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「イラク戦争」討論欄

パレスチナのこと。高弘さんに

2003/4/26 東、40代、公務員

 4月22日の投稿を読んで、改めて、パレスチナ人の置かれている絶望的な状況と、世界の多くの人が「パレスチナ人」にどういうイメージを抱いているか、を考えました。高弘さん、岩波新書の「パレスチナ(新版)」(広河隆一)あたりを、読んでみませんか。
 以下、いかにも講釈するみたいで気が引けますが、もしよかったら。

 高弘さんはおっしゃる。(番号、東)

 「①イスラエルに対しては、第1次中東戦争時、隣国のアラブ諸国の一員として軍事侵攻をしています。国連で承認した国(イスラエル)を、問答無用で総攻撃をしたのですから、言い訳は出来ないでしょう。
 ②パレスチナの住民もこの時は、国があったのですが、戦争で負けて土地をイスラエルに取られてしまったのです。
 ③アラブ諸国は、軍事力で圧倒的に劣るイスラエルを、存在自体を認めないという理由で、抹殺しようとしたのです。それで自分達が負けたのに、土地を返せというのは虫が良すぎると思います。
 ④パレスチナ人の国は、もうありません。ただイスラエルの中に自治区があるのみです。」

 ①の「言い訳はできない」の主語はイラクでしょうが、「パレスチナの住民」の立場から言えば、当時わずか5、66パーセントの土地しか有せず、人口で言えば30パーセント(それも多くがヨーロッパからの新しい移民)のユダヤ人側に、52(57?)パーセントを与える、という、国連の「パレスチナ分割決議」は公正なものだったとは言えますまい。その強引さは、今日の国連ならできたでしょうか。(今日、まずイスラエルは、その決議の線まで退くべきだ、という意見もありますが、どうでしょう)
 ②の「パレスチナ人もこの時は国があったのですが」とは何を言うのでしょうか。パレスチナ人の自決権は始めから踏みにじられている。そのときの戦争「第一次中東戦争」は、しかし③のような「アラブ諸国は、軍事力で圧倒的に劣るイスラエルを」などというものではない。それはなぜパレスチナ難民が発生したかに対する答えとともに、イスラエルの「建国神話」ともいうべきものでしょう。今日の歴史は、この戦争前から、シオニスト側が、エルサレム(国際共同管理とするのが国連分割案で、イスラエルの首都でなどなかった)を含め、アラブ側の重要部分の占領とパレスチナ人の追放を計画していたこと、入念に準備したイスラエルは「勝つべくして勝った」ことを明らかにしている(これで、国連分割案を超えて77パーセントのパレスチナがイスラエルとなった)。当時の「アラブ諸国家」といってもばらばらで、ヨルダンはイスラエルと占領地の山分け交渉さえしている。
 「国連決議」を言うなら、パレスチナ難民の帰還の権利や、第三次中東戦争(高弘さんの言うとおり、これで100パーセントの占領となった)の占領地からの撤退決議が出ているのに、イスラエルが無視しているのをどうするのか(自民党河野太郎氏も、後者について、それが問題だ、と言っていた)。そもそも最初の国連の「分割決議」すらイスラエルは守るつもりはなく、国を広げていく意志を示していたのです。 
 パレスチナ問題の主体は「アラブ諸国」ではなくパレスチナ人であるべきだと考えます。「土地(占領地)を返せ」という主張、あるいは故郷に帰りたいという主張は、人間的に当たり前ではありませんか。そうでなければ「北方領土」も問題にならないでしょう。
 ④のように、「ただイスラエルの中に自治区があるだけ」とは事実としてその通りですが、その「自治区」が、イスラエルによる「収容所列島」(元NHK平山健太郎氏)のような観を呈しているのが、そしてそこで多くの子どもたちがまともに教育を受けられず、心も傷ついていくのが、私には耐え難い。この二年間で3000人近くのパレスチナ人が殺された(日本パレスチナ医療協会)と言います。傷ついた人はその10倍以上か。こんなことがいつまで続くのか。少し前、NHKのニュースでも、イスラエルでは「パレスチナ人の移送が公然と語られている」というレポートがあった。確かに、そうすれば「パレスチナ問題」も「最終解決」がもたらされるかもしれない。しかし、長い間払い続けなければならないつけが、歴史に残ることでしょう。
 長くなってすみません。
 私は、パレスチナのことで、できる可能なことをやっていこうと思います。その点で、共産党にも期待をします。