イラク戦争におけるさまざまな立場の人を考えてみました。
・イラク国民
・フセイン政権
・アメリカを中心とする戦争加担国
・第三者(当事国以外の国・国民)
まず多数のイラク国民は、フセインの失脚を願っていた。
アメリカは、フセインを排除しようとした。
この時点で、アメリカとイラク国民の目的が、一致しています。
フセイン政権を除けば、当事者同士が、同じ考えなのですから、第三者は、反対する意義が薄れるでしょう。
(戦争に反対する事は、決して間違っていません。)
問題になるのは、国際法です。
国連を通さずに攻撃に踏み切ったので、責任は、問われても仕方ないですね。
イラクに対する内政干渉という事に、変わりは無いのです。
国連は侵略戦争だと判断するかも知れません。
ただイラクの国民は、反米感情はあっても、『自由になった』『夢のようだ』と言っているので、解放されたと感じているようです。
今回の戦争は、仮に名目上『侵略戦争』だとしても、実質的には『解放戦争』でしょう。
今、フセイン体制が復活したら、イラク国民は、絶望の淵に叩き落とされてしまいます。
僅かですが、民主化の動きも出てきたようなので、アメリカの功績も多少認めてあげても良いのではないか(だめですか?)と感じます。
イラク国内を見てみましょう。
フセイン政権が崩壊した後は、フセイン像が、大衆によって足蹴にされていました。
肖像画も破り捨てられていたので、独裁による圧政が、行われていたのだと判断しました。
イラクの軍人も『独裁だったので、仕方なく従っていた。
反対したら処刑されていた』と言ってました。
イスラム教徒の義勇兵が、イラク国民から暴行を受けていたのも、印象的でした。
イラク国民にとって、フセイン体制の延命に手を貸すような行為は、迷惑だったのでしょうね。
もしイラク国民がフセイン政権を支持していたのなら、この体制を守るためにやって来た義勇兵に、暴行を加える訳ありません。
アメリカ絡みの戦争は、多面性があるので、判断が難しいと感じました。