しぶん白旗さんへ
4月28日付、私あてに、丁寧かつ誠実なお返事を頂き、とても、恐縮しています。そして、どうやら、私の誤解が一部ありました。
まだ、明確に分析できていないのですが、短時日に検証できそうにないので、まずは気づいた部分で、失礼だったことをお詫びします。
さて、高弘さんの投稿がきっかけで(4月2日、アメリカによるイラクへの武力行使に対してーーが最初?)、その後、次々と、論争が続いているようです。私もふくめ?皆さん、それぞれ、とても、真摯に議論を重ね、交換し、同時に、現実のドラマは、際限もなく、リアルに進行していきました。
私は、どちらかといえば、9・11の事件からこの問題に足をふみいれたように、目の前に起こっている現象を見、それをほりさげていき、背後、歴史、そして今後を視るという方法で検証してきました。
世界の動きとアメリカと日本の三つ巴のなかから、にほんの立場、日本国内の動きがどうあるべきなのか、現実はどう、動いているのか。
そうした最中、高弘さんの、それまでの大方の意見に駄目押しをするかのような異論が、のりました。
4/4 獏さんへ
4/5 長壁さんへ
4/11 菅井さんへーー独裁は武力によってしか倒せない
4/13 4/10獏さんへーー民主国家は、いろいろな意見があって当然
4/19 イラクの国民は、これからツケを払うことになる
4/21 4/16菅井さんへーー独裁はいかなる理由でもだめ
4/22 4/20東さんへ~ツケをはらうのは、当然イラク国民
イラクの惨劇、イラク人の父親の嘆き、怒り、母親の悲しみ、少女の絶望、マルタにされた少年・・・を、テレビ・新聞・メールで、集会で、ビデオで見聞しながら、私は彼ら、彼女等に反応し、それを、詩にメールにぶつけていました。このようなときの、高弘さんのメール内容は、私には、まさに、地雷の衝撃でした。劣化ウラン弾を浴びたように、気がなえてしまいました(この表現は軽いかもしれませんね)。
そんなとき、しんぶん白旗さんの、投稿が目にとまりました。まず、高弘さんと同じ世代であろうということ。私とは決して、対立的な考え方ではないーーと言う印象は、もっていました。
そうした状況のなかで、
(1)他国の武力攻撃による内政干渉は原則として認められない
(2)しかし、国民に参政権を与えていない独裁国家の場合は、その限りでない
(3)そうした独裁国家が国民に対し非人道的犯罪を犯した場合、国際社会は、武力行使を容認せざるを得ない。
を、しんぶん白旗さんは、賛成なさったわけです。この時点で、私のなかには、今までの高弘さんの主義主張は、認識していましたから、当然その線上で推論してしまったのです。つまり、高弘さんは、選挙権がある民主的な国であるアメリカと、そうでない非民主的な国イラク・北朝鮮という図式が、かっちりとあるのです。ですから、アメリカの武力行使OKの線ですから、私は、(1)は、単なる原則論とよみちがえてしまったのです。つまり、アメリカのイラク攻撃をとやかくいうことは、アメリカに対する内政干渉とうけとってしまいました。
もし、(3)に導くための(1)(2)であるならば、これらを分ける必要はなかったのではないでしょうか。
この時点の私の誤解が、その後の気分的なことという表現になってしまったのです。
ちなみに高弘さんは、それまでの、様々な議論のなかで指摘されたことを、ほとんど、無視あるいは、拒否されたまま、ご自分の土台で勝負なさっています。
最も大切な、アメリカのダブルスタンダードでさえ、この期に及んで新谷さんに指摘されています。独裁ということの中身、イラクのフセインが選挙でえらばれているという事実、状況、歴史、背景などなど、ほとんど問題にしていません。そうした主張に対して、私は、反論する気力がでてきませんでした。ですから、自分に近い白旗さんのなかに、ほんの一部感じた(誤解による)違和が、とても残念におもえて、つい強調してしまったのでした。
ときあたかも、有事法か! というとき、一寸の妥協も揺らぎもあってはいけないと、自分に言い聞かせている最中のことで、他者にたいしても、つい、自分の思いを強要するという困った癖があるようですね。今後気をつけます。
それにしても、今回、白旗さんをはじめ、多くの方が粘り強い議論をされていることに、私は感銘をうけています。
最も多い菅井さん、身近な体験から、歴史的なものから、豊富な事例を懇切丁寧に・・・みごとです。4/29の論文は、パーフェクト。私がいっていただきたかった、イラクも、キム政権も軍事独裁ではないということに言及していただいて、感謝です。さざ波通信が独裁というのも、分かりやすいです。言い分はいろいろありますが、何かと、感じるところはありますから。
東さんは、パレスチナ問題に言及、9・11以降、不破議長が避けよう避けようとしてきたこの問題こそが、戦争の根源なのに、今まで、とりあげられませんでした。パレスチナ問題を視ようとしない人、避ける人と私は、議論するつもりはありません。もちろん北朝鮮も同じことですが、歴史的、世界史的なつながりを断ち切ってしまっては、見えるものも見えません。ですから、イラク戦争は終局に向かっているというのと同じくらい、無意味な論争になります。
ただ、私は、みなさんの投稿をみていて、妙に遠慮されているのかなと(さざ波や共産党に)ふと思うことがあります。ハートから出た言葉なら、おさえなくてもいいのでは・・とおもうのです。まあ、私には、権限はないですが、わたしがさざ波に期待することは、権力に抗することは積極的に強力していただきたいということ。イデオロギーよりなにより、人権に重きをおいてほしいということです。
そして、なにより、共産党と違うところは、批判も含めて、柔軟に受け止めて下さっているという姿勢が感じられるところは、安心しています。
なんだか、とりとめもなくなりましたが、このへんでおわります。