私は、高弘氏の論旨を次のように受け止めさせていただいた。
(1)他国の武力攻撃による内政干渉は原則として認められない。
(2)しかし、国民に参政権を与えていない独裁国家の場合は、その限りでない。
(3)そうした独裁国家が国民に対し非人道的犯罪を犯した場合国際社会は武力行使を容認せざるを得ない。
(4)独裁国家の横暴を阻止できる唯一の力は民主化の原動力である米国の軍事力だ。
(5)米国の軍事介入が各国の民主化に果たした役割は歴史が証明している。
このように整理した場合、私も(1)~(3)については大筋、賛成できる。
問題はその後だ。
高弘氏の論理は、米国=民主化の旗手と位置付けているように私には受け取れる。
ここに、決定的な違いを感じる。
○自国民虐待を極めた独裁国家に対し武力行使すべきか否か?
この重大決断を行う資格がある機関がこの世に存在するとすれば、それは国連を置いてほかにないと考える。
「独裁国家への武力行使基準」が明文化されていない以上、各国の国益、国際世論を総合調整する国連の判断は、唯一の客観的指標となる。
その国連は、今回のイラク戦争で武力行使を求める米国の要請にノーを突き付けた。
米国に反対した各国にどのような思惑があれ、この結論は重い、と私は考える。
・独裁国家とは?
・武力行使基準とは?
・某国では本当に武力行使基準にあたるだけの人権弾圧を行っているのか?
こうした重大な問いに答えを出すためには国際的合意が絶対に必要だ。
米国一国にそれを委ねることが民主主義の理念に合致しているとは、私には到底、思えない。
米国大統領は、米国民が選んだ大統領だ。
そして、選ばれた大統領が真っ先に考えるのは、国益だ。
だからこそ、米国の唱える民主化は米国益にかなった「民主化」でしかないことを強調しておきたい。
これは「独裁国家」の解釈にも通じる話だと私は考えている。