米英軍はフセインを倒す、と語られ、ぼくも「フセイン体制」という用語を使ってきた。だが、正確には、アメリカが倒した、いや、破壊したものはなんであったのだろうか。バグダッドでの略奪等の無政府状態を見るならば、それは、国家そのものの、外部からの強引な破壊であったようだ。特定の独裁者を取り除くのでも、政権の交代でもなく、「イラク共和国」という国家それ自体が破壊され、根こそぎ取り除かれてしまったのであるようだ。アメリカはその後に、全く別な来歴をもつ、外来種の種を植え付け、育てようと思っている。
あらゆるものには、発生の時と場所があるように、この「イラク共和国」にもそれはある。それは、フセインが恐怖政治を開始した1979年7月18日の「粛清会議」ではない。もっと前に遡る。酒井啓子氏の「イラクとアメリカ」(岩波新書)の年表には、1958年7月14日、「共和制革命により王政転覆」とある。バース党政権が誕生するまでにはまだいろいろなことがあり、その中で文民フセイン氏が大統領になるのはさらにその後だが、アラブ民族主義(これは、現在のアラブの国家間の線引きは植民地宗主国であった西欧がかってに人工的に引いたのであるとし、アラブ世界を統合した単一の国家を展望する汎アラブ主義の考え方も含む)と世俗主義に基づいたこの共和国はその時はじまった。フセイン氏はその長い系譜のかなりの部分を担った。フセインの人権抑圧というだけで、この国家を考えることはできない。
毎日新聞24日付け報道は、身柄を米軍に拘束された(この拘束という言葉は不思議な言葉だ。どういう意味なのだろう。終戦は誰によってもまだ宣せられておらず、戦争継続中なのだから、捕虜ではないのか。自分から名乗り出たのなら、投降であろう。指名手配されていたのだから、逮捕ではないのか。どういう資格のどういう言葉なのか、どうしてこの言葉が選ばれているのか、ぼくにはわからない。)トランプの要人リスト21位、ナキブ軍情報局長(56)は、米ロサンゼルス・タイムズ紙に「フセイン政権に関わったことを謝罪する気はない。フセイン大統領に常に同意していた訳ではないが、彼の汎アラブ主義という考えを共有していた」と語ったとしている。この国家にはもちろん思想もあったのだ。
国家は生きものと同じく自然物である。社会の中から生み出されるのであり、その在り方は社会の刻印をはっきりと受けている。民主主義の理念はその国のことをその国の人々が決めるのを当然とするのだが、 それに対応して、科学は以下のように教えている。国家はその発生、交代、性質の変化、その消滅に至るまで,、その国家の母体となっている社会の成熟の度合いに負うているので、外国が勝手に好きな国家を持ち込むことなどできはしないと。
今回のアメリカのイラク侵略は、イラク共和国という「頭」を、いきなりミサイルで吹き飛ばしてしまったのである。そして、大量の血を流して倒れているイラク社会という「からだ」に、外科的手術でアメリカ的民主主義という別の「頭」をくっつけようとしているわけであるが、これはどだい無理なことだ。
これ以上、イラクの破壊を続けるのを止めて、アメリカはイラク領内から立ち去るべきである。