が駐留するようになったら自分たちはどう感じるだろう、と無意識に思っています。だから、ぜったい仕返しされるに違いないと不安なのです。フセインの評判とか、ビンラディンのうわさとかは、そういうアメリカ人の不安が創りだしたモンスターです。そうしたモンスターのイメージがアメリカの映画には繰り返し出てくるように、アメリカはイラクのあともモンスター叩きをつづけていこうとするでしょう。彼らがネオコン的な夢想を断ちきるまでは。